「ビアンキ、気持ちはわかるが」
「何が解るっていうの」
あの子に好かれているあなたに。言外にはそんな声が込められているのが分かる。どうしたもんかと男は軽く腕を組んで、まばらな顎鬚を撫ぜた。
「なんつーか、あいつにも厄介な事情があるんだよ…」
「…」
毒に侵された料理を無理やり食べ続けさせられた弟のトラウマは相当深い。
しかしポイズンクッキングは制御不能だ。彼女自身、どうすることもできないのであれば周りとて手の施しようが無いわけで。
(だからって料理やめろなんて言えねーしなぁ)
本当に、難儀な話だと思う。
「だが、一つだけ俺が言えるのは…」
今、この少女のために言ってやれることは一つしかない。男はまっすぐにビアンキを見つめた。
「キミがただ一人の大切な姉さんだってことを、あいつは忘れちゃいないさ」
その言葉に目を見開いて、瞬きもしないほどにビアンキはピタリと動きを止めた。
そして、じわ、と少女の大きな瞳が潤んだ。
「…ほんとう、に?」
弱々しく眉を下げたビアンキにシャマルは力強く頷いた。
「ああ、もちろんだ」
零れてしまった涙を細い指先で拭って、少女は僅かに声を震わせた。
「ママンのことが…あっても?」
「…」
悲しい齟齬に、シャマルは表情を少し曇らせた。
「あれはキミには何の責任もないことだ」
「でも」
隼人の母親は山道を車で走行中、崖から転落して死んだ。あっさりと事故で片付けられたそれは、実際は事故などではなかった。
シャマルは知っていた。そのことでこの少女が影でどれだけ思い苦しんできたのか。
父親の手の者による殺害だったのだとの噂を聞いた時、彼女は娘でありながら真っ先にそれを考えてしまったのだ。
…愛情深い父親は、間違っても部下に命じて愛した女を殺すような男でなかった。
ならば、他に誰がそんな命令を?
―――幼い少女の頭に過ぎったのは、嫉妬に狂った正妻の姿。
真実を語るものがいない以上、全ては憶測でしかない。城内でも、滅多な事を口にする者は一人もいなかったけれど、それはきっと誰もが一番に頭に過ぎったことだった。
(まぁ、可能性としちゃ一番高いからな…)
ビアンキが、それが姉弟の間に溝を作った原因だと考えたのは仕方の無いことだろう。
毒料理のトラウマは置いておいて、当の弟が母親の件についてこの姉をどう思っているのかは聞いたことがないからわからない。…だが、わざわざ彼に問わなくともシャマルの目にそれは明らかなように思われた。
「そのくらい、隼人だってちゃんと解ってるさ。じゃなきゃ、キミのことを『姉貴』とは呼んでない。そうだろ?」
「…」
ビアンキの表情は重いままだ。心に染み付いた不安は到底、言葉で拭えるものではない。
その時、重い沈黙の流れる一室へ、窓からヒュウっと白い物体が飛び込んできた。
「…紙飛行機?」
まっすぐに自分へと向かって飛んできたそれを上手くキャッチして、ビアンキは首を傾げた。
見れば紙に黒いインクが染み込んでいる。中に何か書かれていると、急いで紙を開くと中にはマジックで一言こう書かれてあった。
バカ姉貴
メール着信のメロディが鳴って、携帯を開いたシャマルが渋い顔で窓へと歩み寄った。そして外を覗き込んで近辺に目を走らせると、チッと小さく舌打ちを零した。
「どこ行きやがったあいつ」
「隼人…いたのね」
全部聞かれていたのだ。ああ、これでまた嫌われただろうかと眉を下げて、少女は弟から受け取った紙を見つめた。
―――じゃなきゃ、キミのことを『姉貴』とは…
(隼人…それを、信じていいのね?)
姉貴、とはっきりと綴られた紙を握り締めて、涙を零さないようにビアンキは天井を見上げた。
「……城の中ではシャマルと執事のアレッシオ」
「?」
「ここへ来てからはツナにべったりで…そして今度は―――」
オレンジ色に染まった昇降口。思い出すのは少年の酷く驚いた顔。これが弟の選んだ相手。
『隼人は、どうやってあなたを好きになったの?』
嫌いから、一変に惚れたなんてことはないだろう。惚れるにしろ、その前に心を開いた何かがあるはずだと、そう思って訊いたことだった。
返ってきた答えを思い出すと、つい苦笑いをしてしまう。
「―――…思えば昔から、あの子は男ばかりに懐いていたわ」
意外な言葉にシャマルが少し目を丸くして、それから、少し茶化すように笑った。
「ハッ、昔からその素質はあったってか」
「かも、しれないわ」
微かにでも笑みを浮かべられるほどには調子を取り戻したらしい少女にホッとして、シャマルは最後に一つ訪ねた。
「それで、実際のところはどうなんだ?」
「何?」
「『可愛い義妹』の出来る夢が消えたんだろ。姉として、大事な弟が男を選んじまったってのは」
シャマルの問いに、少女は苦笑いを返した。
「…愚問ね」
『俺の愛と努力で!』
ビアンキは、出した問いに恥ずかしげもなく真顔でそう答えた少年の顔を思い出していた。
一瞬、バカ丸出しに思えたけれど、単純明快なそれはおそらく共通する何よりの答えでもあったから。
「隼人が選んだのが誰であろうと…大事なのは愛よ」
ヒューゥ、とシャマルが口笛を鳴らす。
「さすがはビアンキちゃん。惚れるねえ、そういうトコ…今日はますます帰せなくなっちゃったな〜」
「…あなたに惚れられても嬉しくないわ」
「まーたそんな照れ隠し言っ…あれ、まさかもう帰っちゃうの!?そりゃねーよビアンキちゃーん、せめてこれから飲みにでも…」
(この男はどうしていつもこうなのかしら)
隙あらばすぐにナンパだ。調子良くあとを追って誘ってくる男をあしらいながら、これさえなければ、と思ってしまう。
けれども、来て良かったのだとそっと胸に手を当てる。ここへ来たおかげで、胸に痞えていた何かがいつの間にかすっかり消えていた。
***
爆発寸前の怒りを抑えながら店先のチャイムを鳴らすと、出てきたのは剛だった。
「おー、獄寺君じゃねえか!どしたぃ、こんな時間に?」
「すんません、山本に話があって!ちょっとお邪魔します!!」
「お、おお…」
怒気を孕ませながら奥へとズカズカ歩いていく獄寺を目に、(武のやつ、また殴られんじゃねえのか?)と剛は冷や汗を掻いて見送った。
階段を駆け上がり、取っ手に掛けた手に怒りがこもる。スパーン!と山本の部屋の引き戸が勢いよく開いた。
「山本テメェエエエエエ!!!」
「え、獄寺!?」
こんな時間になんで!?と驚いたのも束の間、ポジティブな勘違いをした山本が嬉しさを満面に湛えて「獄寺…ッ!」と抱き締めようと両手を伸ばしてくる。獄寺は「違う!!」と大きな手を叩き払った。
すぐさま山本の胸倉を両手で掴み上げて、ギッときつく睨み付ける。
(誰にも言うなっつったのにこの野郎ッ!!!)
自分は誰一人にも漏らしていない以上、あの話の出所はここしかないのは明白だ。
「何で姉貴がオレ等のこと知ってやがんだコラァアアア!!!」
あまりの怒り様にぎょっとしたものの、「ああなんだ、ソレな!」と山本はすぐにケロっとして笑った。
「こないだ俺らがチューしてるとこ見ちまったんだって!…―――えっ、ちょ、獄寺!?」
怖ろしい真実を耳に、フッと意識が遠退いて倒れそうになった獄寺を抱き支えて山本はぎょっとした。
「ご、獄寺!大丈夫か!?」
「…もう、マジで…」
(死ねる…)
おーい、しっかりしろ!と山本にガクガク揺さぶられて、生ぬるい涙が頬を伝った。
綱吉の父に続き、腹違いの姉にバレ、果てはシャマルにまで…
(10代目にバレるのも時間の問題な気がする…)
そう思わずにはいられない獄寺だった。
そしてまた、思わぬところで余波を受けている人物が一人―――
「……『俺らがチューしてるとこ』?」
―――心配になって来てみた階段の下では、息子の問題発言に真剣に考え込む剛の姿があったとか。
(2008/09/15 up)
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