「…」
「……」
浅い眠りの中、どこからか聞こえてくる話し声に耳を澄ました。聞き覚えのある声が二人、すぐ傍で話しているのがわかる。
「… … …すか?」
「…ああ、そこで寝てる」
声を探っていくうちに自然と目が開いていく。視界に飛び込んできたのは白いカーテンだった。まだぼんやりとした頭で、獄寺は保健室へ寝に来たことを思い出した。
「大丈夫っすかね?なんか具合悪そうだったんで」
「男だから診てねーけど、まぁ問題ないだろ。…心配か?」
身体を起こそうと肘をつくと、頭に鈍い痛みが甦って獄寺は顔を顰めた。ズクンズクンと脈打つような堪らない痛みに、こめかみを押さえて深く息を吐く。寝る前よりも頭痛が酷くなっているような気がした。
「そりゃあ、ダチですから」
「へーえ」
男の声が興味深そうに笑った。自分の過去を良く知る男と、自分にやたらと関わってくる少年と。二人が誰の話をしているのかが何となくわかって妙に落ち着かなくなってくる。
少年が男に対して「なんスか?」と不思議そうに聞き返したと同時に、獄寺は立ち上がって勢いよくカーテンを開けた。
缶ビールを片手にだるそうに椅子に腰掛けた保健医と棚の前に立った少年が一斉に獄寺を見る。やっぱりかと獄寺が目を向けたのは、すっきりと整った顔立ちに黒の短髪が爽やかな少年の方だった。
「おぉ、おはよ獄寺!大丈夫か?」
「やぁっと起きやがったか。…ったく、人がいない間に勝手に潜り込みやがって」
ビールを置いた無精ひげの男が、獄寺の方へと椅子を回して腕組みをする。男なら断固治療拒否、とっとと帰れと唾を付けて追い返す保健医だ。昔のよしみか、叩き起こすことはしなかったものの男に無断でベッドを使われて面白くないのだろう。些か不機嫌な面持ちだったがそんな男を気にも留めることなく、獄寺は少年を見据えた。
「なんで山本がここにいる…」
「ああ、さっきカッターで指ぱっくり切っちまってさ、絆創膏貰いに」
傷ついた左人差し指を見せてニッと笑ったのも束の間、山本は獄寺の異変に気づいた。
「…つーか、獄寺大丈夫か?顔色悪いぜ?」
「うるせぇよ、…っつ」
頭が痛い。くそ、と零して獄寺は額を押さえた。話をされているのが気になって出てきてしまったが、山本が出て行くまで寝ていれば良かったと今になって後悔した。
「シャマル、寝ても頭痛が治まらねぇ…なんか痛み止めくれ」
「…」
気だるそうな身体に頭痛、ただでさえ色白の顔がさらに色を失っている。見るからに貧血だ。大事な成長期に栄養バランスを考えない食生活を送っているのが目に明らかだった。それか暑くなって食欲が失せているのかもしれない。最悪、その両方かもしれなかった。そのうち風邪でも引いて寝込むだろうことは想像に容易かった。
はぁ〜、とシャマルが呆れ混じりの溜息を吐く。
大事な成長期に煙草を吸いまくったりと、昔からこの少年は自分の身体を思いやるということを全く以って知らないのだ。
「隼人、おまえちゃんと自炊してんのか?ファーストフードばっか食ってっからそんなことになるんだよ」
「んなモン食ってねーよ…」
「自炊?」
疑問を発する山本にシャマルが片眉を上げる。
「一人暮らし。知らないのか?」
「え、そうなの?」
「余計なことを言うな」
まだそんなに打ち解けてないのか、つまらないことに眉を吊り上げる銀髪の少年を訝しげに見詰める。ふ〜ん、とシャマルは興味深そうに山本を見た。
「…お城育ちのお坊ちゃんが、自己管理もできねえのに一人暮らしなんかすんなよ」
チッと舌打ちして眉を顰める獄寺にシャマルが鼻を鳴らして笑う。案の定、山本が目を丸くした。
「え、獄寺の家って城なのか?」
「家は関係ねえだろ!ちょっと頭痛いだけで大げさなんだよ!!」
怒鳴ったのが頭に響いたのだろう、片手で額を掴むように押さえた獄寺は低く唸って上体を屈めた。ベッドに座り込んでしまった獄寺を見て、山本が心配そうに眉を下げる。
「なぁ獄寺、帰ってちゃんと寝たほうがいいんじゃねーか?俺、かばん持ってきてやるけど」
「いらねぇ」
「あ、その前に俺んちでメシ食おうぜ?なんならそのままうちで寝てもいいし」
「しつけぇぞ」
にべもないその返答に肩を竦めたのは端で聞いているシャマルだった。相手は何も警戒するような人間ではない。適当に好意に甘えればよいものを、何をそんな頑なに拒んでいるのか首を傾げてしまう。そして、首を傾げたいことがもう一つ。シャマルは背の高い黒髪の少年を見遣った。
「けどよー、すげぇ心配じゃん。なんか獄寺、今にも頭の血管切れそうだし、倒れそうだし」
「おまえが黙りゃあ頭の血管は切れねえよ!!…〜〜っ」
「…大丈夫か?」
露骨な突っぱねをものともせずに受け止め、ケロリとして普通に相手をしている。獄寺が弱っているせいか、それとも対応に慣れきっているのか、それとも素でコレなのかよくわからない。なんにせよ、なかなか面白い組み合わせじゃないかとシャマルは二人を見比べた。
「俺やっぱ心配だからさ、家まで送って」
「うるせえって言ってんだろッ!オレに構うな!」
「でもよー」
放っておけばエンドレスで続きそうな応酬だ。しかも山本が喋るほどに獄寺の頭痛が酷くなっていくという悪循環付きで、聞いてる方がうんざりしてくる。
シャマルは腰を上げると二人の間に割って入った。
「あーハイハイ、とりあえずコイツは俺に任せておまえは戻りな。それで、終わったらコイツの荷物持ってきてやってくれ」
「あ、はい、じゃあそうします」
「オイ、何勝手に」
「おまえは座ってろ、隼人」
立ち上がろうとする獄寺の肩を押さえて制止する。シャマルは「あとは大丈夫だ」と山本に早く戻るよう促した。絆創膏を手に、少年が素直に了承する。
「じゃ、終わったら荷物持ってくっからな!」
最後に獄寺に手を振って山本は教室へと戻っていった。
ふー…と長い溜息を吐いて髭もまばらな顎を掻く。シャマルは再び腰を下ろして銀髪の少年と向かいあった。獄寺は低く項垂れた頭を両手で支えて、じっと痛みに耐えている。
「隼人おまえよー…そんなんじゃせっかく出来たダチもいなくなるぞ?」
「ダチじゃねえ」
「オイオイ、あいつはダチだっつってたぜ?」
「自称だろ、ダチじゃねえよ」
痛む頭を緩く振って断固否定する少年にシャマルは眉を顰めた。
「…アイツと何かあったのか?」
だとすれば先程の拒絶や酷い態度も少しは理解が出来よう。しかし獄寺は再び頭を緩く振った。
「別に何もねぇけど嫌いなんだよ、迷惑だっつってんのにいちいち構ってきてウゼぇし」
なんだそら、と男は呆れ果てた。生理的に受け付けないタイプなのか?と考え、ふと別の原因にも思い当たって視線を落とす。
溜息を吐き、シャマルはガリガリと頭を掻いた。
「は〜…ガキだなぁ、おまえ。さっきの少年のがよっぽど大人じゃねーの」
「なっ」
カッとなって上げた顔が苦痛に歪む。下唇を噛んで少しのあいだ痛みの波に堪えると、獄寺はジロリと男を睨んだ。
「俺は嫌いじゃねーけどな、ああいうバカで柔軟そうなやつ」
まぁちょっと部品足りてない感じはするけど、扱いやすいし。と言葉を継ぎ、少年に向かって軽く人差し指を向ける。
「お前は逆だ、勉強出来ても頭が固い。だから、ああいうやつが一緒にいると色々と為になるってもんだ。…あんまり邪険にしてやんなよ」
「野球バカといて為になることなんて何もねえよ」
不機嫌に言い切る獄寺にシャマルは再び溜息を漏らした。
「だからお前はガキだっつってんだ」
不自由ない城の暮らしで、この少年に唯一足りなかったもの。それは5年以上もの長い時を経た今になっても変わっていない。
「いいか?人ってのはな、ダイヤモンドと一緒なのよ」
「は?」
お得意の口説き文句でも伝授する気かと、うさんくさいものでも見るように獄寺が半眼になる。いいから聞け、とシャマルは腕を組んで口の端を上げた。
「ダイヤってのは何で磨かれるか知ってるか?」
不審の目で男を見た獄寺は、しばらくして静かに答えた。
「…ダイヤだろ」
「E' vero. それと一緒だ」
男のしたり顔も虚しく、眉間に皺を寄せた獄寺が首を傾げる。
「だから何だよ、意味わかんねぇんだよ」
「おまえなぁ、そこまでわかって何でわかんねぇんだよ」
がっくりと肩を落とし、しょうがねぇなーと零してシャマルは少年の目を見た。
「人も人でしか磨けねえ、ってことだ」
「…」
あの大きな居城の中、少年を取り巻いていたのは、上か下、敵か味方に二分された世界だった。
歳の近い者もいなければ、対等と呼べるものは何もなかった。ピアノや勉学、礼儀や作法は学んでも、対等な人付き合いは一切学べなかった。
おそらく、城を飛び出してからもそれは変わらなかっただろう。
誰も信用せず、日本へくるまでずっと一匹狼でやってきたと聞く。それまでに出会った者の殆どを敵と見做して拒んできたに違いない。
そこから磨かれていくものを知らずに、その術を自ら放棄しながら少年は孤独に生きてきた。
この少年に、今もなお欠けたままの大事なもの。
「ちったぁ横の繋がりも作ってみやがれ。おまえ、一人でやってく気じゃねえんだろ?ファミリーに入ってやっていくんなら尚更だろうが」
眉を歪め、睫毛を伏せてしばらく黙り込んだ獄寺が、何か言いかけて薄く開いた唇を…キュッと引き結んだ。
「ダチなんて必要ねぇよ…まして山本なんか」
言い捨てて、立ち上がった獄寺はドアへと向かって歩き出した。
「おーい、どこに行く」
「帰って寝るんだよ」
昔はもっと素直で可愛かったのにねえ。心の中で呟き、引き出しの中から錠剤を取り出してシャマルは少年の後を追った。
ドアの縁に背中を預け、廊下を歩く頼りない背中に呼びかける。
「隼人」
足を止めた獄寺が、ゆっくりと男を振り返った。見ると、小さなPTPシートに入った錠剤を指に挟んで見せている。
「履き違えんなよ、おまえのそれは強さとは言わねえ」
それと忘れモンだ。そう言って投げられた錠剤を獄寺は危なげにキャッチした。
「鎮痛剤だ、メシ食ってから飲め。ちゃんと栄養のあるモン食えよ?とりあえず魚でも食うんだな」
「…」
顔を上げた時にはもう、男の姿は保健室へと消えていた。
受け取った薬を握り締めると、硬いシートが皮膚に強く食い込んだ。
女タラシでふざけたところがあっても、昔から、シャマルの言うことはいつも正しかった。
(くそ…っ)
頭痛は、酷くなるばかりだった。
(2007/09/09 up)
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