薄く目を開けるとすでに朝だった。ベランダに降り立ったらしい鳥の可愛らしい声が目覚まし代わりに聞こえてくる。カーテンからはほんのりと淡い光が放ち、部屋を柔らかな色に染め上げていた。
視界の先に大きな手が見える。シーツに寝そべる、よく見知った指の長い大きな手だった。仰向けの手を逆に辿れば、それは自分の首と枕との隙間を通って背中にいる人物へと辿り着く。
腰にも腕を回され、後ろから抱かれている格好だから動けば相手にも響いてしまうだろうが、獄寺は構わずモゾモゾとその場でうつ伏せになって枕元の時計を掴んだ。デジタルの目覚まし時計はあと2分で7時半になろうとしている。平日ならばもう少しでアラームが鳴るところだ。
(……何時に寝たのかも覚えてねえな)
記憶に無いのは時計を気にする余裕も無かったのと、それを気にすることもなくあっさりと眠りにつけたからだろう。そして後は爆睡だ。
夜中に一度も目の覚めることなく朝を迎える、それは日頃から眠りの浅い獄寺にとってはとても珍しいことだった。
時計を置いて、獄寺は枕に頭を沈めた。それから深く息を吐きながらゆっくりと、隣にいる人物に目を向ける。視界に留めた瞬間、どくん、どくん、と胸が反応を始めた。掛け布団との隙間から何も纏っていない上半身を覗かせていれば、嫌でも昨夜を思い出す。
(たまんねえな、まったく…)
相手がまだ、眠っていて良かった。今、この状態で目が合おうものなら―――
(恥ずさで死ねる)
自室のベッドで、肌を合わせた相手を隣に目覚める朝。
そこにいる山本の顔を見れば、人生何が起こるかわかったモンじゃないと感慨深く思ってしまう。
静かな寝息を立てている少年は昨夜と変わらぬ状態のまま、腕の中の人間が動いても反応はなく、まだ起きる気配もない。自分のような睡眠に少し難のある者を起こすことなく抱いて、一晩ジッとして背中を温め続けていられたのだから山本はかなり寝相が良いといえる。
(なんか…すげぇまともに寝れた気がすんな)
質の良い睡眠をとれたというのか、頭がすっきりとして目覚めがいい。昨夜も、眠りにつく前にひどく睡魔が襲ってきたのを覚えている。あっという間に吸い込まれ、ストンと落ちるように眠れたのだ。
普段はそれを感じることなど殆どない、厄介な体質だというのに。
(…こいつと一緒だったから、だろうな)
言わずもがな、情事による若干の疲労も手伝っているのだろう。さすがに、2度も絞り取られたあの脱力感は疲弊すら覚える。だが、本当の要因はその後だ。
後ろから抱かれて眠る、あの背中を守られているような安心感と。包み込む柔らかな匂い、人肌の温かさ ――― そうして改めて思い出してみると、睡魔に襲われたのも合点が行く気がした。
肘をついて少し身体を起こした獄寺は、山本の顔を覗き込んだ。寝顔でもなければ、こんなにまじまじと山本の顔を見れることもない。
取り立てて言うほど童顔だとは思わないが…やはり、あどけないと感じるのは寝顔だからか。
(へえ……結構、キレイな顔立ちしてたんだなこいつ)
オンナ共がきゃあきゃあ言うだけはある、と思った後で、今となっては欲目でしかないかと鼻で笑う。まして顔など毎日見てきたのに今更な話だ。
起こしてしまうからと触れるのを抑えて、ただ寝顔を見つめた。
(――― 悪くねえ、どころじゃなかったよな…)
キスを繰り返し、互いのものを擦り合って慰めた。風呂でも、ベッドでも。
準備も何もなかった故にそれ以上進めることはなかったが、オーラルといえど、セックスと名のつく行為をしたことに変わりはない。
芯まで熱くなって、狂おしいほど、己の持ちうる全ての感覚が善がっていた。声を殺すのに必死だったほどに。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚…そこに気持ちが伴えば尚のこと。いや、気持ちがあってこそ感覚が満たされたのか。あんな充足された気分を、他に知らない。
(ほんとに、たまんねえな…)
再び枕に頭を沈め、少しだけ山本の方へと身を寄せた。大きく息を吸い込めば、柔らかな匂いが鼻腔を擽って胸を満たしていく。
(もう一眠りしてえけど)
予定がなければそれも叶ったが、残念ながら諦めなければならない。今日は綱吉の補習の日だ。
(メシ食って用意して、10代目のお宅にお迎えにあがらねえと…って、そういやこいつも補習じゃねえか)
ならば朝食の後で、支度をさせに家に帰さなければ。
(……なんか、軽く食えるモン作るか)
惰眠を誘う温かい寝床から身体を起こすと少し肌寒さを感じた。名残惜しく抜け出た後で、眠る山本にちゃんと肩まで布団を掛け直してやる。
(メシは炊かねえと無えし、パンでいいよな)
適当に軽装を纏い、大きく伸びをしながら獄寺は自室を後にした。
*****
山本が目を開けたのはそれから約30分後のことだった。シングルベッドにぽつんと一人、腕の中にいるはずの獄寺がいないと気づいた途端、目もぱっちりと覚めた。
がばっと起き上がって呆然とする。しまった、と山本は片手で顔を覆った。
(しくじった…!!先に起きれっと思ったのに)
獄寺の方が先に起きてしまったらしい。リビングの方から、いやその奥にあるキッチンからかもしれない、物音が聞こえてくる。時間を知りたくて時計を探す。枕元の置時計を見ると8時を少し過ぎたところだった。
普段なら遅くとも7時には勝手に目が覚めるのに、と苦い顔をする。試合後で疲れていた上に昨夜のことも影響したのか、こんな大事な時にうっかり寝すぎてしまったなんて最悪としか言い様がない。
(携帯でアラームセットしときゃ良かった。すげぇ勿体ねーことした)
獄寺よりも先に起きれば天使の寝顔を満喫できるだけでなく、とっておきの一枚を写メにおさめることも可能だっただろう。起きたら起きたで二人、またベッドの中でゴロゴロ出来るんじゃないかなどと…昨夜、寝る前に夢見がちに考えていたのが儚くも崩れ去った。
自分の体内時計を過信したせいなのか。いや、それよりも、この浅ましき欲求に対する超自然的な仕打ちな気がしてならない。
(昨日なかなか寝つけなかったもんな…)
仕様がないほど好きな子を腕に抱いて、まして熱を分け合った後で簡単に眠れるわけがなかった。思い出して、考え過ぎて、それだけ眠りに入れなかったぶん、朝の起床もズレ込んだのだろう。
脱力して、山本は再びベッドに寝転がった。
(あ〜…朝も獄寺に触りたかった…)
夢ではないのだと、朝にも確かめたかったのに。
山本は、自分の手を見つめてぼんやりと思った。
(触ったんだよな、ほんとに)
女の子のようだとは思わなかった。当たり前だが身体は男のそれそのもので、さして柔らかいわけでもなく…――― けれど、白くて綺麗で温かくて、滑々とした肌は触っていてとても気持ちが良かった。声も素直に出すはずが無くて、呼吸を乱すだけで甘い声なんて漏らすことも無かったけれど、それでも、いや、それが獄寺らしくて本当に可愛かったのだ。
獄寺に、望んだ形で触れられた。手でも唇でも。
彼に、応えるように触れてもらえた。自分がしたのと同じように。
本当にそうなったら困るけれど、本気で、死んでもいいとさえ思った。
カチャカチャと食器の擦れる音が聞こえてきて山本はハッとした。
(あ…、もしかしてメシ作ってる?)
なら、いつまでも寝転がっている場合ではない。手伝いに行こうと、起き上がって自分の服を探す。ベッドを出て、パンツ一枚という半裸状態の自分に気づいて思わず苦笑いをした。
手早く服を着るとリビングへと向かう。
(おー、いー匂い)
トーストらしき匂いと、仄かにコーヒーの匂いもする。
キッチンを覗き込むと、髪を括ってエプロンを身に付けた獄寺がレタスを手にしていた。
「おはよう、獄寺」
「!…お、おう」
気づいて目が合った瞬間、妙な空気が流れて互いに耳まで真っ赤になる。堪えきれずに視線を外したのも二人同時で、途端に頭が真っ白になってしまう。何も考えずに声を掛けた自分を山本は少し悔いた。考えてみれば当然の反応だった。昨夜はそれだけのことをしたのだ。
「…、はよ」
「う、うん…」
(うわ、すげぇ恥ずい…思ったよか気まずいな、何か、言わねえと)
焦って考えているうちに、ドン、とまな板にレタスを置いて先に口を開いたのは獄寺のほうだった。
「んだよ…自分で起きちまったのかよ、つまんねえな」
淡い緑の葉を手で剥がしながら零れたその文句に、窮していた山本ははからずも救われた。
「なに、何かイイ起こし方してくれる予定だった?」
そんな風に言われるとつい甘い期待をしてしまう。優しくキスで起こしてもらえたりしたなら夢のようだ。丸一日幸せ気分でいられること請け合いだ。
(なんだ、あのまま寝てれば良かった)
もうそれしか思い浮かばず、山本は心の中で少しガッカリとしてしまう。
「あぁ」とまだ少し赤い顔で頷いた獄寺は、丸いレタスを頭に見立てて片手で掴み上げ、中指の先をもう片方の手で持ってグッと手前に引き寄せた。
「アイアンクロー式のデコピンで起こしてやろうかと思ってたんだよ」
引き寄せていた手を放すと、中指が力強くパン!とレタスを打った。あべ、と零して獄寺がレタスを見遣る。中指で打った部分が陥没したらしい。
「…」
(忘れてた俺)
山本は獄寺の性格を思い出した。キスで優しく起こしてくれるなんてあるわけがなかった。
(寝てなくて良かった)
危うく悲惨な起こされ方をされるところだ。夢は甘くも、現実は厳しい。
「…メシ、もう出来っから顔洗ってこいよ」
それでもいいか、と山本は頬を緩める。
朝一番にこの、意識して耳まで赤くなった可愛い顔が見れただけで―――
顔を洗って戻ってくると、テーブルにピザトーストと小皿に盛られたサラダが並んでいた。
「今もう一枚焼いてっから、ゆっくり食えよ」
「うん」
朝食を一緒に食べるのは初めてだ、と妙にドキドキとする。家ではいつも朝はごはんものだったから、余計に新鮮な感じがするのかもしれない。
促されて座ると同時にコトン、と置かれたのは牛乳だ。さらにコーヒーの入ったマグカップを置いて、獄寺が向かい合わせに座る。
「いただきます」
目の前に広がる、絵に描いたような朝食の風景がなんだか面映ゆくて、それがひどく山本の胸を高鳴らせていた。
玉葱にピーマン、ハムなどの具沢山のトーストを齧ればやはり美味くて、胃が幸せに満たされていく。
いつもなら素直にそれを伝えていたけれど、しかし、今はどうしてもその言葉が出なかった。この光景を前にしては、美味い、なんて言葉だけではとても足りなかったからだ。
爽やかな朝の光がフローリングを眩く照らして、辺りを優しく包み込んでいる。
相変わらず手料理も美味くて、飲み物だってちゃんと牛乳で、目の前には大好きな獄寺がいる。
なんて完璧な朝なんだろう、と思う。
「…獄寺」
「ん?」
モグモグと咀嚼しながら、訝しげに山本を見遣った獄寺はコーヒーを手にした。
完璧な朝を前に、感極まった少年の心は遠い未来を見据えて完全に固まっていた。しかし―――
共に夜を越えたと言えど、たった一夜。
胸の中に芽生えた決意は固くも、それはあまりに早すぎた。
「結婚して」
獄寺は豪快にコーヒーを噴出した。
(2008/05/06 up)
back