ぶっ殺してやる。
ベッドから這い出た獄寺は、恐ろしいほどの殺気を纏って壁に掛かった白い受話器へと突進した。
その夜は体調不良のせいでインターホンが鳴っても全く出る気がしなかった。無視決行から20秒後、2回目のインターホンが鳴り、さらに3回目が鳴って眉を顰め、4回目でイラっとし始めた。
その後だった。これでもかと6連打で鳴り響いたインターホンに完全にブチギレたのは。
獄寺は荒々しく受話器を掴んだ。
「…今出るからそこで待ってろ、」
「おぁっ、本当に出た!!ご、獄寺君!?えっとオレ、沢田と」
血祭りにあげてやる、と続けようとした言葉は、受話器の向こうから聞こえてきた声によって完全に消失した。
「じゅ、10代目!?」
たちまち怒りが飛んでいく。受話器を置いて獄寺は玄関へとダッシュした。慌しくチェーンを外し、鍵を開けて勢い良くドアを開く。
ツンツン頭の小柄な少年が、突然開いたドアに驚いて後ずさった。
「わ!」
「10代目!!な、なんかあったんスか!?どうやってここの…」
「よ、獄寺」
綱吉よりも幾分低いその声にどきっとする。
「ごめんな、寝てたか?」
ドアの影から姿を現した少年が、頬を掻いて苦笑いをした。
「山本…」
呟いて、獄寺は怪訝な顔をする。
午前中に保健室でも顔を合わせ、鬱陶しいくらい心配されて、最後に彼の世話にだけはなりたくないという一心で、授業の真っ最中にカバンを引っ掴んで急いで帰ってきたというのに。
(…なんでまた現れる)
獄寺の眉間の皺が深くなったのを見て、冷や汗を掻いた綱吉が有らぬ方を見て言った。
「あ…あの、連打したのはオレじゃないよ?」
「あっ、ツナ!」
ぶんぶん、と手を振って一人逃げようとする親友に山本が焦る。「それなら俺も黙っちゃいられねーなァ」と口角を上げ、両肩をがっつりと掴んで綱吉を前へと立たせた。
「最後にゴーサイン出したのはツナなんだぜ?」
「だ、だってほんとにやるとは思わなかったんだよ!?ごっ、ごめんね!?獄寺君」
畏縮する綱吉に獄寺が優しい笑顔を見せる。その笑顔がどれほど特別なものなのかは普段の仏頂面を知る者だけが知る。もちろん獄寺が綱吉に怒りを向けるわけもなく。
「そんな、全然気にしてないっスよ。……山本だけなら血祭りにあげてましたけど」
後半だけは目が半分笑っていなかった。冷たい空気が流れたのは綱吉の気のせいではない。
「ははは、危なかったのなー!」
軽く笑う山本に (ほんとにね…) と心の中で呟いて綱吉は青ざめた。
「え、えっとそれで、今日来たのは…獄寺君急に帰っちゃったからさ、大丈夫かなって心配になって」
「んで、保健医のおっさんに場所聞いてきたんだよ。ホラこれ、差し入れ。晩飯まだ食ってないだろ?」
「一緒に食べない?」
山本は竹寿司と書かれた袋を、綱吉は大きなお茶のペットボトルの入った袋を見せて笑った。
「……」
『友達』を見る二人の視線に獄寺はたじろいだ。己が認識とのあまりの齟齬に居た堪れなくなってくる。
片や友達というには恐れ多く、片や友達とは位置づけたくない。山本一人なら追い返して終わりなのに、綱吉がいるからそうはいかなかった。
相反する感情を抱く二人に挟まれ、どうすればいいのかわからなくて獄寺は困り果てた。
「も、申し訳ありません…10代目にこんな、ご心配をお掛けしてしまって…あの」
何と返せばいいのか頭が回らず、俯いて黙り込んだ。妙にぼうっとして、自分の呼吸が少し熱いような気がした。
「獄寺君、大丈夫?」
心配そうに覗き込んできた綱吉にハッと顔を上げる。
「あ、ハイ、大丈夫っスよ!今はちょっと身体がだるいだけで…こんなのすぐ治りますから!!だから、あの…」
放っておいて欲しいと、正直な気持ちを言うのが憚られた。言葉に詰まって再び俯いてしまった獄寺に山本が歩み寄る。綱吉に寿司の袋を預け、スッと獄寺の額に大きな手を当てた。
「!?」
温かい手に驚いて獄寺が顔を上げると、今度は両手で包み込むように細い首に触れてその体温を確かめていく。山本は少し眉を寄せた。瞬間、バシッと手を払われる。
「さ、触んな!!」
「やっぱり、おまえちょっと熱っぽいぜ?」
「熱なんか無えよ!」
じぃっとやり取りを見ていた綱吉も、気になって遠慮がちに手を伸ばした。
「獄寺君、ちょっと、いい?」
「え、や、あの…ほんとに大丈夫っスから」
言い終わらない間にも額に手が添えられる。お茶を持っていたからだろうか、山本の手とは逆に、額に押し当てられた手は思いの外ひやりとしていた。
「ほんとだ、ちょっと熱いかも」
「な?寝る前にメシ食って薬飲もうぜ」
「うん、そうしたほうがいいよ」
「…」
綱吉に止めを刺されて何も言えなくなる。獄寺は軽く下唇を噛んだ。山本の言うことに綱吉が背中を押してしまえばそこで決定打となってしまう。ある意味最凶のタッグだ。
決まりだな、と笑った山本がドアをさらに大きく引き開けた。
「おっし、じゃあお邪魔しまーす」
「あ、てめぇ!勝手に入ってんじゃねぇ!!」
強引に入っていく少年をとっ捕まえようとするも問題は後ろからもやってくる。
「お、オレもお邪魔します…」
「ああッ、すいません10代目!スリッパもご用意出来ず!!」
「や、オレもうちで履かないし…っていうか獄寺君、そんな気遣わないでいいからさ、寝てたほうがいいんじゃないかな?しんどいでしょ?」
「いえ、そういうわけには!」
「なにしてんだよ、病人は寝てろって」
玄関でもたついている二人に焦れて山本が獄寺の腕を掴んだ。グイっと強く引っ張って短い廊下を行く。強引に腕を掴む大きな手を引き剥がそうと獄寺は躍起になった。
「さ、触んなっつってんだろーが!!放せバカッ!痛いんだよ!!」
中は広めの1LDKだった。物置、トイレ、洗面所と浴室をバランスよく左右に控えた廊下を抜けると、右手に一室、左手にはリビングが広がり、さらにリビングの左奥にU型のキッチンが備えられていた。
とても良い部屋なのに、何故だか妙に物侘しかった。左手を見る限りだが、広くてキレイと言うよりは、無駄な物もなくスッキリとしすぎていて生活感に乏しいという印象が強い。
リビングの奥にキッチンがあるのを確認して山本は後ろを振り返った。
「じゃあツナあと頼むな。獄寺、台所かりるぜ」
「なっ」
「行こう、獄寺君」
「し、しかし」
有無を言わせぬ連携プレーだ。山本の手が離れたかと思えば今度は綱吉の手が身体を押す。
「山本なら大丈夫だよ」
「いや、そうではなく…」
ぐいぐいと背中を押す手に閉口して、獄寺は大人しく部屋へと戻った。
「10代目…ここに来ること、山本が言い出したんスか?」
「なんで?」
簡易のテーブルをベッドの傍まで引っ張りながら綱吉が首を傾げる。言われた通りに大人しくベッドに座っていた獄寺がギリと歯噛みした。
「やっぱりそうなんスね…あの野郎、10代目まで巻き込んで…」
早合点する獄寺に綱吉は慌てて首を振った。
「え、そうじゃないよ、一緒に行くって言ったのオレだし…山本も心配してるんだよ、今日も部活休んで」
山本に対する恨み節も気になってフォローするものの、それが余計に気に障ったのか彼の表情は険しさを増した。困ったように眉を下げた綱吉の耳に悲しい一言が届く。
「そんなの、お節介なだけですよ」
二人の噛みあいの悪さを知らない綱吉ではない。一緒にいても獄寺は山本に対して冷たい。誰に対しても基本的に素っ気無いが、山本に対して顕著になるそれが綱吉は悲しかった。
どちらも大切な友人で、好きだから余計に辛い。
「ごめん、じゃあオレもだ」
「え!?10代目は違いますよ!?」
ぎょっとして否定した獄寺は次の瞬間、背筋が凍りついた。
「…何が違うの?オレと山本」
口調こそ優しいものの、真っ直ぐに射られる茶色い瞳の、今までに見たことのない真剣な眼差しに言葉を失う。
10代目を失望させている。
一番あってはならない非常事態を前に、獄寺は酷い焦燥に駆られた。
「山本もオレも、獄寺君を心配して来てるのは同じなのに」
綱吉の言葉が胸を貫く。責めているのに声のトーンは変わらずに優しい。切ないほどの思いやりを向けられているのは、山本だけではない。
『だからお前はガキだっつってんだよ』
頭の片隅で、そう言ったシャマルの声が甦った。
「10代目、オレ…―――」
*****
シンクに置かれていたグラスを2つ、きれいに洗って水切り籠へと置いた。元から籠にあったものとを含めてこれで3つ確保だ。
水気を切って、一つに服薬用の水を半分入れる。空のグラスは残り2つ。お茶を入れるためのグラスは3つ必要だ。
「コップ一個足りねぇなー…」
水なら使い終わったグラスを持ってまた汲みにくれば良い話なのだが面倒臭い。「これでいっか」と、山本はシンクから底の深いマグカップを掴んだ。
洗いながら何気なく辺りを見回す。あまり使っていないのか、ガランとして寂しいキッチンだった。道具もかろうじて手鍋が一つあるだけで調理器具などは殆ど見当たらない。食器も皿が2枚あるのみでお茶碗もなく、フォークやスプーンなども一つずつしかない。こうなるとグラスだけ数があるのが不思議だったが、揃いの柄に気づけばすぐに合点がいった。おそらくセットで売っていたのだろう。側面にシャープなラインが描かれたグラスは中々センスも良くてまさに彼好みそうだ。
さらに見回すと、視界に入った大きなゴミ箱にはコンビニの弁当の空箱やインスタントのカップがいくつも放り込まれていた。マグカップを洗い終えた山本は、ふと気になって冷蔵庫にしゃがみ込んだ。
ばかっと開けた瞬間、思わず溜息が漏れる。
「…茶しか入ってねぇじゃん」
でも普通こうなるよなぁと、自分に置き換えて考えてみる。自分とて飯を作ってくれる父親がいなければ自分で作らなければならないのだ。料理だけではない、その後片付けも、洗濯や掃除も全部だ。
好きな野球をやりながらそれができるだろうか?朝練前に放課後の練習後…どう考えてもそれはしんどい。自活出来ぬ中学生男子、やはり同じように買い弁当やインスタントで簡単に済ませ、家事もなおざりになってしまうだろう。
それを不摂生だと言われればどうしようもない。
(一人暮らしって大変なんだろうな)
こうならざるを得ない事情があるのだろう。何か手伝えねえかなと考えて、余計な世話だと嫌がる彼が頭に浮かんだ。
たまにでもいいからうちに飯を食いにくればいいのに、と改めて思う。夜は店を営む父親ゆえ、夕食は殆ど一人だから気兼ねもいらない。いつでも来なと親父も歓迎するはずだ。
(問題はどうやったら来るかだよなぁ)
悲しいかな、頑張ってもちっとも心を開いてくれない現状では、何を言っても首を縦に振ってくれないように思う。あまりの手強さに時々めげそうになることもある。しかし先日、朝食時に父親にそれとなく悩みを零したら、『どんな場合でも良い友情を築くのには時間と忍耐力がいるもんだ』と熱く語ってくれて感動した。
そうだ、獄寺の場合はそれがちょっと半端無いだけだ…!
(めげるな俺)
初めて会って話した時、彼だ、と思った。何故かはわからない、直感としか言いようがない。端から酷く嫌われていながら、彼は自分にとって大きな存在になるとそんな予感がしたのだ。綱吉の時にも似たような勘が働いたのを思い出す。あの時も、気づけば視線が吸い込まれるように彼に注目していた。後に綱吉は、身体を張って命を救ってくれたばかりか一度の挫折で絶望していた自分に自身を見詰め直すきっかけを与え…今やかけがえのない親友となった。きっとこの直感は信じていいのだ。
最近は獄寺の一挙一動にドキドキとして、まるで恋でもしてるかのような熱に戸惑い、頭を振って思考を飛ばすことも多々ある。そして今も尚、凄まじい引力でもって焦がれるように惹かれている。
妙な気持ちになる原因はわかっていた。彼が一瞬見せた笑顔に魅了されて以来、彼の中性的でキレイな顔立ちがかなりの自分好みであることに気付いてしまったのだ。ストライクゾーンほぼど真ん中で、女の子だったらなぁと思うことも少なくない。…しかし。
(好きは好きなんだろうけど男だからなぁ)
それは有り得ないよな、違うよな、と自分に何度も言い聞かせる。
山本は最後に頭を振ると、隅っこに立てかけているトレーを取ってグラスとマグカップを乗せた。
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