キンッ!!
 高く勢いよく、空に飛球が舞った。
 音にハッとして辺りを見回す。山本はバッターボックスでもマウンドでもなく、セカンドに立っていた。
 走者ではない。グローブをしているので守備のようだ。なんでセカンドを守ってるんだろう?首を傾げる間にも飛球が山本の頭を越えていく。ボールの行く先を振り返ると外野には誰もいなかった。
(え、俺!?)
 センターの奴はどこ行ったんだ!?誰もいない外野に山本は焦った。
 空を飛ぶ球は不気味なほど遅く、余裕で追いつきそうな感じがする。しかし全力で走っているのに何故だかボールとの距離が縮まらない。
 走っても地面を蹴っている感覚がなく、足が空回って全く前に進まないのだ。そうこうしている間にもボールが地面へと落ちていく。
(マジかよ、なんだよこれ)
 その時、パシッと誰かが飛球をキャッチした。突如現れた外野手。目の前に現れたその人物を見て山本は仰天した。
「ごくでら!?」
 陽に輝く銀髪、透けるように白い肌。ハーフである彼の、イタリアの血が醸し出すエキゾチックな美しい顔立ち。
 基本が顰め面で、10代目と慕う沢田綱吉の前以外では絶対に笑顔を見せることがない変わり者。仲良くなりたくて山本がどれだけ話しかけても、決まって不機嫌な顔しかしない少年だ。
 獄寺はグローブも持っておらず制服姿で、一緒に野球をしているようには見えなかった。
「…獄寺、こんなとこで」
 なにやってんだ?と続けようとして、山本は声を呑んだ。
 いつだって無愛想な彼。山本に対しては殊のほか冷たさの増す彼が、ゆっくりと視線を上げる。
 ドクン、と山本の胸が強く全身に鳴り響いた。
 いつも必ずと言っていいほど険を宿らせる彼の、深いエメラルドの瞳が優しく笑ったのだ。
「次はちゃんと捕れよ」
 投げられたボールをしっかりと受け止める。山本は呆然と見入っていた。その笑顔の、何と甘く柔らかなこと。
(なんだこれ)
 どくんどくんと、心臓が過剰に動いて止まらない。得体の知れない気持ちが胸に込み上げてくる。堪らなく嬉しいのだと、それだけは解った。
 興奮を孕むこの喜び、似たような気持ちを山本は知っていた。幼い頃、野球で初めてホームランを打った時だ。
 でもこんなくすぐられるような甘い気持ちは、知らない。今までにも感じたことがない。
 じっと見惚れる山本を邪険にすることなく微笑んでいた獄寺だったが、やがて背を向けてどこかへと歩き始めた。
「え、獄寺、ちょっと待っ…!」
 プレー中だとか、そんなことは頭からすっかり飛んでいた。ただ、目の前の彼が去っていくのが酷く惜しくて山本は彼を追いかけた。
 そしてあと少し、手を伸ばして彼の腕を掴もうとした瞬間。
「なっ!?」
 突然、階段を踏み外したかのような感覚に陥ってゾッとする。深くて暗い、大きな穴が目前に広がっていた。 
(うそだろ!?)


 落ちる―――!!


***


 ガタンッ!

 ――― そんな夢にびっくりして目覚めた4時限目、数学の授業中。
 落ちる夢に反応して身体が大きくビクついてしまったらしい。
 幸い、黒板に向かっていた教師は気付かなかったようだが、山本に近い席の生徒数人、また遠くから彼に恋の熱視線を送っていた女子などはその一瞬をばっちりと目撃した。
 「超かわい〜」と言ってくすくすと聞こえてくる小さな笑い。思わずニヤける口元を手で覆って隠している者もいる。周囲を見回した山本は恥ずかしさのあまり笑うしかなかった。
(うわー、めちゃくちゃ恥ず…っ)
 手で顔を覆って一息吐く。時計を見るとチャイムが鳴る5分前だった。この時間も確実に30分以上は寝ていたようだ。
 当然の如く、黒板には謎の数式が並んでいて内容がさっぱりわからない。というか、その前もその前もその前の時間も、授業内容が全く記憶にない。山本は溢れ出る欠伸をかみ殺した。
(寝すぎだなぁ俺)
 びっしりと書かれた黒板の内容を今更ノートに書き写す気にもなれなくて、残り時間をボーっと過ごすことにする。
 ふと気になって夢に出てきた人物を見やった。同じ並びの一番廊下寄りに見える銀色の髪。椅子に深く凭れて退屈そうに右手でくるくると器用にシャーペンを回している彼を、山本はぼうっと見つめた。
(…笑ったんだよな)
 いつも無愛想で冷たい彼が優しく笑ったのを見て、無性に嬉しくなって、追いかけて。
 思い出すほどに可笑しな夢だった。
(あいつが俺に笑うわけねーのに)
 彼のあんな笑顔をどこで記憶したのかと考えて、そんな覚えこそないものの、やはりツナと一緒の時しかないかと考える。でなければ自分の想像力は相当凄いらしい。
『獄寺、ちょっと待っ…!』
 突如頭を過ぎった自問に、また山本の胸がどくどくと騒ぎ始める。
 所詮は夢の中のこと。だけど。
 あの時、追いかけてあの腕を掴んでいたなら、自分はどうするつもりだったんだろう。


「山本、何かあったの?」
 終了のチャイムが鳴ってすぐに「たのむよ山本〜」「笑かすなってもー」と数名に突っ込まれているのを見て、弁当を片手にやってきた綱吉が首を傾げた。
 遠い上に、席が前列寄りにある綱吉には、当然ながら後方の席で起こったことがわからない。
「や、何も?」
 思い出すのも恥ずかしい失態だ。山本はへらっと笑って誤魔化した。が。
「10代目ぇ聞いてくださいよ、アホですよコイツ!さっき―――」
 後からやってきた銀髪の少年がそれを許さなかった。
「居眠りの最中にやたらビクッと」
「ご、獄寺!?」
 恥が広まることよりも、失態をリアルタイムで彼に目撃されていたらしいことが山本の顔を赤くさせた。
 身振りを交えながら綱吉に面白おかしく山本の失態を聞かせている獄寺は、まるで鬼の首を取ったように嬉しそうだ。
「あははは、オレもたまにあるよそれ」
「え、じゅ、10代目も?」
 散々バカにしたように話してしまった獄寺が大きく怯んだ。
 笑ったり凹んだり、獄寺は綱吉の前では驚くほどに表情が変わる。山本と接する時と比べればその態度はまさに雲泥の差だ。
 ツナにだけ見せるあの人懐っこさは一体どこに隠れているのだろう?常に素っ気無い獄寺と向かい合うたび、山本は不思議に思う。
 だが、山本がそれを羨んだりすることは一度もなかった。綱吉を異様なほどに慕う彼のその態度が、友達という、対等な関係のものとはあまり感じないからだろう。
 互いに大切だと思う気持ちは確かで、決してそれが悪いというわけではないけれど、ただ、それは山本の望むものとは違うのだ。
「うん、どっか高いとこから落ちる夢見たときとか、結構なるよ」
「落ちる夢、っスか」
「俺もさっき穴に落ちたんだよなー」
 山本の告白に、あぁやっぱり?と綱吉が笑った。笑みを向けられ、釣られて獄寺も笑う。そんな獄寺を見て山本は頬を緩めた。
 彼らがどれほど仲が良くても、二人の関係は山本の望むものとは少し違う。
 快濶で人当たりの良い山本は人と仲良くなるのが得意だ。実際、クラスでも人気者で山本を嫌うものは殆どいない。間口が広く友人も沢山いる。
 しかし、その中に喧嘩が出来るほどの友人がいるかというと…実はいない。一緒にいて楽しい反面、当たり障りなく波風も立たない、そんなどこか遠慮ある浅い付き合いばかりなのだ。
 だからだろう、敵意をむき出しにされながらも、自分の言いたいことを遠慮なく言い、己の感情を曝け出してガチンコでぶつかってくる獄寺に途轍もなく惹かれてしまったのは。
 無愛想で、頑固で、キレやすく、好き嫌いが明瞭で、言いたい事ははっきり言う。似ているところもあるがほぼ真逆に位置するような、そんな彼の性格も山本には興味深かった。
 そしてもう一つ。頭はかなりいいはずなのに、少し馬鹿なところも。
「でも10代目のは野球バカのとは絶対違いますよ」
「え、いや、同じだと思うよ獄寺君…」
「いえ、大丈夫です!10代目はセーフです!」
「セーフって何が!?」
 拳を握って難解なフォローをする獄寺に綱吉がタジタジになっている。そんな二人を早く屋上へ行こうと促しながら、山本はカラリと笑った。
「はいはい、俺とツナは違うのなー」
「なっ、てめぇバカにしてんのか!?」 
「ご、獄寺君!」
「はははは」
 おまえなんか大嫌いだと、面と向かって言われたこともある。気にしてないと言えば嘘になるし実際結構凹んだが、今はそれでもいいと思うことにした。
 敵意を向けられるのはつまり、それだけ関心もあるということ。それだけまだチャンスがあるということだ。
 まだお互いに知り合えることが沢山ある。衝突を繰り返しながらでも、きっと少しずつ歩み寄っていける。
 気分屋な面もある彼のことだ、そのうちふっと気まぐれで心許すことだってあるかもしれない。綱吉に宥められて気を解している獄寺に山本はそんなことを思った。
「あの瞬間って人に見られるとものすごい恥ずかしいんだよなぁ〜」
「だよなー、俺もさっきすっげぇ笑われた」
 屋上へと向かう道すがら、笑いながら恥ずかしい話を引っ張っていると、獄寺がクッと小さな笑いを漏らした。その時だった。
「アホのくせに寝てっから、あんなダセェことになんだよ」
 山本はドキリとして目を見張った。
 それは本当に彼の気まぐれだった。しょーがない奴だと目を細めた、一瞬の笑顔。
 綱吉に対してではなく、珍しくも一瞬向けられた笑顔はもちろん夢で見たものほど優しくも甘くもなかったけれど。
「―――…」
 嬉しさに強く脈打ち始めた鼓動。ぐんぐんと胸に込み上げてくる甘い感情。自覚するに十分すぎるその衝撃は、屋上へと辿りつくまでに山本を耳まで赤くさせた。

「山本、なんか顔赤いけど大丈夫?熱とかあるんじゃ」
「あ、あぁ大丈夫、なんでもねー…」
「大丈夫っスよ10代目、バカは風邪もひかないらしいっスから」
 メロンパンをムグムグと頬張りながらそんな憎まれ口を叩く獄寺を恨めしそうに見て、山本は小さな溜息を吐いた。
 いまだ冷めやらぬ衝撃。自分の心臓はどこか壊れてしまったに違いない。

(あれ、俺、ダチになりたいんじゃなかったっけ)

 恋の始まりは無愛想な彼が見せた、ほんの一瞬の笑顔だった。



(2007/09/09 up)


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