日に日に暑さが増してくる。
 最近になって、学校中の木という木から蝉がミンミンとうるさく鳴き始めた。校舎内にいる時はまだマシだったが、一度外に出ると蝉の大合唱が耳障りでならない。
 購買部へと向かって外の渡り廊下に出た獄寺は、朝よりもさらに高くなっている外気温にげんなりとした。一応屋根があって日陰になっているのに地面からの照り返しの熱は厳しく、喧しい鳴き声が鼓膜を衝けば自然と眉間に皺も寄る。
(たまんねぇなこの暑さは)
 しかも風が全くないから余計に暑く感じる。空を見ればそれはもう見事な晴天で、陽を隠してくれる雲一つない。独擅場で地上を照りつけてくる真昼の太陽に焼き殺す気かと叫びたくなる。
 まだ纏わりつくような嫌な湿気が無いことだけが救いだろうか。今日のようなカラッとした夏の暑さなら母国イタリアでもさして変わらない。ただ雨が続いた日は蒸し暑くて本当に堪らなかった。7月も半ばになって、ここ何日かは晴天が続いているので梅雨明けも間近だろう。
「あ"っちぃなちくしょう…」
 言えばもっと暑くなる気がするのはわかっていたが、言わずにいられなかった。
 カキン!と聞き覚えのある音が耳に届く。渡り廊下からはグラウンドが一望でき、野球部の練習の様子が良く見えた。大会が近いらしい野球部は、土曜日も朝から練習に余念が無い。燦々と降り注ぐ太陽の下、まるでフライパン状態のグラウンドでひたすらに打撃・投球練習を繰り返している。
 (クソ暑いのによくやるぜ全く…)と歩きながらそれを眺め、(…いねぇな)と心の中で呟く。
 目はそんなに良いほうじゃないが、遠くとも一目でわかった。背の高い少年は中に何人かいたが目に留まる体型がいない。よく似た体格の少年も足の長さの違いで弾かれ、他の少年も背が高い分ごつかったり、どこか肉厚な感じでスレンダーさに欠ける。こうして見ると、今いない人物のスタイルの良さがよくわかる。定評ある少年の能天気な笑顔が頭に過ぎってムッとした。
「チ…ッ」
 やはりムカついて軽く舌打ちをした獄寺は、グラウンドから目を背けると購買部へと急いだ。

 あれ以来。
 山本に対する意識が少し変わり、邪険に突き放すようなことがなくなった。嫌いなのは相変わらずだったがそれも以前ほどではなく、苦手ながら、話しかけられれば少しはまともな会話をするようになった。
 山本ほど、性懲りもなく執拗に接してくる人間がいなかったなら…おそらくずっと何も変わらないままだったかもしれない。
 不本意にも気付かされてしまったのだ。彼の好意的な態度を疎ましく思うのは、そこに認めたくないものを見てしまうからだと。『山本武』は、自分の中の歪んだ固定観念を水底に映し出す雨であり、また乗り越えるべき壁なのだ。
『…ありがとう』
 今でも思い出すと胸がもどかしくなる。怒りが先立てばすぐに反発しがちな自分にとって、怒りを伴いながらもひどく抗い難い、あんな気持ちになったのは初めてだった。
 心の中で幾重にも広がった波紋。しかし、山本が起したそれがきっかけで心の奥に沈潜していた素直な気持ちを掬い出せた。ああして衝動に駆られでもしなければ、きっと掬おうともしなかった感情。あれは自分に必要なことだったと、今はそう思える。
 シャマルの言う通り、もう一人でやっていくわけではない。孤独を抱き、人を撥ねつけて生きるのはもう終わりにしなければ。辛酸を嘗め続けた過去から一転、次期ボンゴレに出会って道は大きく開けたのだから。
 今はここにいないボスに思い馳せる。迷いなく全身全霊を捧げられる唯一の存在。ようやく見つけた自分の居場所。そう、全てはあの人の為に。
 今、この手に不足しているもの。ここへきて、ボンゴレファミリーという巨大な組織の中で次期ボスの右腕として生きていくために今、どうしても会得しなければならないものを知った。巡りくる機会を尽く放棄し、殆ど培われなかったために輪をかけて不得手となってしまったものだ。
 他人を受け入れ、歩み寄り、理解し、認め、繋がりを保っていく術。
 あの日、怒りと苛立ちの際で掬い出せたあれは、おそらく今の自分に何よりも必要なものだろう。
 山本といると決して良い気分にはなれない。毎度顔を顰めてしまう自分がいる。けれど、人付き合いの術に長けた山本と一緒にいることは、今の自分に必要なことだと思うようになった。
 嫌いだと思う気持ちと、少しずつ湧きはじめた彼への興味と。山本に対する気持ちは複雑で、不思議で、少し難儀なものだった。

 購買部に到着してポケットから小銭を取り出す。獄寺が必要な硬貨をカウンターへと置くと、その音で冷蔵のショーケースにドリンクを補充していた店員が振り向いた。
「はい、いらっしゃい」
「ウーロン茶」
「あら、ごめんなさいねぇ、さっきテニス部の子達が冷えたお茶全部買っていっちゃって…今からまた冷やすとこなの。温いのはダメよね?ジュースなら冷えてるのがあるんだけど」
 優しく微笑んで、中年の女性店員が少し眉を下げる。あんだと?と獄寺は眉間に皺を寄せた。
 この暑いのに温いお茶など問題外だ。ジュースでも良かったが、ここの購買は果汁100%で酸味の強いオレンジと甘ったるいリンゴジュースしか置いておらず、どちらもあまり気が進まない。微妙な選択肢に獄寺は決めかねた。
「あー…ポカリは?」
「うーん、それもさっき全部出ちゃったかな…あ、一本あった」
 ジュースの陰に隠れていたドリンクがひょいと取り出される。カウンターへドリンクを置いた店員は、硬貨を確認してにこりと微笑んだ。
「ちょうどね。ありがとう」
「おー、獄寺だ!すっげぇ奇遇じゃん」
 ドリンクを手にしながら、今や慣れてしまった声に視線を遣る。見ると、ユニフォームを着た山本がこちらへと向かいながらヒラヒラと手を振っていた。先入観も多少あるだろうが、高身長な上に鍛えているだけあってユニフォーム姿が様になっている。やはり、と改めて全身を眺めて思う。山本は、スタイルの良さだけは素直に認めてやってもいいかもしれない。
「…いたのか」
「ん?土曜はいつも練習出てっけど?」
「グラウンドにいなかっただろ」
 ああ、と山本が弱ったように笑う。
「ちょっと呼び出しくっててさ。大事な大会前に一人怪我しちまったからメンバーの調整があって」
 大会とは夏休み最初に行われる県大会のことだ。夏休み中に行われる大会は3つあり、勝ち進んでいけば野球部は夏休み全部を大会に捧げる事となる。
(七夕ん時に言ってたアレか)
 ふーん…、と獄寺は軽く相槌を打った。
 最終は全国大会だというのに、笹に書いた願い事が『県大会ベスト4』というあたり、並盛中野球部の強さが知れる。私立のように設備の整った学校ではないから当然かもしれないが。
「そんでよー、こんな直前でいきなりショート守れって言われてさ、これからみっちり扱かれんだよな」
 ショートはちょっと苦手だからなぁ、と零す山本に、獄寺は片眉を上げた。
「何おまえ、ピッチャーじゃねぇの?」
 山本の投球は過去に何回か見ている。肩の良さ、コントロールの良さを考えれば当然それしかないと思っていた。
 一瞬きょとっとして、山本が苦笑いをする。
「さすがに2年で花形には付けないのなー」
 実力があっても年功序列には負けるらしい。上の学年で山本以上の男がいるのかもしれなかったが、意外な事実に獄寺は口を引き垂れた。さらにもう一つ訊ねてみる。
「打順は」
「3番」
 確かバッティングもかなり良かったんじゃないかと思うが良くは知らない。あれだけ野球に打ち込んでいて実力もあるはずなのに、全く『一番』をとれていない山本が意外だった。面白いネタを前に、ふん、と鼻で嗤う。
「ピッチャーでも4番打者でもないんじゃ、おまえも知れてるな?」
「なっ」
 ドスッと心にナイフを刺され、山本はショックのあまりに絶句した。次の瞬間、力いっぱい否定の声を上げて迫る。
「そ、そんなことねぇよッ!!ショートは内野の要だし、3番だってすげぇ肝心な」
「へー…」
 野球のルールはあまり知らなかった獄寺だったが、体育の授業があってからすっかり覚えた。勉強を教えてくれるせめてものお返しだと言って、他のメンバーの試合を見ながら綱吉と山本が二人で教えたのだ。その道を行っているとはいえ、山本にモノを教わるのは獄寺にとってはかなり癪なことだったが、これも試練だとそこはグッと我慢した。ルールを聞いてもやはりあまり興味は持てなかったが、山本然り、ハマる奴はハマるんだろうなという納得はできた。
「うわ、全然信じてないだろ!?ほんとだって獄寺!!」
 何をそこまで必死になって納得させようとするのか、妙に可笑しくなって、獄寺は呆れた顔で噴出した。
「そのくらい知ってるっての、ムキになってんじゃねーよ」
 よく打球が飛んでくるショートは言わば内野守備の花形だ。3番もクリーンアップで強打者の位置であり、大リーグじゃ4番より重要視されるとも聞く。山本は認められてないわけじゃない。ただ単に学年が邪魔をしているのだろう。
「……」
 少し笑みを見せた獄寺を、山本が嬉しそうな顔でじっと見つめる。黙って見つめながら頬を緩めている山本に気付いて、獄寺はお馴染みの顰めっ面に戻った。
「何見てんだよ」
「いーや、なんでも」
 さっきまで喚いていたかと思えば突然ニコニコ笑ったりと獄寺には意味がわからない。ただ、山本に嬉しそうな顔をされると妙に憎らしかった。
「そういや獄寺、なんで学校いんの?今日休みなのに」
 訊いてすぐ、「あぁ」と言って山本は思い出した。今回は欠点ギリギリで居残りを免れたから失念していたが、親友は居残りに加えて土曜に補習テストを言い渡されていたはずだ。
「補習テスト今日だっけ。どうだよツナは?いけそうだったか?」
 小銭を手に、カウンターへと向かう山本に獄寺は場所を空けた。ただ話しかけにここへ来たのかと思っていたら、ちゃんと購買に用事があったらしい。
「当たりめぇだ」
「獄寺センセーがついてんもんな!おばちゃん、俺もポカリ」
 ははっと笑って山本はカウンターに硬貨を置いた。あらー、と困ったように微笑んだ店員が、山本に示すように獄寺の持つドリンクに視線を向ける。
「ごめんねー、最後の一本、今出ちゃったのよ。他のならあるんだけど」
 お茶もまだ温くてねぇ、今はジュースなら冷えてるんだけど…と言われる横で、獄寺がパキッとドリンクの蓋を開栓した。 
「ご、獄寺!ストップ!!」
「…あんだよ」
 今まさに口を付けんとする寸前で止められて、獄寺は不機嫌に眉を寄せた。
「俺、ジュース買うから交換してくんね?」
「アホか、嫌に決まってんだろ…てめぇは牛乳でも飲んでろ」
「今日の分の牛乳はもう飲んだんだ!頼む、これから練習だしそれじゃないと俺、暑くて死んじゃうって」
 ぱん!と両手を合わせる山本に、獄寺は半眼になった。
 確かに、スポーツドリンクはお茶やジュースに比べて水分が体内に吸収されやすいように作られている。こんな猛暑だ、運動選手にとっては命の水に違いない。
 ましてお茶も温く、果汁100%のジュースしかない今の状況では尚更これが欲しいことだろう。
「…」
 人と歩み寄るということ。今どうすれば山本が喜ぶかはよくわかっている。けれどそう簡単に喜ばせるほど、山本に優しくはなれない。
「ちょうどいい、死ね」
 懇願する少年を横目に、獄寺はぐいっとペットボトルを呷った。
「あ"ーーーっ!!」
 ひでぇよ獄寺…!!あんなに頼んだのに〜…!前屈みに両膝を掴んで、山本ががっくりと項垂れる。いい凹みっぷりだ。こいつを苛めるのは結構楽しいかもしれない。ふっと軽く笑って獄寺はペットボトルから口を離した。
 呷ったのは真似だったから中身はまだ3分の2以上残っている。優しくなどしたくないとはいえ、状況を考えれば自分とてそこまで鬼じゃない。獄寺はキュッと蓋を閉めて、項垂れる山本の後頭部にゴン!とペットボトルを置いた。
「!?」
「やる、こんだけありゃ十分だろ」
 頭に置かれた冷たいドリンクに山本が手を伸ばす。掴んだと同時に手を離して、獄寺はふいっと背を向けて歩き出した。
「こないだの礼だ。それに、おまえが倒れでもしたら10代目が心配なさるからな。まぁ精々、貴重な残りを大事に飲…」
 そして最後に山本を一瞥しようと振り向いた瞬間、ぎょっと目を疑った。
「…オイ」
 やったそばから蓋を開けて、山本が今にも飲み干さんとする勢いでドリンクをグビグビと呷っている。折角の計らいもドリンクの残量とともに空しく消えていく。
「おまえ、アホだろ…」
 ぷは、とドリンクを全て飲み干した山本は赤い頬を緩めてにへっと笑った。
「へへっ、獄寺と間接チュー」
「な!?」
「おっし!すげぇ元気出た俺!…あ、おばちゃん、オレンジジュース」
「はーい」
 にっこり微笑んだ店員がショーケースからオレンジジュースを取り出した。カウンターでのやり取りを見ながら獄寺は呆然と脱力する。
「はい、ちょうどね。ありがとう」
 ジュースと空のペットボトルを両手に、至極ご機嫌な顔で山本がくるりと振り向く。獄寺の呆れは次の瞬間、滾るような怒りへと変わった。
「て…てんめぇえええッ!!!飲めたら何でも良かったんじゃねえか!何が間接チューだふざけやがって!!」
 ガッと胸倉を掴んで今にも殴りかからんとする獄寺に、山本がペットボトルを持ったまま遮るように両手を上げた。
「え、違うって!まじでポカリじゃないとダメだったんだって!」
「オレンジジュース買ってんじゃねーかよッ!!」
「や、あれじゃ足りねぇなーと思って…あ、獄寺も飲む?っていうか一口飲んで?」
 パキッ、と開栓したジュースを目の前に持ってこられ、獄寺は半眼になった。先程ののゾッとするような発言といい、何だか嫌な予感がして訊ねてみる。
「…なんで」
「俺のテンション上がるから」
(やっぱりか!!!)
 ブチッとこめかみの血管がキレた。掴んでいた胸倉を押し飛ばすように放す。
「気色悪りぃんだよ!果てろ!アホが!!」
「はははははッ!冗談だって!」
(…コイツ、やっぱ嫌いだ!)
 楽しそうに腹を抱えて笑う山本のその一言に、一層ムカっとする。これ以上話したくなくて、獄寺は背を向けてどすどすと歩き出した。
(山本のくせに!!アホのくせに!!)
 話せば腹が立つばかりで、一緒にいて本当に為になるんだろうかと自分の出した考えが疑問に思えてくる。
「獄寺!」
 胸のイライラが治まらぬ中、やけに嬉しそうな声で呼ばれて足を止めた獄寺は、苛立ち一杯に山本を睨みつけた。
「これ、ありがとうな!」
 空のペットボトルをぶんぶんと振って山本が笑う。
「…」
 相手の険など物ともせずに真綿のように柔らかな笑顔まで添え、なんでもない事のように、単純さながら素直に紡ぎだされるその一言に溜息が出た。何かと癇に障って嫌いだが…見習うべきものは、確かにそこにある。
「勘違いすんなッ、別にてめぇのためじゃねえ!」
 一歩前進してはまた一歩後退し。
 まるで自分の拙さを体現するかのように苦笑いを浮かべた山本が、「ツナによろしくな!」と最後に手を振った。



(2007/09/22 up)


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