コンビニを出た後は真っ直ぐ家へと向かう予定が、途中、小さな山本が目敏く公園を見つけてしまったせいでいつの間にか公園のベンチに座っていた。
 子供は我儘で言うことを聞かないのが常だ。そっちじゃねえよと方向修正をしてみても、結局はグイグイと強引に引っ張る小さな手に連れて来られてしまった。どのみち家に着いたところですることもない。引っ張られて来たのは別段、それを拒む理由がなかったというのもある。
 ベンチに座ってコンビニ袋の中から牛乳を取り出した幼児は満面の笑みだった。楽しげに足をプラプラと揺らして、パックの背面に張り付いているストローの袋を剥がそうと小さな指で頑張っている。しかし思いのほか強力な粘着力に負け、袋からストローだけ取り出そうにも上手くいかず、小さな山本は困った顔で獄寺を見上げた。
「ごくでら、とれない」
「んなこともできねぇのかよ…ほら貸してみろ」
 パックを取り上げ、ちゃっちゃと手早く袋からストローを押し出してパックに突き刺してやる。出来上がったものを「ん」と差し出すと、小さな山本は獄寺の手首を掴んでストローだけ咥え、チューチューと喉を潤した。
「てめっ、自分で持って飲めよ!」
 ぷは、とストローから口を離して、今度はコンビニ袋からお菓子を探し始める。
「おいコラ、人の話を聞け!」
 いくら突っ込んでも、もうお菓子の箱開けに夢中だ。獄寺は軽い溜め息を吐いて牛乳のパックをベンチに置いた。人の話の聞かなさは14歳の山本をはるかに凌いでいる気がする。あの小さな耳はただの飾りじゃないかと思えてくる程だ。
「ごくでら、これも」
 外のパッケージは開いたが、中の小包装の袋が開けにくいらしい。眉を下げて、銀色の小袋をぶんぶん振って差し出してくる。
「これもじゃねえだろ、こんくらい自力で開けろよ」
 何だかんだ言って手伝ってやる自分もまた甘いのだろう。そう解っていながらも獄寺は小袋を受け取った。
「んっとにイイ性格してるぜ…このオレに菓子ねだるわ、公園に引きずり込むわ、あれこれやらせるわ、何様だおまえは…オラ、食えよ」
「ありがとなー」
 小さな山本は袋を受け取って愛らしい笑顔を見せ、開いた袋からビスケットを一枚掴んでサクサクと食べ始めた。嫌な予感はしたが案の定、齧る度にビスケットの屑をボロボロと零しまくっている。公園に来て結果オーライだ。家でこれだけボロボロ零されながらモノを食べられたら悶絶してしまうが、外ならそれも気にしなくていい。
「うまいかよ」
「うん!」
 お菓子と牛乳で超ゴキゲンだ。この超ド級の単純さは確かに山本だな、と目を細める。自分もコーヒーを飲もうと獄寺はコンビニ袋を掴んだ。見ると、買ったコーヒー以外に紙おしぼりが何枚も入っている。
(しまった、そういやこいつ手ぇ拭かせてなかったな……まぁいいか、死にゃしねえだろ)
 つーか何でこんなに入ってんだ?と首を傾げていると、すぐ隣で悲劇は突然に起こった。
 
「…っきし!」
「げっ!」

 くしゃみをしたせいで鼻の下がびちゃびちゃになってしまった。
「はなでた」
「見りゃわかる!!」
 てれーんと、今にも垂れそうだ。
「ぅー、てっしゅ…」
「持ってねえぞそんなもん!…あ、ちょっと待て、いいか、そのまま動くなよ!?」
 獄寺は急いで紙おしぼりのビニールを破った。ウェットゆえ鼻を拭くのには全く適していないがそんなことはいっていられない。まさかこれを見越してのことだとは思わないが、紙おしぼりを沢山入れてくれた店員の青年には大いに感謝すべきところだ。ガン付けて申し訳なかったとすら思う。
 3枚ほど広げて重ねたところで第二弾のくしゃみが炸裂した。
「…くしゅっ!」
「なんだ風邪か?バカのくせに風邪なんてひいてんじゃねーよ」
 二度目のくしゃみでさらに酷くなってしまった鼻の下を、広げたおしぼりできれいに拭き取っていく。
「オラ、上向け…ったく、このオレに鼻まで拭かせやがって」
 丁寧に鼻を拭かれた後、小さな山本は「はー」と息を吐いてスッキリした顔で笑った。
「ありがとなー」
「…」

 はっきり言って小さな子供はあまり好きではない。
 煩くて我儘で聞き分けがなくて、すぐに泣く。そのくせ一人では何も出来なくて面倒だ。自分にもそんな時期があったとは解ってはいても…いや、だからこそ好きではないのかもしれない。無知で無力で、そんなひ弱だった頃の情けない自分を思い出してしまうから。
 しかし一体どうしたことか、こんなにうざいくらい手の掛かる幼児なのに、素直に可愛いモンだと思える。手の掛かる子ほど可愛いとはいうが、それとはまた少し違うのだろう。
(山本だから…か?)
 母性本能が働いて甲斐甲斐しく世話をしてしまうのも、やはり恋愛感情のなせる業なんだろうか。

「タケシ、ちょっとこっち向け」
「?なに?」
 携帯を取り出した獄寺は、記念に一枚撮っといてやろうとカメラ機能を起動させた。
「電話とカメラが合体したモンだ。おまえに文明の利器を見せてやるよ、ってオイ、あんま寄るな」
 興味津々に携帯に顔を近づけてくる幼児に注意をしたところで、ピーと鳴った携帯の画面に『充電してください』という表示が出た。
「げ…、電池切れかよ」
「でんわ?なっちゃんにもでんわできる?」
「…」
 また現れた名前に、獄寺がピクリと眉を上げた。
 我儘で聞き分けがなくて無知で無力でも、小さな山本は確かに可愛いと思える。だが一つ、獄寺には非常に気に入らないところがあった。
「おれ、なっちゃんとおはなししたい」
 そう、この小さな山本が『なっちゃん』という女の子にえらくご執心なことだ。
 4歳だろうが何だろうが、獄寺にとっては山本であることに違いはない。そんな相手が他の誰かを好いて自分以外の名前を恋しそうに呼んでいる、それが癪に障る。

「なっちゃんなっちゃんってうるっせえんだよオメーは」
 そう言って獄寺は小さな山本の顎を掴んだ。

 別に泣いたって構うか、と思った。コイツにはちゃんと、思い知らせてやらなければならないのだと。
 それにどのみち『山本武』は将来―――

(――― オレのモンになるんだしな)

 どちらかといえば自分は『モノにされてしまった』側だったが、今となってはそんなことはどうでもいい。
 パラレルワールドの概念で言えば、現代の山本が知らぬこの時間を体験した小さな山本の未来は『ここ』には繋がらない。4歳の頃に運命の相手と顔を合わせた時点で、現代の山本とイコールにはならないからだ。
 おそらくはここに良く似た、けれども微妙に違う未来へと辿りつくことになるのだろう。とはいっても、本当のところは誰にも解らないのだが。
 しかし、もしそうならその先で他の相手を選ぶようなことは絶対に許さない。
 そう、釘を刺すつもりで小さな唇に思いっきり口付けた。
「………」
 ゆっくりと唇を離すと、頬に朱を乗せた小さな山本の驚いた顔がそこにあった。黒茶色の目を、逃がさぬように真っ直ぐ覗き込む。

「いいか?その小せぇ脳味噌によーく叩き込んどけ…おまえが将来好きになんのは、『なっちゃん』でも『まいちゃん』でも『あみちゃん』でも『ゆうちゃん』でもねえ」
 獄寺は小さな顎から手を放し、人差し指でトン!っと幼児の胸を突いた。

「このオレだ!わかったかこの牛乳バカ!!」

 緑の瞳を見返していた小さな山本は、ほんのりと顔を赤くしたまま目をぱちぱちと瞬かせた。
「おれ、ごくでらとけっこんするの?」
「…」
 なぜそこで結婚となるのかはおそらく、おませな女の子の影響だろう。小さな山本にとってそれがわかりやすい基準となっているのならそれでもいいかと、獄寺は肯定した。
「…ま、似たようなモンだな」
 俯いて黙り込んでしまった幼児を見れば、衝撃の事実を聞いて、幼い頭の中で何やら一生懸命考えているのがわかる。獄寺は飲み仕損じていたコーヒーを手にとってカップにストローを刺した。
 小さな山本を横目に黙って飲んでいると、長い間考え込んでいた幼児はやがて弱った顔で獄寺を見上げて、

「なっちゃんどうしよう?」

 と言い出した。思わずコーヒーを噴出しそうになってしまう。言葉から察するにどうやら運命を受け入れることにしたらしい。
「さっさとフッとけよ。今なら傷も浅いぜ」
 言った後で(全く酷い男だな)と笑いそうになる。もちろんそれは自分だけではなく―――
「うん」
「ぶ…っはははははっ」
 本当に、ちゃんと意味を理解して頷いているのかはわからないけれど。
(コイツも大概)
 酷い男だぜ、と獄寺は腹を抱えた。運命の君の前じゃ、初恋の君も形無しのようだ。

 すくっとベンチの上に立った小さな山本は、軽く立てた小指を獄寺へと向けた。
「ごくでら、ゆびきり」
 『なっちゃん』と約束した時と同じことをしようというのだろう。獄寺は自分へと向けられた小さな手を軽く払いのけた。

「約束なんかしねえよ。約束は破るためにあるんだぜ?おまえだって、なっちゃんとやらの約束を破るんだろうが」
「…」
 小さな山本は少し戸惑ったように緑の瞳を見つめた。

「オレは約束なんかいらねえよ……そういうのは、ただ、忘れなきゃそれでいい」

 言葉で縛るだけの約束なんかよりも。
 約束をしようとした今この瞬間の気持ちを、この先も忘れずに覚えていてくれるほうがずっと―――

 伸ばした指の背で柔らかな頬を撫でてやると、幼い彼はいっそう頬の色を強くした。
 小さな山本は、立てていた小指を仕舞うと14歳の彼がよく見せる表情でにっと笑った。

「うん!チューしたから、おれ、わすれない」
「へっ…、だといいけどな」

 本当に、返事だけはいいヤツだなと獄寺は笑った。



***



 …重い。
 腕力はある方だが、そこに持続力を問われるとなるとまた話は変わってくる。二人分の辞書入りの鞄に加え、ぐっすりと眠る4歳児を抱っこしての道のりは厳しいものがあった。20キロとまではいかないだろうが、結構重い。
(食いながらいきなり船漕きやがって…くそ、腕が痺れてきやがった)
 肩に頭を預け、抱きつく形でぎゅっと肩の服を掴んでいる。あともう少しだ、と幼児を片手で抱え直し、手探りで鞄の中から家の鍵を探す。
(どこだ…よし、あった)
 ドアを開けて中に入ると、先に肩に掛けていた荷物を一気に下ろした。少し楽になって「はー…」と息を吐く。
(とりあえずコイツをベッドに寝かせて…靴は後で脱がせりゃいいか)
 小さな山本はスヤスヤと気持ち良さそうに眠ったままだ。ぴったりと引っ付いたところから子供の体温が伝わってくる。耳の辺りにスゥッと鼻を寄せて、獄寺は頬を緩めた。
(おんなじ匂いしてやんの)
 靴を脱いで、肩にある寝顔を見ながらゆっくりと歩いていく。ベッドに寝かせたら携帯を充電して今度こそ記念に一枚撮ってやろうと、ひそかに笑って部屋へと向かう。

 しかし、抱え直して自室のドアを開けたところで突然、腕の中がボン!と弾けた。

「おわッ!!」
 腕の中がズシっと半端なく重くなって獄寺はよろめいた。大きな身体が肩にしがみ付いてきて足がふらつく。
「うおお!?っと、と…!」
 不測の事態に見舞われながらも抱かれた腕の中から何とか無事に降り立った山本は、相手の両肩を掴んで抱いていた人物を確認した。
「おぉ獄寺だ!!あー、やっと戻ったー!!ただいま獄寺ぁ!」
「…」
 ぎゅうっと強く抱きついて、山本がスリスリと頬を寄せてくる。頬ずりをされながら獄寺は脱力した。
 早くに戻ってきたのは、確かに良いことなのだが。
(タイミング悪…)
 結局カメラで一枚も撮れなかった上に、ここまで重みに耐え続けていた両腕がだるくて仕方ない。ちょっと骨折り損な気分だ。
 とはいえ、こればっかりは山本に文句を言っても仕方がないことで。
 ちゃんと頭では解ってはいたけれど、あまりにも遣り切れなくて獄寺はボソリと零した。

「まだ帰ってこねえで良かったのによー…」
「ご、ごくでら!?」

 まるで定時に帰ってくる旦那を嫌がる熟年妻のようなセリフに「ひでぇよ、何でそんなこと言うんだよ!?」と山本は嘆いた。





「あははははっ」
「笑ってんじゃねえよ!」
 コンビニでのオネダリ話を聞いて山本がゲラゲラと笑う。公園で小さな山本が残したお菓子の箱を、14歳の山本は懐かしそうに眺めた。
「そういや良く食ってたなぁこれ…残ってんの食っていい?」
 箱の中から最後の一袋を取り出して山本が訊ねる。
「いいぜ、オレ食わねえし」
「サンキュ…あ、獄寺」
 何を言うのか予測がついて、獄寺は先程いれたばかりのお茶のコップを指で押した。
「牛乳なら無えぞ。茶で我慢しろよ」
「すげぇ、何でわかったんだ?」
「おまえが単純だからじゃねえの」
「そっか、愛だな」
「おまえはほんとに人の話聞かねえよな」
 ははは、と慣れた応酬に笑って返すと、山本は銀色の袋の封を開けた。5つ並んだクリームサンドビスケットは昔と変わらないはずなのに、一つ手に取れば昔よりもずっと小さく感じる。持つ手が違うから当然か、と口に放り込んで「うん、うまい」と山本は頷いた。
「ちっせぇ時の俺、可愛かった?」
「可愛くねえよ、あんなアホガキ」
「あ、ひでえなー」
 もちろん獄寺が「可愛かった」なんて言う性格でないのは解っていたけれど、やはり苦笑いをしてしまう。
「なっちゃんなっちゃんってうるせぇしよ」
「あぁそれ初恋の女の子でさ!すっげぇ仲良かったんだよな」
 俺も向こうで会ったんだぜー、などと山本が話していると、飲んでいた茶をテーブルに置いて獄寺がぎこちなく問うた。
「…で?今は、その…なっちゃんとやらはどうしてんだ」
 突然の質問に、鈍い山本は首を傾げる。
「どうって…北海道だったかな、遠くに引っ越してからは全然知らねえけど」
「連絡とかは、とってねえのか」
「んー、親同士でも仲良かったしオヤジはどうか知んねえけど…俺はとってねーよ?なんで?」
「いや別に…ちょっと聞いてみただけだ」
 どこかホッとしたような、獄寺の少し赤い顔を見て山本もようやくピン!とくる。
「あぁ〜、もしかしてそれでちっせぇ時の俺が可愛くなかったのか?」
「なっ、違ぇよ、それだけじゃねえ!」
 それだけじゃない、ということは理解してる上にそれも含まれているわけで。種がわかればもうニヤニヤと顔が緩んで止まらない。
 そっか妬いてくれたのなーとニヤける山本に、赤い顔で「違ぇって言ってんだろ!」とテーブルを叩いて獄寺は続けた。

「牛乳のストローもロクに取り出せねえし菓子の袋も開けらんねえし、くしゃみ連発で鼻水だらけになるしで最悪だったんだよッ」

 その時、山本は記憶の奥底で、ピン、と引っ掛かるものを感じた。
「―――…?」

「鼻水まで拭かされたんたぜオレは!」
「…」
 話を聞いた山本が腕を組んで何やら考え込み始める。「…あれ?」と零してこめかみの辺りを押さえた山本はさらに眉を寄せた。
「んー?」
「なんだよ?」
 訊ねてみれば、山本の口から信じられない言葉が飛び出した。

「…その後、チューしたんじゃねえ?」
「!?」

 驚いて緑の瞳が大きく見開く。山本はいまだ側頭部を押さえたまま、記憶の糸を辿って首を傾げていた。
「ゆびきりしようとして断られたような…んー、やっぱ夢かな?なんか昔、知らねえ兄ちゃんだったか姉ちゃんだったかよく思い出せねえけど、そんなことがあったような気がすんだよな」
「…」
「ははっ、んなわけねえよな?」
 そう言ってカラリと笑った山本は、また一つビスケットを口にした。

(冗談だろ)

 過去が違えば当然未来も変わる。だからここは、小さな山本の辿りつくはずのない未来なのだと、そう思っていた…いや、そう思い込んでいた。
(そうじゃねえのか…?) 
 そもそも10年バズーカは謎の多い代物だ。ぶつけただけでもすぐ誤作動を起こして、入れ替わる時代や時間が変わってしまうこともある。タイムトラベルによる矛盾や影響など解明されていない部分があまりに多く、解っているスペックだって実際は疑わしいものだ。
 そんな得体の知れないモノだけに、何が起こってもおかしくはない。
(まさか、そんな)
 ―――現代の山本に、あの小さな山本が体験した記憶が繋がった?
 小さな山本は眠った状態で過去へと帰った。目が覚めて、未来へ来たことを夢だと思ったままその後…何の影響も及ぼすことなく、10年後の今日の日を迎えたならひょっとすると…この目の前にいる山本に繋がることも十分に有り得るんじゃないだろうか。
(けどそれも)
 所詮は空論。証明する手立てなどどこにもない。
(結局…考えてもムダってことか)
 ガシガシと頭を掻いて、獄寺は答えを探すのを諦めた。あとは事実は事実として受け止めるしかないだろう。
「…おまえさ」
「ん?」
 それならそうと、山本にはひとつ大事なことを聞かねばならない。ビスケットをモグモグと咀嚼する山本を真っ直ぐに見据えて、獄寺は訊ねた。

「それ…何でゆびきりしようとしたか、ちゃんと覚えてんのか?」

 一瞬きょとんとした山本だったが、獄寺の口ぶりから自分の言ったことは夢などではなかったのだとすぐに察した。
 獄寺の言わんとしてることと記憶とが一本の線で繋がって、お馴染みの爽やかな表情でにっと笑う。

「ああ、覚えてるぜ」

 世の中は不思議なことに満ちている。人の身にそれが降りかかった時、人はそれに名前を付けようとする。
 奇跡、幸運、不運、偶然、因果…それは人によって様々だ。

 そして、山本の口が正解の言葉を紡いだ時―――獄寺の胸には『運命』の二文字が過ぎった。





『うん!チューしたから、おれ、わすれない』
 そう言って同じ顔で笑ったひと時の小さな恋人は、確かに目の前にいた。





(2008/05/30 up)





☆おまけの女性教員☆



「園児が突然大きくなったあ?」
「そうなんです、高校生くらいに!あ、あの、嘘みたいな話なんですけど、本当なんです!!」
 一体どうしたというのか、2つ隣のお遊戯室から突然やってきて不思議なことを口走る女性教員を、同僚の女は訝しげに見つめた。 
「大丈夫ですか、さつき先生…少し顔色が悪いですけど」
「い、いいからちょっと来て下さい!!私もう限界で…!見ればわかりますから!」
 何やらただ事ではない訴えを聞いてさすがに気になった同僚は、園児達に断って一先ず様子を見に行ってみることにした。
「みんな、そのままちょっとだけ待っててねー!」
「はぁ〜い!」

 引っ張らなくても行くというのに、グイグイ腕を引っ張られて2つ隣の部屋まで連行される。
 しかし、問題のお遊戯室に着いた女性教員は目を丸くして「あれ…?」と零した。先程まで確かに園児達の中にいた大きな少年が、今はどこにも見当たらない。
 同僚の女も、部屋を見渡して片眉を上げた。
「どこに高校生サイズの園児が?」
 冷やりと汗を掻いた女性教員は慌てて園児達に訊ねた。
「た、たけしくんは!?」
「おねんねしてるよー」
 見るとそこには、園児達に囲まれてぷにぷにと頬を突かれながらも、ぐっすり眠っている園児の『たけしくん』がいた。
「たけしー、おーきろー」
「ぅー…」
 耳元で呼ばれても起きないくらいに眠りは深いようだ。いつの間にやら元の姿になっている園児を見て、女性教員は卒倒しそうになった。
「そんな…」
(嘘でしょ)
 もちろん、無事に元に戻ったのは大変喜ばしいことだ。それはいいのだ。それはいいのだが、しかし。
(こ、これでもう、誰も信じてくれなくなったってこと…!?)
 あまりの展開に脱力してエプロンの肩紐がズル、と落ちてしまう。その直後、スッと背後に人の気配を感じて女性教員はどきりとした。

「さつき先生…昨日ちゃんと寝ました?」
 プッと笑った同僚に耳元でそんなことを言われ、羞恥か怒りか悔しさか、ぷるぷると震えてしまう。

 女性教員は少し涙ぐんでにキィッと同僚を見遣り、やってられないとばかりに両拳を握って力いっぱいに叫んだ。

「ええ、ぐっすりと寝ましたともッ!!」



【end】




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