山本がイタリアへ行って3日が過ぎた。悩みの基がいなくなってその間、一人で嫌というほど考えてみても獄寺の頭の中は依然としてこんがらがったままだった。
 ほんの2ヶ月ほど前まではとても考えられなかったことだが今、山本のことを好きか嫌いか、どちらかと問われれば…好きだと、はっきりと言えるだろう。
 しかし、ではそれは山本と同じ気持ちかと言われたなら…答えに詰まってしまう。砂時計を返して抱擁を延長させた気持ちは、イコールに繋いでもおかしくないものに違いなかったけれど、落ち着いて冷静に考えれば、山本の気持ちに応えようとは獄寺には思えないところがあった。男同士の恋愛はどう考えても不毛で、それ故に終わりも見えていると…それは告白をされた時から当然の如く考えたことだったからだ。
 友達でいる方がどれだけ良いだろう。束縛という煩わしさもなく適度な距離を保ち、熱という次第に冷めゆくものとは無縁に、長く付き合うほど信頼という固い絆で結ばれていく。何より、男二人が並べばそれが一番自然な姿なのだ。
 倫理的で正常な思考を確かに持っていたはずだった。また、山本とはまともな関係で有りたいとも願っていた。それなのに、よりによって自分からそれを壊すようなことをしてしまったなんて。
(…由々しき事態だ)
 自分の中で、何かが狂ってきている。
 あの瞬間、込み上げる欲求にどうしても勝てなかった。柔らかな温もりと匂いが理性に亀裂を入れた。
 誰も見ていない、山本だって見ていない。自分にしかわからない、だから。
 そんな思いから出てきたものを、本心と言わずして何と言うのか。
(どうしちまったんだオレは)
 思春期特有の不安定な心が生んだ一過性のものか。風邪と同じように、山本の熱がうつってしまったのだろうか。
 そこに冷静な思考が重ね合ってしまえば、自分の気持ちでさえ解らなくなってくる。

 フライパンの上で鶏肉が香ばしく焼けていくのを見つめながら、獄寺は手をズボンの後ろポケットへと回した。鳴ったわけでもないのに携帯を取り出して開き、メールの問い合わせをした後、しばらくして小さな溜息を吐く。
 溜息を吐いたのはメールが来ていないからではない。来る筈もないコンタクトが有りはしないかと頻りに確認している、そんな無意味なことを繰り返してしまっている自分に嫌気がさしてのことだった。山本の携帯は国内専用でイタリアでは使えない。だから連絡は無くて当然だとわかっているのに、ディーノに頼めば連絡の一つくらい出来るだろうと考えると何度も携帯を確認してしまうのだ。
 そして鳴らない携帯を握り締めて、自分は何をしているんだろうと考え込んでしまう。
(これじゃまるで…)

「ちぃっと焼きすぎじゃねーか?」

「!」
 背後からの声にドキリとして、獄寺は慌てて携帯をエプロンのポケットへと仕舞った。フライパンからはパチパチと少し乾いた音がしている。フライ返しを掴んで鶏肉をひっくり返して見ると、鶏肉の皮は焦げる一歩寸前で非常にこんがりと焼けてしまっていた。
 あーあ、と剛が思わず苦笑いをする。
「まぁ、まだそのくらいなら大丈夫だな」
 は〜、と安堵の息を吐く少年がどこか疲れた顔をしているように見えて、剛は首を傾げた。
「どしたぃ、元気ねえな?」
「あ…いえ、ちょっと考え事してただけ、っス」
 コンロの火を消して歯切れも悪くそう言った獄寺は、訝しげな剛の視線から逃れたくて咄嗟に調理台に置いていた器を指差した。こんな時、見透かすような剛の目は少し苦手だと思う。
「それ、なんか味にしまりがねぇっつーか…あと何足したらいいかって考えてて」
 器に作られていたのはタルタルソースだった。白いソースを目にして、剛が感嘆の声を上げる。
「さすがだなぁ、おいちゃんはこういう洒落たモンには疎くてよ」
 和食のソースと言えば醤油くらいのものか。タルタルソースが洒落たものなのかはわからないが、素食は健康の元だと、和食を得意としてきた剛からすれば洋食の凝ったソースなどは洒落て見えるのだろう。
 味見に、剛は小さなスプーンにソースを掬って口へと放り込んだ。
「ん、美味い!…卵と、なんか変わったモンが入ってんな……らっきょう?」
「…と、きゅうりの浅漬けで。本当は違うんスけど代用でいけるって本で見て」
 本当はピクルスと玉葱を使う。代用品を使えばここの冷蔵庫に置いてあるもので出来ると判明して作ってみたのだが、どうも今ひとつ味に物足りなさを感じていた。主要な悩みとは別に、何を足せばいいかと考えていたのも事実だった。
「面白ぇモンだなあ」
 笑ってもう一口食べ、今度は吟味するように味わって剛はふむ、と考えた。
「何を入れっか、答えは出たかい?」
 調理台を後ろ手に凭れ、軽くスプーンを掲げた剛が閃いた顔をする。試されるは味の想像力だ。獄寺は剛を見上げて訝しげに答えた。
「…酢?」
「うん、そうだな、あとレモン汁をちょっと落とすといいんじゃねえかな」
 一つ頷いた剛の嬉しそうな顔を見ればどうやら及第点のようだが、やはり剛にはとんと及ばない。
「レモンか…」
 言われて想像してみれば納得の材料だ。なるほど、と呟いて獄寺は冷蔵庫へと向かった。

「獄寺君」
 ふいに呼ばれて獄寺は後ろを振り返る。
 この一ヶ月、足繁くこの調理場へ通った少年の姿を改めて眺めた剛は、小さなスプーンを置いておもむろに口を開いた。

「料理の勉強は夏休みの間だけって言ってたけどよ…学校始まってからも、何か教えて欲しいことがあったら今みたいにいつでも来てくれて構わねぇからな」
「…」

 思ってもいなかった言葉に、獄寺は息が止まりそうになる。
 ―――夏休みの間だけ。
 そう言えば割り切って終われると考えていた自分にとって、それは都合の良いものに違いなかった。あとほんの少しで夏休みも終わるとなった今になって、それを後悔することになるなんて思ってもなかったのだ。

「武がなぁ、獄寺君の作る味噌汁は絶品だっつってな。おいちゃんもほんとにそう思うぜ…だからよ、良かったら時々でも作りに来てくれっと嬉しいよ」

 穏やかな笑顔を前に、獄寺は自然と見えぬ唇の裏を噛んで胸に溢れくるものを必死に堪えていた。
 良いことばかりではなかった。料理では幾度も苦戦を強いられたし、割った皿の片し方が悪くて叱られたりしたこともあった。思い返すと腹が立ったこともいっぱいある。
 けれど、それ以上に良い思い出の方がはるかに多い。
 中でも「大したモンだ!」と褒めて背を叩いてくれる大きな手は、堪らなく嬉しいものだった。

 いつでも、時々でも来てくれると嬉しい。
 城を飛び出してからこれまでに、そんな風に言ってくれた人を他に知らない。そんな場所は今まで一つだってなかった。
 鼻の奥がツンとして熱くなる。
 「はい」と言って頷いた少年は、少し鼻を赤くして照れくさそうに笑った。



*****



 最終問題の答えを書き終えた手がプルプルと震える。シャーペンを放り出した綱吉は、嬉しさのあまり両拳を掲げて叫んだ。
「やったーーーッ!宿題全部終わった!」
「これだけの量を2日で終わらせたなんてさすがっス!お疲れさまっス10代目!」
 一番手強い総合問題のプリントがゆうに15枚もあったのだ。賛辞を述べる獄寺の手を掴んだ綱吉は、両手で力強く握ってぶんぶんと上下に振った。
「獄寺君のおかげだよ、ほんとにありがとう!夏休みの宿題が全部出来たのなんて初めてだよオレ!」
 感極まって少し涙目の綱吉に言われて、獄寺も感激で胸がいっぱいになる。
「補習ばっかで宿題も終わんないし、何やってても気が重くてさ〜…あー、残りの3日間は心から休める気がする…」
 テーブルの上に頭を置いて、綱吉が感慨深く吐き出す。疲れきった様子の綱吉を見て、膝の上で拳を握った獄寺が重い表情で詫びた。
「も、申し訳ありません…10代目がお困りだとは知らず暢気に山本なんかについて…勉強はリボーンさんに教わっているとお聞きしたので自分は無用かと」
「え、いや、悪いのは宿題サボってたオレだから…!まぁ、リボーンも教えてはくれるんだけどさ、教え方が過激なんだよな。答え選ぶのに一々自爆スイッチなんて押してらんないよ」
 恐れもなく綱吉がそんな文句をサラリと言ってしまえるのはここが獄寺の家だからだ。綱吉の部屋ではどうしてもチビッ子に邪魔をされてしまって集中できない。普段ならそれでも構わずにやっているのだが、切羽詰った今回ばかりは場所を移すことにしたのだ。
 獄寺の部屋では簡易の小さなテーブルしかないのでリビングで、静かな空間には邪魔な音は一つもなくてじっくりと集中できたから、宿題も想像以上に早く終わらせることが出来た。
「すごく解りやすいし獄寺君がいればホントに百人力だよ。そりゃ山本も余裕で旅行に行けるよなぁ」
 指の背で鼻の下を擦った獄寺が「へへ」と笑って照れる。
「でもあいつまだ宿題残ってるんスよ」
「そうなの?」
「はい、少しだけ」
 遠い目をして腕を組んだ獄寺は小さく溜息を吐いた。
「あいつ勉強では集中力切れんの早いしすぐ脱線するんスよね…解らない選択問題が出るとプリントの隅であみだくじとか作るんすよ。マフィアのことをちゃんと理解してこれるのかどうかも心配ですね」
「はは…」
 軽く苦笑いをした綱吉は、短い沈黙の後でぽつりと零した。
「オレ、獄寺君は山本がマフィアになるのには反対なんだと思ってた」
 その言葉に獄寺は目を丸くした。少し寂し気な顔を見れば、自ずと綱吉の気持ちが見えてくる。
「そうっスね…生半可に首を突っ込むから気に入らないってのはありますけど、特に反対はしてないっス」
「…」
 綱吉にとってそれはあまり喜ばしいことではないのだろう。だが綱吉に対してなら尚更のこと、自らの気持ちが深く絡むこの件に関して獄寺は嘘は言えなかった。
「オレは、10代目率いるファミリーの一員であることを誇りに思ってますから!同じ覚悟で、山本が同じ道を選ぶのなら反対はしません。反対するのは自分の道を否定するのと同じっスから。それに、男が自分で決めた道を他人が反対する権利もないっス」
「うん…そうだよね」
 俯いてしまった綱吉に、獄寺は明るい笑顔を見せる。
「大丈夫ですよ10代目、野球バカが野球をやめるなんて出来るわけがないっスから!」
 そう言うと、綱吉が愁眉を開いていくのが解った。さらに獄寺の頭が大きく頷く。
「ごっこ遊びじゃないって解れば、山本も深入りするようなことはなくなりますよ」
「…そうだね」
 ようやく安心した笑顔を見せたくれたのにホッとして、獄寺は空になった二つのグラスを手に取った。
「茶、淹れてきますね」
「あ、ありがとう」

 獄寺のおかげで、胸が少しすっきりして安堵の息を吐く。獄寺がキッチンへ行って、手持ち無沙汰になった綱吉は改めてリビングを見回した。
 不思議だ、と綱吉は思う。目立って何か物が増えているわけではないのに、以前来た時よりも随分と空間の雰囲気が変わった気がするのだ。以前、山本と共に訪れた時は夜だったから、陽光の有無の違いは大きいのかもしれなかったが、そういう目に見える違いだけではなくて。
(なんていうか…)
 ここにいる、という感じがするとでも言うのだろうか。自炊するようになってからこの辺りを良く使うようになったと聞いたから、もしかしたらそのせいかもしれない。
 見回していて、その確固たる物証がふと目に留まって綱吉はテレビ横にあるDVDプレーヤーの方へと向かった。レンタル店の青い袋と、そこから出されている透明のDVDケースが5枚、プレーヤーの上に積まれている。一番上に置かれたDVDを見てみると、綱吉の知らないタイトルでレンタル店の分類シールに『アクション』と明記されていた。他にも何を借りたのかとても気になってくる。見られて困るものならこんなに堂々と置いたりしないだろう。見てもいいかな、とキッチンの方を見ながら綱吉は残り4枚のケースを手にとった。
(あ…『犯罪アクション』だ)
 マフィア物っぽいよな…、などと考えつつ2枚、3枚と見ていく。知らないタイトルばかりだったが最後の一枚は観たことのあるもので、その懐かしの作品に思わず綱吉も「あー!」と声を上げた。
「どうしたんスか?」
 茶を入れて戻ってきた獄寺が何事かと驚く。
「オレも昔観たよ、面白いよねコレ!」
 綱吉はDVDの一枚を獄寺に見せながらタイトルを読み上げた。

「メジャーリーグ!」

 ギクリとして目を見開いた獄寺が、動きを止めて青ざめた。
「けど獄寺君が野球映画観るってすごい意外な感じ…これってやっぱ山本の」
「ちっ、ち、違います、違うんです10代目ッ!!」
 ガンッ!と茶を乱暴にテーブルに叩き置いた獄寺に綱吉は「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
「これは、あれです、レンタル店のお薦めコーナーに置いてあったからで!!!山本の奴は全っっっ然、これっぽっちも関係ないっス!!!」
 力いっぱいの否定と共に、獄寺は綱吉の目前でくっつきそうなくらいに薄く、親指と人差し指の距離を狭めてみせる。
「そ、そう…」
「そうです!」
 大きな声できっぱりと言い切った後、打って変わって気まずそうに視線を落とした獄寺は小さな声で懇願した。

「なので、あの…山本には、どうかこのことは内密に…」
「…」

(100%山本の影響だ)
 
 以前より仲良くなっているとはいえ、山本に対しては未だ妙なところで張り合うんだなと考えて少し可笑しくなってくる。
(まぁ、何となくわかるようなわからないような…獄寺君も負けず嫌いだもんなぁ)

 モジモジと両手の指先を合わせて目で訴えてくる獄寺に、綱吉は「大丈夫、言わないよ」と言って、込み上げる笑いを噛み殺した。



(2008/02/03 up)


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