「悪りぃな、待たせちまって」
リビングとは違い、メインに使っている部屋にはやはり生活感があった。下を見ればベルトや携帯の充電器、学校の鞄が転がり、パソコンデスクの端には教科書が積まれて、チェストの上には指輪やバングルやネックレスが大量に置かれていた。部屋の奥にある半分開いたままのクローゼットからはシャツやジャケット何着も見え、Tシャツやズボンが無造作に置かれていたりと、とにかく服が多いのが目立った。
「これ、薬飲む水な。あとコップ一個足んなかったからこれ使わせてもらうな」
マグカップを見せると、「ああ」と短い返事が返ってくる。綱吉が茶のペットボトルを開栓した。
「オレお茶いれるよ」
何もしなくていいからと言われて手持ち無沙汰なせいか、獄寺は少し居心地が悪そうに黙り込んでいた。やがて茶が汲まれ、寿司がテーブルに置かれるとベッドからずり降りて、ぐったりとベッドに凭れながらテーブルの前に座った。
「親父がさ、体力つけるなら鰻がいいだろって、獄寺のは鰻が多めに入ってんだけど鰻大丈夫か?苦手だったら俺のと換えるけど」
「いや…食える」
しんどそうだが食欲はちゃんとあるようだ。押し入った手前少し不安もあったが、素直な応答が聞けて山本はホッとした。
「よし、そんじゃあ」
準備が整ったのを確認して、いただきます、と三人は手を合わせた。好物を前に、各々がいそいそと醤油を掛け始める。
「一人暮らしってカッコイイけど大変そうだよね、獄寺君は家事とかどうしてんの?洗濯とか」
「洗濯、っスか…テキトーにやってますよ。掃除なんかは気が向いたらやりますね」
ぱきっと割り箸を割りながらそう言った獄寺に、綱吉が感嘆の息を漏らす。
「はぁ〜、偉いなぁ獄寺君…オレなんて洗濯の仕方すらわかんないよ」
「仕方っつっても、洗剤入れてボタン押すだけじゃね?」
「そうなの?」
首を捻って思い出す。母は洗濯機にホースを突っ込んで風呂へと繋いだりと何だかややこしいことをしてたような気がするが、山本の発言に獄寺も頷いたので基本的にはそうなのかもしれない。でも、と綱吉は続けた。
「干したりとかも大変そうだしさ」
「あぁ、最近のは乾燥までやるんでそんな干さなくていいんスよ」
笑顔で告げられた最先端情報に、凄い時代になったもんだと綱吉は開眼した。
「そうなんだ!うちはまだ干してるなぁ…ランボ達が来てからまた量も増えてる気がするし」
「ははは、ツナん家は賑やかでいいよなぁ」
「よ、よくないよ!うるさいだけだって」
今やTVも薄型の時代、沢田家はまだまだ旧式で頑張っている。時代遅れはうちだけかな、と気になった綱吉が山本に訊ねた。
「山本ん家も干さないでいいやつ?」
「いーや、俺が干してっけど」
「え!?山本が干してんの!?」
綱吉は度肝を抜かれて声を上げた。盛大に驚かれて山本が苦笑いをする。
「俺んち、親父と二人だからなぁ。洗濯干すのと風呂掃除は俺の担当だぜ?たまーに忘れて怒られっけど」
「け、けど山本、学校あって部活もやってるのにいつそんな時間あんの?」
「ああ、朝練行く前とか。親父がメシ用意してる間にぱぱっと…まぁ、毎日じゃねーし二人分なんてすぐだしな」
カラリと笑って愚痴一つ零さない山本に綱吉は心底感心した。少しお遣いを頼まれただけでぶーぶー言う自分とは大違いだ。
「なんか、二人ともめちゃくちゃ偉いね…オレなんか手伝いとか全然…してない、のになんか…一番、ダメだし…」
いや、してないのが駄目なのか。二人と比べて綱吉がずーんと凹んでいく。
山本は「おいおい、そんなことねーって」と綱吉の背を叩き、獄寺はバンッと箸を置いてうろたえた。
「な、何を仰るんスか10代目!こんなの、やらなきゃならないからやってるだけで全然偉くなんてないっスよ!!」
「そーそー、やろうと思えば誰でも出来ることだし、やらないでいいならそれに越したことないんじゃね?男だしさ、俺も大したことしてねーし」
「そうっスよ、洗濯干すのなんてアホでも出来てますし全然大したことじゃないですから」
「あ、ひでぇ」
「おまえが自分で言ったんだろーが」
「いや、あの、オレもちょっとは二人を見習うよ…」
二人の応酬に弱ったように眉を下げて、綱吉は苦笑いをした。
「10代目、今日はありがとうございました」
「獄寺君、寝てないとダメだって」
食後にシャマルが処方した薬を飲ませ、あとはゆっくりと寝ていて欲しいと言うのに獄寺は頑として聞かなかった。
「いえ、せめて玄関までお見送りさせて下さい。じゃないとかえって寝れないっス」
「熱があるのにそんな無理しなくても」
「これくらい大丈夫っスよ!」
「いや、でも」
帰りでもまたもたついてる二人に山本は噴出した。
「本人の気が済まないんじゃしょうがねえって。玄関までならいいんじゃね?すぐそこだし」
山本が笑ってそう言うと綱吉もしぶしぶ納得した。
すぐそこまでの短い距離を、熱のある病人が後ろからついて行く。
靴を履き終えた綱吉が玄関のドアを開けると、獄寺は恭しくぺこりと頭を下げた。
「10代目、どうぞお気をつけて!!」
「う、うん、獄寺君もお大事に」
「じゃあ大事にな」
靴の踵に引っ掛けた指を離し、トントンと爪先で地面を叩きながら山本が軽く手を上げた。
「…」
獄寺は苦い顔でぐっと下唇を噛んだ。
(まだ山本に礼を言ってねぇ…)
たった一言、一言でいいのに、それが言えなかった。
頼んだわけじゃなくても、余計なお世話でも、嫌いでも、世話になった以上は謝意を表するのが礼儀だとは解っている。
けれど、喉から声が出てこない。胸の中のどす黒い気持ちが邪魔して言う気になれなかった。
10代目、オレ…――― ガキですかね。
目を丸くして、酷く驚いた顔をしていた。自分でも何故あんなことを言ってしまったのかわからない。
ただ、無性に心苦しくなって、気づけば勝手に口から零れていた。きっと、酷く情けない顔をしていただろう。
『ありがとうって言えたら、大丈夫じゃないかな』
顔を上げると、彼はいつもの表情に戻っていた。それから、少し笑った。
正直、聞いた時はそれがどういうことなのかよくわからなかった。その時はただ、礼儀としてすべきことを示されたのだと。
でも実際、こんなにも喉に引っ掛かって出てこないことを考えれば、あれは何かを見通しての言葉だったのかもしれない。
「あーいけね、大事なモン忘れるとこだった。ツナ、ちょっとだけ待った」
出て行く寸前で、何かを思い出した山本が背中でドアを押し止めながら鞄の中をゴソゴソと探り始める。
あった!と言って目の前に出されたのは、『冷却ジェルシート(2枚入)』だった。
「念のために家から持ってきたんだよな。デコに貼って寝ろよ」
「…」
良く知りもしないうちから、気に入らない奴だと思った。何かあったわけでも、何をされたわけでもない。ただ漠然と、嫌な感じがしたのだ。
一体、コイツの何が嫌いなんだろう。何がイヤなんだろう。
鬱陶しいところ?能天気なところ?誰にでもいい顔して笑えるところか?それとも、10代目にやけに信頼されてるところ?
(…違う、気がする)
いや、確かにそれもあるとは思うけれど。
それだけじゃない。でもそれがわからない。何がこんなにも意固地にさせているのか、その理由が。
眉を顰めて視線を落とす獄寺に首を傾げ、山本は袋の封を少し開けながらニッと笑った。
「俺が今貼ってやろうか?」
「あ、アホか、自分で貼れる!」
ぱしっと荒っぽく小さな袋を奪い取ると、「そっか?」と山本は軽く笑った。
ドアを押し止めていた身体が離れ、微かにキィっと軋んだ音が鳴る。それじゃあな、そう言って笑顔を見せた山本が静かに玄関のドアを閉めた。
礼を言われぬことに、不満な顔ひとつしないまま。
バタン。重い音を立てて、ドアが外界を遮断した。
ぽたりと落ちた一滴の雫が、心の水面に大きな波紋を描いていく。
シンと静かになった玄関で、少しずつ遠ざかっていく二人の足音を聞きながら獄寺はグッと強く拳を握った。
(なんでだ、なんで…)
綱吉には言って、山本には一言も、あんなにもあからさまに言わなかった。
(普通ムカつくだろ!?礼の一つくらい言えねぇのかって…なんであんな笑ってられんだよ!?信じらんねぇ…!!)
胸の中の、黒いモヤモヤとした気持ちが暴れ始める。どう対処すれば良いかわからず酷くもどかしかった。熱で体力が消耗してさえなければ確実に物に当たっていただろう。
(あんなモン、柔軟だとかそんなレベルじゃねえよ!完璧に頭オカシイだろ!!)
心の中で、怒りの矛先を彼に向けながら、
(神経通ってねぇんじゃねえのか!?)
自分の拙さを、不器用さを、無骨な自尊心を、ずるずると目の前に引きずり出された気持ちになって堪らなかった。
「……っ」
なぜ、山本のことが気に入らないのかわかった気がした。
(くそ…っ!!)
熱のせいか、いつもよりやけに重いドアをグッと押し開ける。暗い廊下に玄関の明かりがすぅっと広がっていく。長い廊下の途中、ドアの開く微かな音を拾って山本が振り向いた。
急に足を止めた少年に気づいて綱吉も振り返る。驚きに目を見開いた二人に、獄寺は巨大で果てしなく高い難関を見た気がした。
「獄寺?どうしたんだ?」
「…山本」
呼ばれて、山本が急いで廊下を引き返す。身体に重く押し掛かるドアが急に軽くなって獄寺は少しふらついた。ドアを支えながら「戻れないくらい、辛いのか?」と問う真剣な声に、無言で首を振る。
山本を前に、あ…、と一音を発してから長い間が空いた。
「?」
辛そうに眉を歪め、やけに切り出しにくそうな獄寺に首を傾げる。山本は、ついさっき渡した冷却ジェルシートが左手に持たれたままなのを目にして、「ああ」と笑ってそれに手を伸した。
「なんだよ、やっぱ貼って欲しいとか?それならそうと言ってくれればよー」
「ち、違う!!」
取られた袋をまた奪い返して、獄寺は溜息を吐いた。間抜けな勘違いのおかげか、緊張が一気に緩んで力が抜けていく。もう、余計なことは何も考えないようにした。
「…ありがとう」
言ってから、湯気が出そうなくらい顔が熱くなった。自分でもわかるほどに赤くなった顔を俯かせ、熱く感じるのは熱が出てるせいだと心の中で何度も繰り返して、死ぬほど恥ずかしい気持ちを紛らわす。
「すげぇ、助かった」
予定に全く無かった二言目が自然と口から出てきた時、獄寺は何か大きな壁を越えた気がした。
「それが言いたかっただけだ…悪かったな、引き止めて」
「―――…」
無言の中、痛いほどの視線を感じて目を上げると山本が耳まで真っ赤になって凝視していた。目が合った途端に視線が下へと逸らされ、赤くなった顔を片手で隠すように覆っては今度は額を押さえたりと何やら落ち着かない。
「あ、あの……、えっと」
「……」
(なんだこの空気)
恥ずかしい思いをしたのはこっちのはずなのに、それ以上に気恥ずかしそうにしている山本に不可解に眉を寄せる。
口籠って一度押さえた口元から、山本はそっと手を放した。
「俺も…すげー、来て良かった」
そう言って、頬を赤くしたまま照れくさそうに「へへっ」と笑う。不思議だ、と獄寺は瞬いた。彼の笑った顔などいくらでも見てるはずなのに、初めて見たような気持ちがした。
「おやすみ。ゆっくり寝ろよな」
「……ああ」
戻っていく背中の向こうに綱吉の姿があった。一人そこで待っていたのはやはり慮りあってのことだろうか。真実はどうあれ、そうとしか考えられなくて獄寺は頭が下がった。山本が合流すると、彼は暗夜の中、最後に軽く手を振って再び背を向けた。
(終わった)
玄関を閉めた後、すぐ横の壁に背中を預けると力無くずるずるとしゃがみ込んだ。
(あれで、いいんだよな)
たった2分ほどの出来事。気持ちが頑なに拒んであれほど困難に感じていたことが、こんなにも呆気なく出来てしまった。膝の上に腕を乗せ、がくりと頭を垂れる。
下らない自尊心ばかり気にして、今まで出来なかったのはたったこれしきのこと。
(何やってんだオレ…)
波紋はいまだ治まらず、余韻の波を残したまま、緩やかに心の縁を叩いている。
前髪をクシャりと掴んで長い溜息を吐いた。酷く疲れていて、早くベッドで眠りたかった。
(2007/09/16 up)
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