売店や自販機、トイレの数はそう多くないため観客が主に利用するルートや階段は大体決まっている。それは自ずと、選手達が利用する一部の区域からは少し遠ざけられていた。その区域に近づこうとすれば『選手・関係者以外立ち入り禁止』の文字が現れる。人目を盗んで札のついたチェーンを跨ぎ、獄寺はその先にある階段へと向かった。
呼吸を整えて、階段をゆっくりと下りていく。
手擦りの曲がり角に、野球帽を被った長身の少年が立っていた。
「…おまえ、もうすぐ試合始まるってのにこんなギリギリで呼び出して何の用だ」
「来たってことは、怒ってないってことだよな!良かった」
山本が安心したように笑う。獄寺は最後の一段を残したまま、手擦りを挟んで山本と向かい合った。いつもとは逆に、山本を見下ろすのは新鮮な感じがした。
「さっき一言も喋れなかったしさ、肝心の獄寺から『頑張って』って言ってもらってねぇなあって思って」
「まさかそんだけのために呼んだんじゃねえだろーな」
「そんだけって、俺にとっちゃその差はデカいんだって!」
山本に秋波を送る女子達は知らない。山本が意外に甘えたなところがあるのを。
「……っつーか、昨日言っただろ」
「でも、試合前にもっかい聞きたい」
普段は周りから頼られることが殆どでそんな姿を見せることもなければ、父親にだって甘えることはないだろう。だから、知っているのはもしかしたら自分だけかもしれない。
「安売りはしねえタチなんだよ」
「え、言ってくんねえの!?」
構ってとばかりに抱きついたり、ねだったり。言っても、しつこいわけではないから自分にだけ特別に見せるその姿はむしろ嬉しいとさえ思ってしまう。こんなこと、以前なら間違いなく気持ち悪いと思っただろうに、心境の変化とは本当におそろしい。
「残念だったな」
「いじわるだなー」
「てめぇが欲張りなだけだろ」
そして自分も同じように、山本にだけ見せている顔があるのだろう。それを感じているから、山本も自分を曝け出してこれるのだ。
「それより、絶対勝てよ」
それは、山本ほど素直な形ではないけれど。
「10代目がわざわざ応援にいらしてるんだ、また負け試合だったら許さねえからな」
だよな、と頷いて山本は意気込んだ。
「もちろん勝ちに行くって!」
「…おまえがホームラン3本くらい打ちゃあ勝てんだろ」
あまりにも無茶な要求に、さすがの山本も苦笑いを隠せなかった。
「か、簡単に言うのな」
意気地ない声に獄寺は片眉を上げる。
「なんだよ、できねぇのか?」
「ん〜、やってみなきゃわかんねぇけど……そのつもりで頑張ってくる!俺だって獄寺にいいとこ見せたいし」
相手の力量もわからなければ、山本の言う通りやってみなくてはわからない。約束など出来なくて当然だ。けれどそれでは獄寺は不満なのだ。
「『そのつもりで頑張る』じゃなくて、打てるって言えよ」
「はは、手厳し…―――!」
ふわ、と山本の短髪が揺れた。ふいに野球帽を取られて、言葉が遮られる。
続けて胸倉を掴まれて強く引き寄せられた山本は、思わず手擦りに手をついた。
「っ―――」
出し抜けに唇を重ねられて、しっとりとした柔らかい感触に目を見張る。息が止まって身動きが出来ない。
熱を与えた後、微かな音を立てて僅かに唇が離され、まだ息が掛かるほどの近い距離で獄寺は問うた。
「打てるだろ?」
緑の双眸が、黒茶色の目をまっすぐに見つめる。
「…打てる」
息も熱く、目元を上気させながら山本は断言した。
満足したように胸倉を放して、獄寺は山本の目を隠すように野球帽を深く被せた。
「絶対打てよ、打てなかったらコブラツイストしてやる」
「…」
獄寺が階段を上がっていく足音がして、山本は目深に被された帽子をぐしゃりと掴んで顔に押し付けた。
「…〜〜〜ッ!!」
(やばい)
心臓が壊れそうなほど鳴り響いていて、耳まで熱くなっているのが自分でもわかった。頑張って、の一言よりもずっと強烈に効いた応援。
(今の…すげぇ、嬉しすぎる)
本当にどんな球でも打てる気がする。こんな、身体の奥底から力が漲ってくる気持ちがしたのは初めてだった。
(このドーピングって、合法だよな?)
バンッ!とグラウンドへと続く扉を開けると、ちょうど良いタイミングで部の仲間が迎えに来ていた。
「おー山本、今呼びに行こうと…ぅわ!」
「行こうウッチー、今日は絶対に勝つぜ!!」
仲間の肩を組んで半ば引き摺るように、山本が選手達の元へと向かう。すこぶる機嫌の良さそうな友人の言葉に、ウッチーと呼ばれた少年は小首を傾げた。
「え?あ、ああ、そうだな?」
清々しい秋晴れの空が眩しくて仕方ない。キラキラと、世界がきらめいて見える。全く同じものを見ているはずなのに、さっきまでと視界がまるで違うのだ。
こんなにも世界を輝かせてくれる獄寺が、その存在が本当にスゴイ。出逢えたことに始まって何もかもが奇跡だ、と思う。彼のことが好きで好きで、こんなにも堪らない。
「今すげぇんだ俺!ガンガン打てっから!!」
「???」
よもやその自信満々の一言があっさりと現実になってしまうなんて、友人とて思わなかったに違いない。
試合が始まって先攻、並盛中の攻撃。
1番凡退、2番・3番とヒットが続き、1・2塁にランナーが埋まったところで、今度の編成で4番となった山本が登場した。
ピッチャーは小さく息を呑んだ。バッターボックスに立たれただけで胸に言い知れぬ不安が過ぎったからだ。それでも嫌な予感を振り払い、気迫の籠もった打者の視線を受けてグッとボールを握り締める。これしきのことで勝負を避けていてはピッチャーは務まらないのだと。
しかし ――― もうこればかりは「ご愁傷様」と言うほかなかった。
力量の差、相性の悪さに加えて、打者は最高のコンディションだったのだから。
風を切るように力強い打球が空を舞って、一斉に歓声が沸きあがる。
(いきなり打ちやがった…)
スタンドにいる観客の一人が、煙草を咥えて緩く口角を上げた。
順にベースを踏んで走者がホームへと帰っていく。山本は一打席目から豪快なホームランを放った。
興奮に満ちたスタンドの中、煙草を口から放して、獄寺は自分から押し付けた唇を小さく噛んだ。温かな感触と、熱を持った黒茶色の目は、思い出すだけでも心臓が高鳴って熱が上がりそうになる。
(やれば、できんじゃねえか)
言うまでもなく、自分から山本にキスをしたのなんて初めてだ。有り得ない、考えられないと思っていたことでも、実際にはこんなにも強くこの胸を打っている。
(結局、オレも ―――)
おそらく自分で思う以上に、山本に惚れているんだと思い知った。
飛び込む前は不安ばかりが胸に過ぎって考え込んでしまうけれど、いざ思い切って飛び込んでみれば、思いのほか心地よいことが解っていつも拍子抜けしている。
いつも、いつだって、山本の傍は温かいのだと解っていたのに。
あともう一歩飛び込んでみようか?と思う。
「キャー!!たけしぃーーーーッ!!!」
「山本君超カッコイーーーー!!!」
せめてこの、周りの女子達の黄色い声が気にならなくなるところまで。
その後、リボーンと笹川兄も合流してさらに大所帯となり、応援の声もぐっとボリュームを増した。
山本の打席で再びカキン!と澄んだ音が響いて、白球が強く大きく弧を描いた。目で行方を追えば、飛んだボールはまたネットに衝突して転がり落ちていく。
(マジかあいつ…こんなことなら5本っていっときゃ良かったぜ)
終わってから「おまえもまだまだだな?」とからかって本当にコブラツイストをキめてやろうと思っていたのに、本当に3度も本塁打を打つとは思ってもなくて獄寺は呆然としてしまった。
「わーーーっ!!」
「ホームランです!!」
「さすが山本!!すごすぎ!!」
綱吉も甚く喜んでいて、とりあえずは自分の望んだ形にはなったけれど。
「ねぇマジで超すごくなーい!?」
「も〜、タケシ最高ーーーーーッ!!」
ヒートアップした女子達の声援のせいでどうも不貞腐れた顔になってしまう。口から出るのも応援とは程遠い、素直でないものばかりだ。
苛立ちの原因はわかりきっているわけで、それもまた、愛情の裏返しでしかなかったのだが。
(なんでコイツ等、呼び捨てなんだよ)
そうして獄寺は一人また、煙草を咥えながら憎まれ口を叩いた。
「ったく、山本ごときに相手チームは何やってんスかねぇ」
(2008/04/20 up)
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