翌日。
 昼過ぎに綱吉の家へ消しゴムを届けに行って少し遊んだ後、夕方になっていつものように獄寺は料理修行のために竹寿司へと向かった。
 陽が傾いてもまだ蝉の鳴き声が煩い。ツクツクホーシが本格的に鳴き始めたものの、昼のうだる暑さを思えばまだまだ夏が終わりそうな気はしなかった。長くなった影を踏みながら、あちこちで打ち水がされて少し涼しくなった道を抜けて竹寿司へと辿り着く。
 入り口へと歩み寄って獄寺はふと足を止めた。引き戸にわかりやすい白のシルエットが映ったからだ。ガラッと引き戸を開けて出てきた剛は、目前に立っていた獄寺に酷く驚いた顔をした。
「おぉ、獄寺君!ハハ、いきなりいたもんだからびっくりしちまった」
 「こんちは」と軽く頭を下げれば、笑顔で「こんにちは」と返ってくる。
「…出かけるんスか?」
 獄寺の視線の先を感じ取って、剛が「ああ」と持っていた紙袋を軽く掲げる。
「ちぃっと近所に届けモンがあってな。…すぐ戻るから、先に用意して待っててもらえっかい?」
「あ、はい…いってらっしゃい」
 思わず言った後でハッとする。まるで身内にでも言うように軽く言ってしまったと、獄寺がばつの悪そうな顔をすると反して剛は嬉しそうに笑った。
「あい、いってきます」
「…」
 獄寺の中に妙な気恥ずかしさが駆け抜けていく。
 やはりよく似ていると思う。すれ違いざまに剛が見せた穏やかな笑顔は、彼の息子を彷彿とさせた。


 剛と入れ替わりに足を踏み入れた店内は、まだ準備中ゆえ照明が点されていなかった。僅かに入ってくる陽の光だけで照らされた店内は少し薄暗い。
 中に一人で残されるなんてことは初めてだった。いつもは山本か剛のどちらかが必ずいたから何とも思わなかったが、いざ住居と店とを仕切る暖簾を前にすると本当に入っていいんだろうかと考えてしまう。
(何回も上がっといて今更か…用意して待ってろって言われたしな)
 お邪魔します、と断りを入れる声が小さく響いた。
 廊下を上ってまず向かうのは居間だ。廊下を行くと、2階へと上がる階段が目に入って何となく視線を逸らす。獄寺は振り切るように居間へと入った。
 明かりを点けてテーブルの前に腰を下ろし、慣れたようにブレスレットや指輪を外してはテーブルへと置いていく。調理の邪魔になるからと、厨房へ入る前はいつもここでアクセサリー類を外していくようにしていた。
 全てを外し終えた後、これも置いて行くか、とズボンの後ろポケットから携帯を取り出した。開いてみてももちろん連絡は来ていない。昨夜に来なかった時点で、きっともう連絡がくることはないのだろうと推した。
(いつ帰るかの連絡くらい、してこいっつーの…)

「…」
 何故と問われても困るけれど。当然、山本にそんな義務はないのも解っているけれど。

 また認めたくない感情が顔を出して、胸に苦い気持ちが広がっていく。
 連絡など無くとも、帰国日などはじめから読めていた。日本からイタリアまで、またそれ以外での移動時間や睡眠時間などでほぼ丸一日は費やしてしまうから、それを往復分と、残りの夏期休暇から可能な限りの、十分な滞在期間を考えれば帰ってくるのは早くて明日、妥当なところで明後日だろう。さらにその翌日の可能性もあるがギリギリで帰ってくることはないような気がする。
 考えた後で無駄な推測をしたと、今や悪い癖となってしまった溜め息をまた零して、剛が戻ってくるまでの時間潰しに獄寺は携帯を弄り始めた。
 山本に携帯番号を教えて以来、あまり鳴ることのなかった携帯はよく鳴るようになった。
 綱吉からの電話の他に、ダイナマイトの仕入れ業者からの連絡や、気絶した時に勝手に登録したらしい姉からのとりとめのないメール、あとは携帯を持たない綱吉への言伝にと三浦ハルから時折メールが送られてくることもあるが、大方携帯を鳴らしてくるのは山本だった。受信メールのボックスを見れば山本の名が連続して並んでいる。
(なんだこの携帯…)
 その逆を見ても、やはり山本の名が並んでいた。
 確かにあった日々の積み重ねもこうして改めて見れば、いつの間にこんなにもやり取りを繰り返していたのかと不思議に思ってしまう。

『件名:オヤジが
 本文:ごくでらはスジがいいってほめてたぜ!』
『件名:無題
 本文:ライター忘れてっけどなくてだいじょうぶか?』
『件名:ありがとな!
 本文:アジ?フライのサンドめちゃくちゃうまかった!また作ってな』
『件名:無題
 本文:あしたはフグ鍋リクエストしといた!』

 その一つ一つを見れば短くて、取り立てて言うほどの用件は無い内容ばかりだ。そう、メールを打つのは苦手だと言うくせに、山本はいつも下らないことでメールをしてきたのだ。最初の頃などは返すことも殆どなかった。それが少しずつ打ち解けていくにつれて無視する回数が減っていって。
 いつからだったんだろう、めんどくせえ奴だな、そう零しながらも返信のメールを打つようになったのは。

『件名:Re:
 本文:このクソ暑いのに鍋?おまえアホだろ』

 口説くと言われてからは返信するまでに妙に時間が掛かるようになった。変に気を持たせるだけだろうと無視を決め込み、かと思えばその3時間後、いきなり態度を変えるのもどうなんだと結局は返信したこともあった。
 メールだけではない、時間を要するようになったのは電話を掛けることも同じだ。ディーノが昇進の話を持ってきた日も『今日は行けないから親父さんに伝えてくれ』と、ただそれを伝えるのにもボタンを押す指は躊躇った。
(どんだけ意識してんだよ…)
 着信履歴を覗くと、昨夜掛かってきた綱吉の登録名『10代目』の下にはもう山本の名前が続いている。大きく表示されたナンバーを見て、躊躇った事実を打ち消そうとばかりに押してみても情けないだけだった。今押せるのは、繋がらないと分かっているからだ。
(バカみてぇ)

 その直後、廊下からアップテンポなメロディが聞こえてきて獄寺はビクリとした。聞き覚えのある電子音に眉を顰め、中途半端に開けた襖の奥に視線を向ける。
 着信音に紛れて聞こえてきた深い溜め息。少しして、「え!?」と驚いた声が響いた。動悸が酷い。音と共に突如現れた人の気配に(まさか)(なんで)と獄寺は心中で繰り返し呟いていた。
 廊下の方を凝視したまま、信じられない思いでゆっくりと携帯を耳に当てる。

『お掛けになった電話は、電波の届かないところにあるか、電源を…―――』

 繋がる先は、そんな自動音声のはずだった。
(嘘だろ)
 受話口からはコール音がしている。
 発信を切ると、同時に廊下からも音がピタリと止んだ。

 堪らず襖へと迫り寄って廊下を覗き込むと、やはりそこにはいてはならない人物が壁に凭れてしゃがみ込んでいた。
「た…ただいま」
 味のある印字が目を引く長方形の木箱を抱え、開いた携帯を手に、山本が戸惑いを含んだ笑みを見せる。ただいまじゃねえよ。そんな文句より先に口から零れたのは素朴な疑問だった。
「おまえ、いつ帰ったんだ」
 その質問に、山本は酷く驚いたように目を見開いた。
「え、えっと、昼前にこっちに着いて…すぐ電話しようと思ったんだけどさ…獄寺をびっくりさせようって思いついて」
「…」
「電話したいのすげぇ我慢して、オヤジにも内緒にしてもらって…先に、ツナんとこに土産渡しに行って。ツナにも内緒にしてくれって頼んで」
 経緯を話しながら、少し決まりが悪そうに山本が俯く。種明かしを聞いて獄寺は驚愕した。
(じゃあ、今日お伺いした時には10代目は…)
 すでに山本が帰っているのを知ってて、山本の頼み通りに黙っていたのだ。全く気づかなかった。気づきようがなかった。山本の話さえしなければ綱吉も黙っていることは容易かったのだろう。
 入り口で出くわした剛も同じく、息子の目論見を叶えるために一役買ったのだ。
「…で、さっきまで部屋で獄寺が来るの待ってて…ホントに、あと3秒くらいで出て行こうかと思っ……獄寺?」
 見ればいつのまにか獄寺の姿がない。消えてしまった少年を追って今度は山本が居間を覗き込むと、すぐ傍で項垂れた獄寺が膝を抱えていた。触れてはならないような気まずさを漂わせた獄寺を見れば、宙に浮いたままの一つの疑問が自ずと山本の胸を突いてくる。
 訊くべきか、それとも沈んだ空気を少しでも解くのが先か。考えて、山本は持っていた木箱を畳の上に置いた。
「これ、獄寺用の土産!ディーノさんとのダーツ勝負で勝ってゲットしたやつでさ、…すぐ開けられるモンじゃなくてわりぃんだけど」
 木箱の蓋を開け、ワインボトルが良く見えるように箱を斜めに立たせて、山本は「ジャーン」とお約束の効果音をつけた。 
「俺らの生まれ年のワイン!ハタチになったら一緒に飲もうぜ!」
「…」
 全くの無反応。それどころではなくて獄寺は一瞥もできなかった。心の中でも悪態を吐くことしか出来ない。
(もうマジで、バカじゃねえの)
 趣向を凝らした土産を持って突然現れて、驚かせたかったんだろう。適度なインパクトは喜びを増してくれる。サプライズを考える気持ちは分からないではない。
 しかし、そのせいで知られたくない気持ちを垣間見せてしまった。
(最悪だ)
 それでもまだやり過ごすチャンスはあった。帰っていたことを知っていたフリでもすれば良かったのだ。けれど、その逃げ道も自分で潰してしまった。迂闊にも知らなかったとばかりに訊いてしまったのだ、『いつ帰ったんだ』と。
 そしておそらく、山本もそのことに気づいている。

「あの、獄寺…」
 見事な空振りに終わってしまった土産が畳の上にそっと寝かされた。その切り出しにくそうな呼びかけに、獄寺はどきりとした。

「…俺が帰ってるの、知らなかったんだよな?」
 核心を衝かれて、焦燥が一気に胸を駆け上ってくる。
「なんで、携帯…」

 質問を最後まで聞くことなく、獄寺は立ち上がって廊下へと逃げ出した。
「獄寺!?」
 急ぎ足で店の方へと向かうと、追いかけてきた山本が「待ってくれ」と両手を広げて立ち塞がった。それでも構わず押し退けて行こうとすると、今度はしっかりと肩を掴んで止められてしまう。 
「待った、なんで逃げるんだよ!?」
「逃げてねえよ、退け!」
 バシッと手を振り払うと、山本は数歩下がって先へ行けぬようにまた両手を広げた。
「…逃げてるだろ?」
「逃げてねえっつってんだろ!」
「じゃあ!」
 聞いてくれと、言外に匂わせる切な一声だった。
「じゃあ、今は帰らないでくれよ」
「…」
「俺さ、早く獄寺に会いたくて、ディーノさんに謝って予定より早く帰してもらったんだぜ」
 そう言葉を継いで、安心を誘う穏やかな笑顔を見せる。もう先程の質問をする気はないのか、山本が話の方向性を変えたことで張り詰めた緊張が解かれていく。
「久しぶりに、獄寺の作ったメシが食いてえよ…じゃないと帰ってきたって感じがしねえっていうかさ!」
 想いと気遣いに溢れた言葉は、獄寺の逃げようとする気持ちを削ぐのに十分だった。
「だから帰んないで、な?」
 熱く感じるだけ顔が赤くなっているのは自分でもよく解ったから、せめて覗き込んでこようとする山本から逃れたくて獄寺は背を向けた。
(くそ…)
 逃げたところで何の意味が無い。もう逃げる気もないけれど、かといって中途半端に気持ちを覗かせたまま、一緒にいられるわけがなくて。
 参ったように額を押さえて、獄寺は苦し紛れに言い逃れを始めた。
「…………間違えた」
「え?」
 まるで子供のようだと思う。でもこう言う他に、思い浮かばない。

「…さっきのは、間違えたんだ」

 背を向けた細い肩越しに聞こえた、拙い言い訳。
 獄寺の、銀髪の間から覗いた真っ赤な耳を見てしまえば、山本も込み上げる衝動を抑えることは出来なかった。

 ギュッと、山本は後ろから力一杯に獄寺を抱き締めた。
「なっ、何しやがんだてめぇッ、離れろ!!」
「嫌だ、無理、限界」
「片言で意味わかんねぇこと言ってんじゃねえよ!」
 力強い腕の中では身を捩っても動けなくて、なんで背を向けたんだと今更ながら後悔した。耳元で、山本が堪えきれないとばかりに呟く。
「…だって今の」
「あァ!?」
「すげぇ、可愛すぎるって…」
「〜〜〜…」
 可愛いなどと言われ、あまりの恥ずかしさに獄寺はさらに顔が熱くなった。一発ぶん殴ってやると、何としても引き剥がそうと躍起になっているうちに、山本の腕が僅かに緩んでくる。
 隙を見てグッと身体を反転させた瞬間、足が縺れてよろめいた獄寺はそのまま山本を巻き込んでバランスを崩してしまった。


*****


 カラカラカラと竹寿司の引き戸が開いて、上機嫌の剛が用事を済ませて戻ってきた。
(さぁて、武のやつは上手くやったか?…びっくりしただろうなぁ獄寺君)
 息子が協力を求めてきた可愛いサプライズ計画を思い出すと自然と頬が緩んでくる。武は本当に獄寺君が好きだなぁ、などとしみじみ思う。
 引き戸を閉めた時、中からドシン、バタン!と重く響くような音が聞こえてきて、一体何事だと剛は急いで奥へと向かった。
「いってぇ…」
 獄寺の呻き声が聞こえて暖簾を上げて見ると、廊下で二人が転がっていた。ちょうど息子が押し倒したような形で、しっかりと獄寺の胸の辺りにしがみ付いている。
 一見、異様な光景にも見えるが何てことはない。剛には思い当たる遊びがすぐに浮かんだ。

「なんだ、廊下でプロレスごっこか?」

「お、親父さ…!」
 突然現れた声に獄寺はぎょっとして身体を起こした。いまだギュっとしがみ付いている山本に父親の登場を知らせるも、全く動く気配がない。
「オイ、ギブだギブ!放せ山本、いい加減にしろよテメェ!」
 ぐぐぐっと頭を押しても幸せそうに抱きついたまま一向に離れない。見ている剛も息子の奇行に少し呆れてしまう。
「暑っ苦しいんだよッ!!!」
 喧嘩するほど仲が良いとはいうけれど。
 これも仲の良い証だといって良いのか、終いにはゴスッと本気の肘鉄を落とされて頭を押さえてしまった息子に、「武〜、大丈夫か?」と剛は苦笑いをしながら問いかけた。



(2008/03/09 up)


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