「年上の女だな?」
そう低く言って、少年はスッと目を凝らした。
「しかも、おまえで恋愛対象にならないってことはかなり年上…大学生ぐらいか?」
「…」
「そして男がいる。オレの女に近づくなと殴られた、そうだろ?」
「…」
見事に掠ってもいない推理をして、どうだと言わんばかりに少年は山本を指差した。
当てられても困ったが、これまた違った形でハードな恋をしていることになってしまった。たったあれだけの情報から生まれたストーリーに、いっそすごい想像力だと感心する。山本が感心して黙っている間にその推理で話が纏まってしまったらしく、少年は頷いて山本の背を叩いた。
「わかるぜ山本…オレも3つ上の幼馴染の姉ちゃんが好きだったけど、どう頑張っても弟的な感じにしか見てくれなくてさ…そうこうしてるうちに彼氏が出来ちまってジ・エンドだ」
恋愛対象にならなかった、という点においては同じ事例が山本の耳に止まった。
「それ、どうやって吹っ切ったんだ」
失恋の話を振って一番聞きたかったこと。その真剣な声色から少年もそれを察したのだろう、ああ、と言って苦笑いをした。
「そういうさ、どうにもなんねーことって時間が解決してくれるっていうだろ?オレもすんげー引き摺ったけど…やっぱ時間が経つにつれてマシになってったていうかさ。それに神様ってのはちゃんと見てくれてるんだよな!健気に頑張ってりゃ、次の新たな出会いが待ってるもんだぜ!」
確信を持ってそう言った少年には今、好きな女の子がいる。もちろんそれは山本も知っていた。
「あぁ、1年のマネージャー」
「そう、新しい恋がオレをどん底から救った!…おまえもさ、今は辛いかもしんねぇけど、頑張ってれば絶対次があるって!な!」
「…」
少年が放つ尤もな意見が力強く背中を押す。フラれて駄目でも次がある。きっと時間が解決してくれる。だから、今は辛くても大丈夫。がんばれ。
それは何よりの慰めに違いなかった。しかし、頭では理解できているのに、背を押されても頑なに心は動かない。温かい慰めはどうしても飲み込めず、むしろ苦しかった。
そうか、と山本は納得する。
どれだけ見込みがなくても。答えが判っていても。それが相手にとって一番のことでも。それでも。
(俺は、諦めたくないのか)
人はそれを気概というだろうか、子供というだろうか。
『二度と、オレに触んな』
結果は火を見るよりも明らかだ。気持ちを伝えても彼は手に入らない。さらには歩み寄る足を止めて背を向けるだろう。そうなれば、もう二度と取り返しがつかない。だから、尚更言えない。でも諦められない。しかし前に進むには気持ちを伝えねばならない。けれど、気持ちを伝えれば彼は…
考えは延々とループして、ただ胸を締め付けていく。
(脳みそ、破裂しそー…)
気持ちを伝えても伝えなくても、彼は手に入らない。
(…気持ちが変わることって、あんのかな)
それは自分に対してか、それとも、少しずつ歩み寄りを見せてくれる彼に対してか。
どうにもならないことは、時間が解決してくれるという。
それが本当なら、時間が経って何かが変われば、また違う道が見えてくるのだろうか。或いは―――…
「ごめんオレ、おまえのこと誤解してたわ。山本ってバレンタインの時とかすげぇ貰ってるし、彼女とかそういうのには全然困らねんだろうなぁって…ちょっとくらい痛い目みればいいのに〜とか思ったりして。あ、冗談だぜ?」
気を解そうと笑いを交えながら、少年は嬉しそうに笑んで立ち上がった。
「なんかすげぇ嬉しいよなぁ、山本とこんな話が出来るなんてさ。あぁ、誰にも言わねーから安心しろよな!…そっかぁ、おまえでも色々苦労してるんだな」
「ウッチー…」
慰めにわしわしと山本の頭を撫でて、ウッチーと呼ばれた少年はビッと親指で自分を指した。
「オレに出来ることがあったら何でも言ってくれよ、カラオケでも何でも付き合うぜ!」
頭を軽く撫でられた感触に、獄寺の手を思い出して山本の頬が熱くなる。胸がもやもやとして、何かを思い切り抱きしめたくて堪らなかった。今、自宅のベットに転がっている自分の枕が無性に恋しい。
「ひとつ、すげぇ頼みたいことがあんだけど」
「あぁ、なんだ?」
応と聞いて山本が真顔でゆらりと立ち上がる。自分よりも軽く10cmは背の高い山本を前にして、少年は背筋に奇妙な寒気を感じた。
「ちょっとだけ、こう…ぎゅううっとさせてくんね?」
「…へ?」
なかなか戻ってこない先輩部員を探しに行くよう命じられて、今年の春から野球部のマネージャーになった一年生の可愛らしい少女が廊下を走っていた。男子トイレの入り口から声をかけても反応はなく、だとすればここに違いないと部室の前に辿りつく。ガタン!という物音に確信した少女は、ドアノブを捻ってそっと中を覗いた。
「失礼しまーす、竹内先輩いらっしゃ…」
いますか、という語尾は闇に消えた。最悪の場面で意中の少女と目が合った少年が「ひっ」と短い悲鳴を上げる。
「ち、違う!!違うんだマネージャー!これには深いわけがあって!!」
抱きついてくる山本を支えながら、少年はぶんぶんと必死に手と首を振った。
練習中ゆえ誰も来ないだろうと思われる部室で、二人っきりで熱い抱擁をかわす男子部員。青ざめた女子マネージャーは何も言わずゆっくりとドアを閉じた。
「え、ちょ、閉めないで!?ま、待って、マネージャー!違うんだって!!」
ばたばたと走り去っていく足音を耳に、少年はこれが悪い夢であることを祈るしかなかった。
事が全て過ぎたあとで、たっぷりと少年を抱きしめてみた山本がようやく身体を離す。少年の両肩をもって、山本は深く長い溜息を吐いた。
「はー…。ごめん、わかってたけどやっぱ全然違うのなー…なんか汗臭いだけだった」
「お、オマエ言うことはそれだけかー!!」
オレの恋路を荒らしやがってッ!!と胸倉を掴んでガクガクと揺らしてくる涙目の少年に「ごめんなー?」と苦笑いをして、山本はホッと胸を撫で下ろした。
やはり自分の宗旨が突然変わったわけではなく、男自体に全く興味を感じなければ面白いとも思わない。同じ男でも、あれ程に心をそそった獄寺は別格なのだ。
それだけに。
(厄介な気もすっけど)
「あんな誤解、すぐに解けるし大丈夫だからさ!」と友人を懸命に宥めながら山本は思う。
きっと、生涯で獄寺が最初で最後だろう。
男を真剣に好きになるなんて、自分の中の倫理を狂わせたこんな強烈な想いを抱かせるのは…
(やっべぇ遅刻だ!)
山本は焦って教室へと急いだ。友人を宥めていて時間をすっかり忘れてしまい、気付けば予定時間を5分も過ぎていた。英語の補習でまだ良かったと安心する。厳しくて有名な数学の教師なら罰で宿題を課せられるところだ。急げ急げと、軽々と階段を一段飛ばしで駆け上がって3階へと向かう。
階段を上がってすぐのところで人とすれ違った山本は、その特徴ある姿に足を止めて振り返った。
「あ…」
どくん、と心臓が強く高鳴る。よく目立つ銀色の髪。深いグリーンの瞳が一瞥をくれて背を向けた。
「もうとっくに始まってんぞ」
「獄寺!」
(謝んねえと)
見た瞬間それしか頭に浮かばず、気付けばズボンの後ろポケットから煙草の箱を出そうとする細い腕を掴んで引き止めていた。
程よく筋肉がついて尚、しなやかな腕。汗が引いてしっとりとした腕は手に吸い付くような涼感を帯びていて、一度触れれば放し難い気持ちにさせた。いや、そう思うのは獄寺だからこそか。やはり別格なんだと改めて思い知らされる。
ハッと気付いて見れば、獄寺が不快そうに眉を顰めて睨み上げていた。
「あ、わりぃ…」
名残惜しく腕を放す。
腕を掴んだだけでこの表情。
(こないだので、完璧に嫌われちまったかな)
元々、好かれてはいなかったが。この気持ちに気付く前なら…以前ならきっと、こんなにショックではなかっただろうに。
「なんだよ」
不機嫌な口調にも慣れていたのに、今は妙に胸を刺す。彼の優しさに触れた後だから余計にそう感じるのかもしれなかった。遠いな、と思う。目標は果てしなく高く、めげそうなくらいに遠い。
「ああ。一昨日のことで、獄寺に謝りたくて」
「…別に何とも思ってねぇし」
箱の縁をトン、と指で叩くと煙草が一本浮いた。見慣れたその仕草も目を惹いて離せない。いつもならそのまま口に咥えて引き抜くが、話の途中だからだろう、煙草は指に挟んで引き抜かれた。箱を後ろポケットに押し込みながら獄寺が溜息混じりに言う。
「つまんねぇこといちいち気にしてんじゃねーよ」
「…」
「気が滅入ってたせいだろ?」
それは、そうであって欲しいとの希望なのだろう。意外な返答に山本は目を丸くする。抱きしめたこともキスしようとしたことも、どう弁解しようかと思っていたのにその一言であっさりと片付けられてしまった。
(俺、思ってるより嫌われてねえのかな)
本当に嫌いなら、そんな一言で許したりはしないはずだ。少なくとも今までの状態を維持しようという姿勢はまさにその証明だろう。安堵しかけて、ふと、もう一つの可能性に気付く。
(…いや、ツナのためか?)
煙草に火を点ける獄寺を見つめ、彼の問いに山本はそうだとは肯定せずに問い返すことで逃げた。
「怒ってねえの」
「だから思い切り殴ってやっただろうが。あれでもうスッキリした」
山本は思わず頬が緩んだ。明快で解りやすくてサッパリとしていて。
やっぱり好きだなぁ、と思う。
逃げ道を作ってくれた彼に感謝しつつ、山本は最後に、もう何度目になるのかわからないいつものお誘いをしてみた。
「なぁ、今回の詫びもあるし、マジで今度メシ食いに来いよ。親父もいつでも好きな時に来てくれって言ってるからさ」
来るはずがないのはわかってはいたが、それを言うことでいつもの調子を取り戻せる気がした。やはり何も言わない獄寺に苦笑いをして、山本は「じゃあまたな」と手を上げて教室へと向かう。今はこれでいいんだと頷いた。気付いたばかりの気持ちは性急過ぎて、落ち着けるだけの時間が欲しかった。今の距離を保つことで、少しでも気持ちを落ち着けられるなら―――
「山本」
獄寺の呼び止めにドキリとして振り返る。誰もいないとはいえ、廊下で堂々と煙草を吹かしながら少し首を傾けている獄寺の口から、信じられない言葉が出た。
「今日は?」
「え?」
山本は自分の耳を疑って、息を凝らした。
獄寺の唇が、緩やかに動いて言葉を紡ぐ。
「今日はイケんのかって、聞いてんだよ」
(2007/10/07 up)
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