砲弾を受けたという自覚の直後、座っていた場所が一変して座り心地の悪いものとなった。後ろ手をついて感じたのはざらりとした感触だ。
(なんだ?砂…?)
掴んだ感触からしても間違いない。白煙に包まれて何も見えずとも、屋外にいるらしいことが解る。薄まっていく煙の先で、ツインテールの非常に可愛らしい女児が大きな瞳をぱちくりとした。見れば座っているのは砂場で、女児と自分の間には大きな砂山が作られている。
「たけしくんがおっきくなったー!」
「わ…っ」
思わず目を疑ってしまう。どこか舌足らずな、のんびりした口調で叫んだ女児の姿に山本はひどく驚いた。
「え!?もしかしてなっちゃんじゃね?すげぇ懐かしー!」
ピンクのスモックに付けられたチューリップの名札を見て改めて確信する。間違いなく『初恋の君』だ。
近所に住んでいた彼女とはとても仲が良くて、おおきくなったらけっこんするー、などと二人して言っていたのを覚えている。しかし幼稚園の年長になる前に彼女が遠くへと引っ越してしまい、幼き日の淡い初恋はそこで呆気なく終わってしまったのだ。
(っていうかここ…)
砂場、ジャングルジム、すべり台、ブランコ…見覚えのある小さな遊具も、いつの間にか周りを囲って不思議そうにジッと見つめてくる園児達の顔も、確かに記憶の片隅をつついて『懐かしい』と感じさせている。
間違いなく、ここは過去なのだと容易に理解ができた。
(ん…?でもあれって確か10年後の未来と入れ替わるはずじゃ……アレ??)
ぐるぐると思考を巡らせても何故こうなったのか解るはずもない。数秒後、山本は考えるのを止めた。
(まぁ、いっか。そのうち元に戻んだろーし…それより)
綱吉の部屋からいきなり飛ばされたから靴下のまま外に放り出されてしまった。とりあえず動くためにも何か履くものが欲しいところだ。何かないかと探して見てみると、お遊戯室の傍にある園児用の靴箱に一足、職員用のスリッパがあるのが見えた。
山本は、なっちゃんと呼ばれる女児の目の前でぱん!と両手を合わせた。
「なっちゃん、ちょっとお願いがあんだけど」
「なーに?」
「あっこにある緑色のスリッパ、持ってきてくんね?」
「うん、わかったー!」
指差す先を確認して、こくりと頷いた女児がスコップを置いて立ち上がる。女児がスリッパを取りにその場を離れると、今度は周りにいた園児達がわらわらと集まり始めた。
「たけしがへんしんした!」
「おとなになった!!」
「かっけー!」
「でけー!」
「すごーい!」
背や肩をぺたぺたと触ってくる園児達に「すげーだろー」と笑ってみせる。はしゃぐ園児に囲まれながら、ここからどうしようかと考えて山本は困り果てた。仲間だと思ってくれている園児達はまぁ良いとして、問題は先生だ。
(見つかったらさすがに『誰だ』ってツっこまれるよな…)
今は外にいないようだが、お遊戯室のドア硝子に何やらせっせと動き回っている女性教員の姿が見える。まだ気づかれていないが、見つかるのも時間の問題だろう。
「たけしくん、はい!」
初恋の女児が緑のスリッパを持って戻ってきた。
「おお、なっちゃんありがとな!」
「うんっ」
その愛らしい笑顔を懐かしんだのも束の間、さて、これを履いて幼稚園から出て行くなりした方がいいか?と考えて思い留まる。
(でも…確か5分で戻るんだよな)
園児の自分が戻った時のことを考えたなら、断然ここにいた方がいいだろう。しかし、それならどこかに身を隠すか?と辺りを見回してみるも、教員の目を避けて動ける範囲で隠れるに最適な場所が全くない。
(んー、参った。どうっすかな…)
考えに詰まって、こうなったら園児達に交じって何とかやり過せないかなどと、とんでもないことまで考え始める。
(案外バレなかったりして…なんて、それはねーよな)
「はーい、みんなお部屋に入って〜!お歌の時間ですよ〜!」
山本はギクリとした。万事休すだ。
お遊戯室にいたこれまた懐かしの女性教員が、中での用事を終えて出てきてしまったのだ。
「使った遊び道具は元の場所に戻しましょうねー!手もきちんと石鹸で洗っ…―――え!?」
園児達に聞こえるように大きな声を出していた女性教員は、園内の遊び場を一通り見渡した後で、園児達のやたら集まっている砂場にもう一度目を向けた。
(なんかすごいデカい子がいる!!!)
園児達に囲まれている少年の姿に、女性教員は目を疑った。
***
歩調を合わせることもなく、一人ですたすた歩いていく獄寺に歩幅の狭い幼児はついていくのに大変だ。「まって」と言って走っては追いつき、離れてはまた走って追いつきを2度繰り返して、小さな山本はやがて獄寺の空いている左手を掴むことに成功した。
「!」
ぷにぷにの幼い手に掴まれて、驚いた獄寺が足を止める。
「…」
「?」
小首を傾げる小さな山本に怪訝な顔をして、獄寺はぎゅうっと握られた手を振り払った。
「あ〜!」
「静かにしてろ」
せっかく繋いだのにとばかりに喚く幼児にぴしゃりと言い放ち、右肩に掛けていた鞄を左肩に掛け直して空いた右手で小さな手を掴み直す。
「オラ、おまえの立ち位置はこっち側なんだよ…10代目の側に立つんじゃねえ」
「うん」
再び繋がれた手に安心して小さな山本は満足気に頷いた。返事だけは良い幼児に(ほんとにわかってんのかよ)と少し呆れる。
(しっかし、ちっせぇ手だな…)
当たり前だが、あの山本にもこんな時分があったのだ。弱々しくて、とても頼りない手。大きくてしっかりとした14歳の山本の手を思い出せば、10年の歳月の大きさをしみじみと感じてしまう。どんな力加減で握り返してよいものやらわからなくて、一方的に握られるままだ。
(…野球バカになる前の山本か)
単純で素直で明るくて、愛嬌だけはピカイチで、無意識に人の心を掴む術に長けている。4歳児の彼からもそれは如実に感じ取れる。
極端な話、山本から野球を取ったらたぶんこうなるんだろうな、などと考えて(…それは極端すぎるか)と獄寺は一人ごちた。
手を繋いだことで獄寺の歩調も幾分遅くなり、まだ早歩き気味ではあったが小さな山本も少しは歩きやすくなったようだ。
「どこいくの?」
「オレの家だ」
「なっちゃんもいる?」
「なっちゃん?なっちゃんはいねえな」
「いないの?」
「いねーよ…つーか、なっちゃんって誰だよ」
相手は幼子だ。話など適当にあしらうつもりでいたのに妙に気になってしまった。そういえば、と思い出したのだ。小さな山本が現れて開口一番、この「なっちゃん」という名前を口にしていたのを。
「なっちゃんはーいちばんかわいいこ!いえもちかくなんだ」
「…」
(まさかこいつ)
4歳にしてすでに特定のガールフレンドがいたのかと、獄寺は片眉を上げて見下ろした。
「…そのなっちゃんとやらは良く遊ぶのか?」
「うん。えっとー…まいちゃんとー、あみちゃんとー、ゆうちゃんもあそぶけど」
(オンナの名前ばっかりじゃねえかこの野郎)
指折り挙げられたそれに思わず口角が引き攣ってしまう。
「なっちゃんは、おおきくなったらけっこんするってゆびきりした!」
「へーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーえ…」
酷く棘のある相槌を打った後で、獄寺は(まぁ、落ち着けよ)と自分自身を宥めた。
(ガキの頃の話じゃねえか)
そう、これはもう10年も前の話であり、現在はその結婚を約束したらしい『なっちゃん』は影すらも見掛けない。まだ同じ並盛にいるのかは知らないが、その女子はおそらく今は交流もないはずだ。今の山本には全く、何の関係もない話なのだ。
(つーか、別に気にしてねえし。気にするようなことでもねえし)
「ごくでら!」
「んだよ、うっせぇな」
声の棘が取れてないのはきっと気のせいだろう。しかし小さくともさすがは山本というべきか。乱暴な物言いにひとつも怖じることなく、訴えるように軽く獄寺の手を引っ張った。
「おれ、のどかわいた」
「…」
家に着くまで我慢しろよと言おうとして、獄寺はふと足を止めた。
(そういや家にこいつが飲みそうなモンがねえな)
あるのは水と茶とインスタントのコーヒーくらいだ。ん〜、と唸ってガリガリと後頭部を掻く。
「…しょうがねえな、コンビニ寄ってくか」
「うん」
「うんじゃねえよ、ったく…」
獄寺は小さな手を引いてコンビニへと向かって歩き出した。
幼児にペットボトル飲料は少しデカ過ぎるだろうと、奥のショーケースには行かずにブリックパックの置いてある陳列棚へ向かう。見れば、リンゴ、オレンジ、グレープ、ピーチ等々…まさに子供の好きそうな飲み物がいっぱいだ。
もしかするとどれにしようかと迷いに迷ったり、あれもこれもと強請られたりと面倒なことになるかもしれない。近所のスーパーマーケットでもよく見かける光景だ。
覚悟をしつつ、獄寺は小さな山本の頭にポンと手を乗せた。
「どれがいい?」
「これー!」
「早ッ」
小さな山本は一秒も迷わなかった。めいっぱいに手を伸ばして指差したのは並盛牛乳だ。
「おま、牛乳かよ!?もっと他にいいのがあんだろーが…オレンジジュースは?」
「やだ!」
頭を左右に振って即答で拒否され、獄寺は口をへの字にした。早々に決めてくれたのは有難いのだが、何故だか納得がいかない。渇いた喉を潤すのに、牛乳を選ぶのは何だか違うような気がするのだ。
「リンゴジュースとか」
「やだ!!」
一体牛乳の何がそうさせるというのか、小さな山本はにべもなくきっぱりと断ってくる。
(牛乳が入ってりゃいいのか…?これならどうだ)
「いちごオ・レは?」
「やーだ!」
地団太まで踏んで頑として頷かない。他のものなど目にも入らないほど牛乳一筋のようだ。感心してか呆れてか、獄寺の口から小さな溜め息が零れた。
「マジでいいんだな?これで」
「うん」
「…わぁった」
青いパックを1つ手に取って、ついでに自分のも何か買って行こうとチルドカップコーヒーの置いてある棚に目を向ける。その中で新発売の品を見つけると、獄寺は一つ手に取った。
買い物は以上だ。レジへと向かいながら、『並盛牛乳』と書かれたパックを眺めてどうにも首を傾げる。
(わっかんねえな…、んな美味いモンでもねえだろうによ)
山本の牛乳好きはもちろん知っているが、よもやこんな幼い頃から愛飲していたとは驚きだ。(アイツ、筋金入りの牛乳バカだったんだな)と、今更ながら少し頬を緩めてしまう。
レジの台に商品を置いたところで、獄寺は小さな山本が傍にいないことに気づいた。
「あれ…オイ、どこ行ったタケシ!」
「ごくでら!」
てててっ、と走って菓子コーナーから小さな山本が戻ってくる。その手には男の子の顔が描かれた赤い箱が握られていた。
獄寺の傍まで駆け寄ると赤い箱を頭上に掲げ、小さな山本は獄寺に向かってぶんぶん、と箱を縦に振った。
「これうまいのな!」
箱には『クリームサンドビスケット』と書かれている。これだと迷わず持ってくるあたり、パッケージのデザインもおそらく昔と変わらぬものなのだろう。子供の成長のための栄養等を考えた、子供向けのお菓子のようだ。そして、まさに牛乳にぴったりなお菓子でもある。
「…」
なにオレ、もしかして強請られてんの?と獄寺は思わず閉口した。
スーパーマーケットで良く見かけるこの光景…―――あぁ、世の母親達はこれと戦っていたのかと初めて理解する。
「ごくでら!」
呼ばれて、獄寺は冷やりと汗を掻いた。フゥ太の子犬のまなざしにも全く動じなかった自分が、何故だか今は動揺を隠せない。
見上げながら少し小首を傾げ、真っ直ぐで幼気な瞳がダイレクトに心に訴えかけてくる。一度見つめられたなら『NO』と言えなくなる、あの黒茶色の瞳の威力は4歳だろうが変わらないらしい。
幼子の持つ、愛らしさという名の武器をフルに使われて懇願され、胸にうずうずと抑え切れない妙な感情が込み上げてくる。どうやら、男の自分にも母性本能というものがあったようだ。
「ごくでら!」
これが欲しいと、赤い箱をぶんぶん振っての懸命のおねだりに獄寺は―――
「くそ…っ、貸せ!」
―――負けた。
奪い取った箱を乱暴にレジに置いて「追加だ!」と獄寺が言うと、喜びのあまりに「ったー!」と叫びながら小さな山本は獄寺の足に抱きついた。
眼鏡をかけたアルバイトの青年がピッ、と菓子のバーコードをスキャンする。
「3点で、378円のお買い上げになります」
そう言って袋詰めを始めながら、青年はぎゅっと緩みそうになる口元を引き締めた。一見近寄りがたい、怖そうな不良少年が幼児にまんまと陥落されてしまったなんて、思わず笑いが漏れてしまいそうなほど微笑ましいではないか。
僅かに笑いを含んだ声に気づいて獄寺の耳がピクリとする。
「なに笑ってんだてめえッ!!」
「ひっ、す、すいません…!」
ダァン!と500円玉をレジに叩き置いてガンを飛ばす不良少年に、気弱な店員は小さな悲鳴を上げた。
***
一方、山本は。
(ん〜、なんで戻らねんだろ……ツッコまれねえうちに早く元に戻ってくんねえかな)
5分を過ぎても全く戻る気配がない状況で、一体何をしているのかというと―――
「♪むーす〜んーでーひーらーい〜て、てーをーうってーむ〜すんで〜♪」
―――うまく園児達にとけ込んで、お遊戯室で一緒に歌を歌っていた。
オルガンを弾いて園児達を導きながら女性教員は混乱していた。園児達に交じって一人、明らかに園児ではない子が一緒にお歌の時間に参加している。
(…どうしよう)
もはや何をどうツッコんでいいのかもわからない。
結構な男前である彼に気を取られて、はじめは園児が一人いなくなっていることにも気づかなかった。はしゃぐ園児2人に手を引っ張られて当たり前のようにお遊戯室に入っていった正体不明の彼を、普通に園児の父兄かと思ったのだ。
しかし、後から来た園児達に『あのお兄ちゃんだあれ?』と訊けば、園児達は口をそろえて彼を『たけしくん』だと言う。そこで園児のたけしくんがいないことにもハッと気づいた。
『なっちゃん、たけしくんどこいったの?おトイレかな?』
消えた園児と一番仲の良い園児に訊いてみれば、『あそこにいるよー』と女児は迷うことなく真っ直ぐに少年を指差した。園児達が嘘をつくとは思えなかったが、女性教員はとても信じられなかった。しかし同時に、指をさされて弱った笑みを浮かべているその彼が『たけしくん』に異様なほどに似ていることに驚きを隠せないでもいた。
おかしいと首を傾げているのは自分しかいない。園児達は誰一人として彼を『たけしくん』だと認識して疑っておらず、お友達がいなくなったとは思っていないのだ。
不審者を見たならすぐに言ってくるが、それもない。そして『たけしくん』と一緒に遊んでいた園児も『たけしくんがいなくなった』とは言わない。こんなに不思議なことがあるだろうか。
彼がもし『たけしくん』なのだとしたら―――
(4歳で急成長…?あるわけないわよね、そんなこと)
着ている服も違えば、到底、個人差で片付けられる問題でもない。けれど彼を見ていると『たけしくん』ではないとは言い切れない不思議な何かを感じるのも確かだ。混乱のあまりどう対処すれば良いのかわからず、思わず黙認して何事もなかったかのようにお歌の時間をスタートさせてしまった。
(私の目がおかしいのかしら…)
もしかしたら園児達には普通に見えていて、ここは自分の目を疑うべきなのかもしれない。
そうでなければ、園児がたったの一人も疑問に思わないなんてことあるはずが―――
「そーのーてーをーうーえーに〜♪」
チラっと目を遣ると、園児達と一緒に元気いっぱいに歌いながら、歌に合わせて両手を上げている大きな少年が見えた。
(…やっぱりデカいよね!?)
早く他の先生に相談した方がいいかしらと考えたものの、一体この状況をどう説明すればいいのかわからなくてさらに頭を悩ます。
「♪むーす〜んーでーひーらーい〜て♪」
(…ほんとに、どうしよう)
園児達の愛らしい合唱の中に、少年の低い歌声が交じっているのが聞こえる。
「♪まーたひらいてー、てーをーうって♪」
困窮して、女性教員は緩く頭を振った。
園児達と同様、無邪気な笑顔を振り撒きながら一緒に手振りを交えて歌っている少年の姿を見ていると、だんだんと思考回路が麻痺してくる。
(なんか、違和感なくなってきちゃった…)
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(2008/05/24 up)