届く可能性はないと思っていた彼の心に、伸ばした指先が微かに掠った気がした。彼の戸惑った声と表情が曖昧だったその感覚に確信の色を差し、現れた一点の光に少年は目を見張った。もしかしたら、焦がれて焦がれて仕方なかったものに、この手は届くのかもしれないと。
 嬉しくて恋しくて、不意打ちでしてしまった口付けは独り善がりも甚だしくて当然の如く殴られてしまったけれど、不思議にも以前に殴られた時のような不安と後悔に見舞われなかったのは、赤く染まった彼の表情が決して冷たいものには感じなかったからだった。僅かにも、可能性という希望が確かにある。それが少年の心を力強く支えた。
 そして翌日の夕方にはいつも通りに獄寺が姿を見せたことで、山本の気持ちは完全に浮上した。頬にも自然と笑顔が浮かぶくらいに。
『今日も来なかったら俺、迎えに行こうと思ってた』
『…今さら中途半端に修行やめるわけにはいかねぇんだよ』
 一日置いた獄寺の言動に、二度目の告白やキスに対する答えを山本はそこはかと感じ取った。
 今まで通りに。これまでと何も変わらぬ関係のままで。
 最初の答えと変わらないそれが、やはり獄寺の今の望みなのだと。明言を避けたのは、言えばそれが叶わなくなるからだろう。
 真意はわからないが、時間が経てばそのうち目も覚めるだろうと、獄寺にはそんな思いがあったのかもしれない。
 けれど山本にも、この気持ちを知っても離れまいとする気持ちがその胸にあるのなら、という思いがある。
 友達以上の関係を望む者と、現状維持を望む者と。
 前者が折れるか、後者が陥落するか…どちらが先に降参するかの勝負は、このときを以って確かに始まったのだった。

 毎日夢中になって勝負の行方を追っていた甲子園の全国高校野球選手権大会も閉幕し、決勝戦の熱闘に感動した部員達が練習に一層の熱を入れていた。相変わらず外は焼けるように暑く、空気も乾いていて砂埃がよく舞い上がる。灼熱のグラウンドを見れば暑さはまだまだ引く気配はないというのに、せっかちなツクツクホーシが頻りに鳴いて一足先に夏の終わりを告げていた。
 凄まじい勢いで投げられた白球がキャッチャーのミットにめり込んで、スパァンッ!とキレの良い音がグラウンドに響いた。正統な美しいピッチングフォームは軸にブレがなく、放たれた球は速度も然ることながらコントロールも抜群に良い。3年の現投手も真っ青な山本の投球は絶好調そのものだった。
 野球部主将が山本に秘蔵本を手渡して3日が経ち、山本の顰め面はすっかり消えたものの様子のおかしさだけは今以て残ったままだった。左の口角を青く鬱血させて来たのは今回が初めてではなかったが、前回はそっとしておいてやろうと思うくらいに調子も悪く凹んでいて、殴られた痕を見れば何か修羅場を踏んだのだろうと、部員達も何となく想像がついたし合点もいったものだった。
 だが今回のように、思い切り殴られた痕を残しながら機嫌の良い少年は不可解としか言い様がなかった。さらに休憩時間には練習時の集中力が事切れたように気が抜け、タオルに顔を埋めてしばらく動かなくなったり、突然部室の窓を拭き始めたりと、時折目撃された挙動不審な動きも首を傾げる原因の一つとなっていた。気になった部員が何があったかを軽く訊ねても、山本はのらりくらりと笑って話す気配が全くない。彼に何があったのか、誰ひとり想像もつかなかった。
 機嫌が良くなったことや、投球・打撃練習の絶好調ぶりを見て、3年主将は「これが秘蔵本の力だ」と言い張ったが、そんなわけがないことぐらいは部員達もわかっているわけで。
 かなり調子が良いことに違いはないので少しくらい様子がオカシくてもいいかとも思うが、何か一悶着あったことを匂わせる殴打の痕はやはり気になって仕方ない。
『おまえ、もう一回訊きにいけよ』
『何でだよ、次はオマエが行けよ』
 部員達のそんな押し付け合いが密かにされているとは露知らず、今日も午前の練習がようやく終わって、山本は他の部員達と共にグラウンド端の手洗い場で顔を洗っていた。確かめるように弱く口角を押さえて眉を寄せる。水に沁みたりはしないが触れるとまだ少し痛い。ふいにまた柔らかな感触を連想してしまって水道を止め、山本は熱くなってくる顔をタオルに埋めた。誤魔化すようにごしごしと、何度も顔の水気を拭いて熱い息を吐く。
 見目にもあまり厚みのない、淡紅色の薄い唇が瞼の裏に甦る。
(めちゃくちゃ柔っけぇんだもんなぁー…)
 どくんどくんと自然と鼓動が高鳴ってくる。あんなに柔らかなものだとは思いもしなかった。ふわりと数秒押し付けただけで、いっそ止まりそうなくらいに強く胸を打ったそれはどんなものにも喩え難い。抱きしめた感触も何度だって思い出してしまう。
 欲望は深まっていくばかりで過ぎた邪念を叱咤することも相変わらずだったが、心構えがガラリと変わったことで以前とは比べ物にならないくらいに山本の気持ちは楽になっていた。
 獄寺を口説くと決めた。だからもう、好きだと思う気持ちを隠すことも抑えることもしなくていい。聞くに堪えないと拒絶されればそれまでだが、せめてその時まではと覚悟を決めれば、好きな気持ちだって遠慮なく言っていける。
 今まで通りの状態を望むということは、一緒にいると楽しいのだと、獄寺もそう思っているということだ。自惚れかもしれないが、もし同性でなかったなら獄寺は告白を受けてくれたんじゃないかと、そんな気さえする。
 同性だということがネックになっているのは当然のことだろう。自分だってそれで思い悩んだのだ。それを踏まえれば、当面のやるべきことが自然と見えてくる。
(口説きながら、少しずつ慣れてもらえばいいってことだよな)
 おし、がんばろう俺!と心の中で気合を入れて山本はタオルからゆっくり顔を上げた。すると、一体何事なのか部員達が揃ってフェンスの方を見ていた。
「ここの生徒?先生かな?見たことない顔だよな」
「すんげー美人…1、2年生じゃ絶対ないよな」
「3年でも見たことねーぞ、教員じゃねえ?」
 前に立つ少年と重なって見えず、山本は数歩横へずれてフェンスの向こうに立つ人物を見遣った。何かを待っているように、腕を組んでジッとこちらを見つめている美女に山本は「あ」と声を上げる。グラウンドにいる人間に用があって来たのなら、それはおそらく自分しかいないだろう。少年達の間を抜けて急いでグラウンドへ出る。フェンスに向かって走り出した山本を見て部員達がどよめいた。

「ビアンキ姉さん、どうしたんスか」
「山本武…隼人を見かけなかった?来てるはずなんだけど」
 弟を探しに来たらしい美女に、山本は思わず弱った笑みを見せた。今日は綱吉の補習授業の最終日で、獄寺も一緒に来ているのは確かだった。だが姉が苦手だという獄寺のことだ、もしこのことをすでに知っていたら逃げ隠れている可能性が非常に高い。探しても見つかねぇんじゃねーかなぁ、と思いつつも一応、姉の弟捜索に協力する。
「いや、俺はずっと練習してたんで…屋上は?」
「いなかったわ」
 首が左右に振られるに合わせて、長い髪が涼やかに揺れた。
「じゃあ、図書室か、裏庭か、保健室か…」
「…」
 指折りリストアップして、保健室、のところで美女の柳眉が曇った。そのまま難しい顔で黙り込んでしまう。
「何か大事な用事っスか?夜うちに来ればいますけど」
「いいえ…料理修行の様子を少し聞きたいだけよ」
「ああ」
 それなら、と山本は明るい笑顔を見せる。
「めちゃくちゃ上達してますよ!一回教えたことは忘れねえし、飲み込み早いし、オヤジも大したもんだって」
「そう…」
「最近は魚捌くのにちょっと苦戦してっかな…鯛とか鯵とか捌きまくってんスよ。家庭料理にはもう十分なレベルみたいなんスけど、本人はまだ納得できねぇみたいで」
「…」
 やけに嬉しそうに話す少年を物珍しそうに見つめてビアンキは聞き入った。
「だからここんとこは魚がメインで、煮付けとかあんかけとか南蛮漬けとか…マジで美味いッスよ!あと味噌汁はすげぇ俺好みで、オヤジより美味いです!」
「…そう」
 山本が伝える近況と感想に軽く相槌を打った後、ビアンキは長い睫毛を伏せた。
「ずっと通い詰めね、あの子。ほぼ毎日だわ」
 一度来て以来、全く姿を見せていないのに何故そんなことを知っているのか。山本は訝しげに、浮かぬ顔のビアンキを見つめた。
「少しでも嫌だと感じればすぐにそっぽを向くのに…余程あの家が好きなのね。そんなに居心地がいいのかしら」 
 解せないと言わんばかりに放たれた言葉には、明らかに棘があった。細い二の腕を持った手にはグッと力が籠もっている。
「…料理の勉強が楽しいんじゃないっスか?」
「それだけとは思えないわ」
 口調は苛立っているのに、やるせない寂しさを孕んだ声色だった。獄寺が何故この姉に苦手意識を持っているのか、二人の間に何があったのか山本は何も知らない。けれど、あの弟に避けられて寂しいだろう気持ちは痛いほどにわかる気がした。短い沈黙の中、何とかなんねぇのかなと考えていた山本は、ビアンキがグラウンドの方を不快な面持ちで見遣っているのに気づいた。
 視線を追って振り返る。グラウンド端の手洗い場にいる部員達が、ニヤニヤと笑ってこちらを見ていた。
「バカね…私たちのことを邪推してるのよ」
「じゃすい…」
 って何スか?と振り返るより先に、ビアンキがフッと鼻で笑った。
「好きなのは私じゃなく、弟の方だって教えてあげた方がいいかしら」
「!?」
 え、なんで!?と一瞬心臓が止まりそうになる。これが噂に聞く女の直感なのかと、驚いた山本が勢い良くビアンキを振り返った。目を見張る山本に今度はビアンキが驚く。失笑するほどわかりやすい反応を見れば、もはや女の直感も必要ない。
 山本が自分の失態に気付いたのと、ビアンキが眉を寄せたのはほぼ同時だった。何とも言えない奇妙な間が流れていく。
「あんまり嬉しそうな顔で隼人のことを話すから…冗談で言ったんだけど」
「………そ、っすか」
「本当にそうなの?」
 山本は片手で目を覆った。親友にさえ打ち明けていないというのに、何が悲しくていの一番にこんな形で彼の姉にカミングアウトしなければならないのか。自分の間抜けっぷりに深い溜息が出る。
「あの子、男よ」
「…知ってます」
「本気なの?」
「本気です」
 開き直って本音を吐いた少年に驚愕して、ビアンキは口元にそっと手を添えた。
「驚いたわ、あなたゲイだったのね?」
「なっ」
「男を好きなんだから、そういうことでしょう?」
 確かに、事実はそうであることに変わりない。だから山本もそれを否定する気はなかったが、ビアンキの言い方は肝心なことを誤解されているような気がしてならなかった。
「あの…俺は男を好きなんじゃなくて、獄寺を好きなんで」
「…」
「男だからじゃなくて、男でも好きになっちまったっていうか…獄寺は特別なんで、そこんとこ勘違いしないで下さい」
 フェンス越しに真剣な顔で告げだした少年に、口元を押さえたビアンキが、プッと噴出した。
「顔が真っ赤だけど」
 茶化されて、山本は一瞬バカを見た気分になってしまったが、美女の口からすぐに「ええ、わかったわ」との声が返ってきた。
「安心して、たとえ狙いが弟でも邪魔はしないわ。人の恋路には立ち入らない主義なの」
「…」
「でも残念だけどあの子、そのケはないと思うわよ。気持ちを知られた時の覚悟はしておくのね」
 忠告まじりの言葉に山本は少しカチンとくる。応援するはずもないのはもちろんの事たが、邪魔はしないという言葉にも懐疑心が膨らんだ。
 人の恋路に立ち入らない主義というのは本当かもしれない。だがこれほどに弟のことを気にかける姉なのだ、狙いが弟でも、という辺りは些か怪しいものだ。どこか余裕を感じさせる台詞からも窺える。そう言えるのは今でさえ長続きはしないと、邪魔をするまでもなく望みがないと踏んでいるからだろう。
「隼人の様子を聞かせてくれてありがとう。さよなら」
 そう言って歩き出した美女の背中に、山本は打診の声をぶつける。
「獄寺は、もう俺の気持ち知ってますよ」
 それでも弟は離れずにいるのだと知れば、この姉は絶対にいい顔をしない気がした。ぴたりと、ビアンキの足が止まる。訝しげに眉を寄せ、ゆっくりと山本を振り返った。
「…なんですって?」
 ほらな、顔色が変わった。山本は微かに苦笑いをする。
「今、口説いてるとこなんスよ」
 ビアンキは信じられないとばかりに声を失い、睨むように山本に目を据えた。ああなんだ、カミングアウトしておいて良かったのかもしれない。山本はそう思って、放っておけば大きな障害となりえるだろう姉に、笑顔で釘を刺しておいた。

「邪魔は、しないんスよね?」



 話し終えて手洗い場へ戻った山本に部員達が群がる。
 何事かと目を丸くする山本の背をバンバンと二度叩いたのは、一年の女子マネに恋をしている例の少年だった。
「おまえ、ついにゲットしたんだな!?」
「へ?」
 きょとんとする山本の腕を、背を、肩を、部員達が次々に叩いていく。
「いやー、おめでとう!」
「苦労してたんだってな」
「合宿ん時の電話の人か?」
「振り向いてもらえて良かったじゃんか」
「略奪愛ってやつだな!」
「あ〜、原因がわかってマジでスッキリしたぜー」
「あぁオレもー」
「あんな美人じゃ、そりゃ舞い上がってオカシくもなるよなぁ」
「おめでとうな、山本!」
 部員達のとんでもない勘違いに、山本が「え、違う違う!」と手を左右に振る。
「あれ獄寺の姉さんだって!全然そんなんじゃねえから!」
「もー、隠さなくていいって!オレらも二人がどこまでいったかなんて、そんな野暮なことは聞かねぇからさ!」
 イヒヒー、とニヤ笑いをするばかりで全く信じない部員達を前に、…困ったな、と山本は頬を掻いた。


*****


 グラウンドが見渡せる保健室の窓は全面、カーテンが閉められていた。だが良く見ると、保健医不在のサインでもある閉めきられたカーテンの、その僅かな隙間からグラウンドを覗き見る不審な少年の姿があった。
(くそ、遠目でも気分わりぃ…姉貴の奴、オレに一体何の用だ)
 症状的にまだ軽い方とはいえ荒れて気持ち悪い胃を押さえて、フェンス越しに話している二人を獄寺は訝しい目で見つめる。図書室では間一髪、カウンターの下に隠れて難を逃れたが、その時確かに「隼人?」という呼びかけが聞こえたのだ。どんな用があるのかは知らないが、その後もあちこち探し回られている。
(山本に聞いたってわかるわけねぇだろーがよ)
 ドッと丸椅子に腰掛け、早く帰ってくれと獄寺は腹を押さえた。カーテンの隙間からはいまだ話し込む二人が見えている。突然、入り口のドアがゴンゴン!と強く鳴って驚いて振り返った。ドアの窓から呆れ顔を見せたシャマルが、ガラッとドアを開けた。
「夏休みだってーのに何で学校にいんだおまえは…」
 ツイてねぇ、と獄寺は苦い顔をする。
「保健医は休みじゃねーのか」
「教職ってのはめんどくせーことが色々あんだよ。それよりここで何してんだ」
 分厚く束ねたプリントを乱暴に放り置いて、シャマルは少年と向かい合ってデスクの縁に軽く腰を預けた。
「10代目が補習を終えられるのを待ってんだよ」
「知るかそんなこと。何回言ったらわかんだ、男は出て行け」
 事情を話せばわかってくれるかもしれないと、追い出そうとする男に獄寺はカーテンを少し捲って外を見るように目くばせをした。広いグラウンドの中、シャマルの目が吸い込まれるように美女を見つけ出す。
「おお、ビアンキちゃんじゃねーか!」
「なんかずっと校内探されてんだよ…行って追い払ってくれたら出て行くぜ?」
「バカ、おまえが先に出て行け。おまえがいたらビアンキちゃんとここで大人の時間を満喫できねーだろうが」
 言っても無駄だった、と獄寺は盛大な溜息を吐いた。
「エロ医者が…こんな昼間っから何考えてんだ、補習が終わる時間までオレは出て行かねえよ」
「探されてんならここでジッとしてても時間の問題だろ」
「姉貴はここには近寄らねえ。おまえがいるからな」
「ほお〜、そんなに俺を意識しちゃってるなんて…どこまで可愛い子猫ちゃんなんだ」
(寒ッ!!)
 獄寺はゾッとして粟立つ腕を擦った。軽くカーテンを開け、窓枠に手をついてグラウンドを眺めたシャマルが、ビアンキと分かれてグラウンドへ戻っていく山本に目を留めた。
「そういやどうなんだ最近?野球少年とちったぁ仲良くなったのか?」
「…まぁ、な」
 まさかの肯定の返事にシャマルは感嘆の声をあげた。
「へえ〜、おまえあんだけ嫌ってたのに…ちょっと見ねえ間に随分成長したじゃねーの?…おっと」
 ヴィーン、と微かに聞こえてくる振動音。シャマルは白衣のポケットから携帯電話を取り出した。着信画面を見た瞳が嬉しそうにきらめく。
「おお、俺の愛しの子猫ちゃん…!もしもし、ユリちゃーん?」
 その携帯には一体何匹の子猫ちゃんがいるのか。この女癖の悪さがなければもっと尊敬できるのにと、上機嫌で話し始めるシャマルを獄寺は冷めた目で一瞥して、そのままグラウンドに視線を移した。
「ユリちゃんからの電話ならいつだって大歓迎さ!オジサン超嬉しいなー♪うん…今日?もちろん行けるとも!ユリちゃんのためならどんな予定があっても空けちゃうね!あぁ、いつものところに何時にしようか?」
 シャマルの声を耳に、部員達に囲まれて何やら小突かれている山本をぼうっと見つめる。

『獄寺、俺、諦めねえから』

「…」
 口説くと言われ、キスまでされて。もう今さら元に戻れるはずもないと頭では解っているのに。
 それでも離れるのは惜しいなんて、自分でも自分の気持ちが理解できない。
「いや〜、今夜も素敵な夜になりそうだね…ああ、愛してる。俺も楽しみにしてるよ」
 熱い愛の告白を最後に、ピ、と携帯を切ったシャマルがルンルンと時計を確認した。
「そんな恥ずかしい台詞をよくペラペラと言えるもんだな」
 窓の外を見つめたまま、獄寺はうんざりとして言った。女に合わせた甘い口調は思い出すだけでも寒気がする。不快感を露にする少年に、これだからガキは、とシャマルは溜息を吐いた。
「わかってねぇな〜、周りも見えねーくらい二人の世界にどっぷり浸かって愛を囁き合うんだ、恋愛ってのは例外なく恥ずかしいもんさ」
「…」
 またデスクの縁に腰を預け、グラウンドを見続ける少年にシャマルは言葉を継いだ。
「下らねぇ羞恥心に負けたらそこまでだぜ?何でもそうだが、没頭できるほど心も満たされるってもんだ」
 ふーん、とさして興味もなさそうな相槌に(まぁ、コイツにそんな恋愛はまだちょっと早ぇかなー)と男は顎を擦る。

 一心に何かを見つめ続ける少年が、ぽつりと呟いた。
「…分別も忘れて、か?」
 片眉を上げ、シャマルは顎を擦る手を止めた。意味深な言葉につられて自然と少年の視線の先を追い、言葉を失いかける。

「―――…いいねぇ、分別を忘れさせる恋ってのは最高だぜ…恋愛の真骨頂だ」
「それで国際指名手配になったんじゃ世話ねぇな。どこぞの王妃に手ぇ出したんだって?」
 振り返った少年が「信じらんねぇ」と呆れた声を上げたのにシャマルは肩を竦めた。
「恋愛ってのは燃え上がるほど良識も狂うもんなんだよ」
 男の経験論か、獄寺はそれを鼻で笑った。
「狂うなんて、オレはそんなみっともねぇマネはごめんだな」
「みっともない、ねぇ…」
 シャマルの口角がゆるりと上がっていく。
「知ってるか隼人」
 確信を持った男の双眸に捕らわれ、獄寺はゾクリとした。

「おまえみたいなのが、一番溺れるんだぜ?」

 それもまた経験論か。その瞬間、鋭いものに胸を貫かれた気がして呼吸が止まった。
 男の口から放たれた言葉は、いつまでも獄寺の耳に残って離れようとはしなかった。



(2008/01/01 up)


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