これが恋なのか?本当に?
自室のベットの上、両腕で目を覆って山本は考え込んだ。昨夜から何度繰り返したかわからない自問。その度に真っ暗な視界に彼の姿を浮かべては、胸に込み上げる熱にうなされた。
こんなに悶々と悩んだのは去年以来だ。野球でスランプに陥り、焦った挙句に腕を折って、何をやっても上手くいかない自分を嘆いた。先に光が見えず、思い余って最悪の決断をした。
(ツナ…俺どうすりゃいい?)
どん底にいた自分を救ってくれた親友に問いかける。瞼の裏に映る彼は困った顔で微笑むだけで、何も答えてはくれない。あながち間違ってはいないだろうその想像は、実際に問うことはならないと自分を戒めた。
彼に心を許していないわけではなく。ただでさえ、決して仲が良いとはいえない二人の間に立って苦労している綱吉を、これ以上悩ませるなんてことはしたくなかった。
明日は夏休み期間に組まれた補習授業の日だ。同じスケジュールである綱吉も来るはずだから、当然、獄寺も付き添って学校へくるだろう。とりあえずは会ってもう一度、昨夜のことを謝ろうとそれだけは決めた。問題はその先だった。やり場のないこの気持ちを一体どうすればいいのか。
大きな壁にぶち当たると、ネガティブな思考になってしまうのは悪い癖だとわかっているけれど。
考えても考えても、暗いトンネルの中、どうしても光が見えない。こんなものだとは思いもしなかった。
野球部の仲間が、好きな女の子の話で一喜一憂していたのを思い出す。目が合った、話せた、笑った、一緒の班になった、肩を叩かれた、少し手が触れた。そんな些細なことで、本当に嬉しそうな顔をしていた。かと思えば、他のクラスの男子と仲良さ気に話していたのを見ただけで酷くブルーになって、まるでこの世の終わりみたいな顔をしていた。
そういうもんなのかな…どうだったっけ?仲間の気持ちに心から共感ができずに、話を聞く度によく首を捻ったものだった。
初恋は幼稚園の頃、近所に住んでいた同い年の女の子だったが、遠い昔過ぎて当時の気持ちは思い出せない。引っ越してしまった時はもちろん悲しかったけれど、幼いゆえに立ち直りも早かった気がする。小学校に入って野球を始めてからは、内なる情熱は全て野球へと向かったため、誰かに想い焦がれた事がなかった。
本当の意味での恋をしたのは、これが初めてだといったほうがいいのだろう。破壊的で、甘く切ない、こんな想いは経験したことがない。
いざ自分が恋をしてみると何ともシュールなものだった。考えもしなかった。よりによって男を好きになるなど。
(獄寺…)
彼の一挙一動に胸が高鳴る度に、違う違うと言い聞かせてきた。相手は男で、自分も男だ。当然の倫理は常に頭の中にあって、好意はあっても、それが親愛以上のものになることはないはずだった。
これまで男に魅力を感じたことなどなかったし、付き合うなら可愛い女の子がいいという、男としてごく普通の思考を確かに持っていた。
――― 昨日、獄寺を強く抱きしめるまでは。
常識という楯は脆くも壊れた。もうごまかしは利かない完璧な自覚。
(すげぇ、くるしい…)
自覚した想いはただ燻って、煙ばかりが胸に充満していくようだった。心を滾らせるだけの熱は確かにあるのに、火は燃えずに燻ったまま、ただ心を曇らせていく。もやもやと胸が重くて深い溜息を吐いた。吐いた瞬間は少し楽になる気がするけれど、またすぐに胸は重くなる。ずっと、延々と同じ事を繰り返していた。
殴られた左の口角にはいまだ鈍い痛みが残っている。強引に抱きしめ、キスしようとして、当然の如く拒絶された。
解っている。男なら当たり前の反応で、まして、ただでさえ自分は好かれてはいないのだ。
考えるほどになんて見込みのない想い。そんなものに、どうして気付いてしまったんだろう。
(バカだ、俺は)
苦しくて胸を掴めば、その下で鼓動が患ったように沈んだ音を奏でている。心浮かれれば弾み、悩めば自ずと締め付けられる場所。ああ、だから心の臓器って書くのかな、そんなことを感慨深く思った。
最近になってやっとのことだった。向こうからも、少しずつ歩み寄りを見せるようになってくれたのは。
話しかければまともに返事が返ってくるようになった。嬉しくてテンションが上がるとちょっとウザそうな顔をされたけれど、それでも以前のように突き放されることはなくなって。時折、本当に気まぐれで笑ってくれることがあって、それが凄く嬉しくて―――
思い出して、一人合点する。
みんな当然のことだった。彼の態度にテンションが上がったのも、気まぐれな笑顔に胸が弾んだのも。
その裏で、違う違うと、頑なに気持ちを否定していたのも。
無意識ながら、獄寺に紛れもない恋心を抱いていたからこそだったのだ。
一体何の巡り会わせなんだろう。誰の作意でもなくば山本はただ運命を呪うしかない。
昨夜、あの時間、あの場所で獄寺に出会わなければ、今も自分の気持ちを騙していられたに違いなかった。その方が獄寺にとっても一番のことで、もちろん、それは間にいる綱吉のためにもなった。
『最後の敬遠だろ』
『試合は負けても、勝負には勝ったじゃねえか』
『…少しは気も紛れるだろ』
その声色の優しさと慰めの言葉。ふいに髪を撫でた手。素直じゃない気遣いも。
思い出すだけで胸にぐんぐんと甘く切ない気持ちが溢れていく。愛おしい、と思う気持ちを山本は生まれて初めて知った。
(やべぇ、ほんとに……こんなにも)
堪え切れなくて、昨日彼を抱きしめたように掛け布団をぎゅっと強く抱きしめた。
(好きだ)
この腕にすっぽり収まって、見た目よりも細く感じた身体。夏服ごしに感じた彼の少し低い体温に、改めて自分の身体の熱さを思った。煙草の匂いに紛れて残る彼の香り。髪の香りか、香水か。控えめなその香りを胸に吸い込んで、今までにないくらい胸が高鳴って止まらなかった。
愛しさのあまり、彼に唇を寄せていた。
「…」
布団に顔を埋めたまま、枕の横に手を伸ばして手探りで四角い物体を探す。ベッドに入っても一睡も出来なかった昨夜、暗闇の中でずっと手放せずにいた物。
指先がそれを見つけて、布団から顔を上げた。掴んだのはいつも飲んでいる500mlパックの並盛牛乳。
食う気が失せたからと渡された中で、強いメッセージ性を放って山本の胸を貫いたそれは普段、獄寺が自ら進んで手にすることはないだろう代物だった。
どんな気持ちでこれを手にしてくれたのか。考えるだけで胸が熱くなった。くれた菓子も牛乳も、勿体無くて手をつけることなど出来やしない。
賞味期限を見てみるとちょうど一週間後だった。
(さすがに、夏のあいだ部屋に置いてたら腐るよな。かといって飲めねえし…どうすりゃいいんだ)
気付いてしまったこの気持ちも。
やり場がなくて、どうしようもない。
「武」
ゴンゴン、と突然に部屋の引き戸が鳴って驚いた。思考に耽るあまり、父親が階段を上ってくる音にも気付かなかった。
「いつまで寝てんだ、いい加減、飯食いに下りてこい」
時計を見ると午前9時半を回っていた。早朝練習がない日でも早起きはすでに習慣そのものだったから、この時間じゃそりゃ心配で上がってくるはずだと納得する。「今行く」と返して、気だるい体を起こす。
心配の原因はそれだけじゃないことはわかっていた。夜遅く、気鬱な顔で口角に血を滲ませて帰ってくれば心配にもなるだろう。友達と喧嘩した、その説明に親父は疑問を持たなかったようだが、晩飯を断ると訝しんで眉を顰めた。
『人間、何があっても飯が喉を通るうちは大丈夫なもんだ』
昔、そう教えてくれた親父の言葉は正しく、わかりやすい心の物差しでもあった。それに引っ掛かったことに気付いて咄嗟に嘘を吐いた。食ってきたと、背を向けて言った嘘はもしかしたら見破られていたかもしれなかったが、親父は何も言わずに2階へと上げてくれた。
開けるぞ。そう断って親父が戸を開けた。一夜明けた息子の顔を見て、軽く腕組みをする。
「大丈夫か?」
鬱血して少し青くなった口角への言葉ではなく。憂う父親の目を見返して山本は軽く頷いた。
「…大丈夫、とりあえず明日謝ることにした」
寝不足の酷い顔。それでも、するべき答えを出せたらしい息子に「そうか」と頷いて、親父は最後に問うた。
「飯は食えるか?」
開いた引き戸の向こうから、バター醤油の良い香りがしていた。鮭でも焼いたのかなと考えて、じゃあきっと味噌汁もあるんだろうなと連想した。あとは納豆に焼き海苔、その横に刻み葱があって…考えていて、山本は妙に可笑しくなった。あれほど思い詰めて悩んでも、身体はしっかりと腹を空かせている。なんて滑稽なんだろうと思う。
「ああ、すげぇ腹減ってる」
「ならいい」
その言葉と笑顔を見て、親父は安心したように微笑んだ。
*****
翌日午前8時半前。補習に出るべく、早朝練習を一旦抜けた山本は部室のロッカーから鞄を引っ張り出した。辞書に問題集と教科書と、確認をして長椅子に鞄を放る。補習が終わればまた練習に戻るから、着替えずにユニフォームのままでいくことにした。夏休みの補習に出るなんて部員は他にいないため、部室には誰もいない。時間まであと少し、長椅子に腰をかけると自然と溜息が漏れた。
(獄寺、来てたな…)
練習中、フェンス越しに登校してきた二人の姿が見えた。綱吉一人ならおそらく気付かなかったが、さすがにあの銀髪は良く目立つ。自分の神経は思う以上に細いらしく、遠くから見ただけで鼓動が跳ねて心底参った。
初めての経験、手に余る悩み。こんな時、普通ならきっと誰かに相談したりするんだろうなぁと考えて山本は苦い顔をした。男に本気で惚れたとは、おいそれと相談できることではない。
「よ!」
突然、ひょっこりと現れた同じ部の少年に山本は驚いた。脱いだ帽子でパタパタと顔を仰ぎながら入ってきた彼は、入部当時からよく組んで練習をする仲の良い友人の一人で、今しがたグウラウンドで別れてきたばかりだ。
「お、なんで?補習組だっけ?」
「いーや、便所ついでに寄っただけ」
残念でした!と笑った少年は、腰に手を当てると窺うように山本を覗き込んだ。
「それより大丈夫かよ?今日すげぇ調子わりぃじゃん」
ああ、それでわざわざ来てくれたのかと眉を下げる。確かに、バッティングも空振りばかり、守備練習でも捕球できずで自分でも嫌になるくらいの不調ぶりだった。「やる気ねえんなら帰れ!」とコーチが珍しく怒鳴ったくらいだから、彼も見ていて心配になったのだろう。不調の原因を言えるわけがなくて、山本は言葉を濁して笑った。
「んー、ちょっとなー」
「…そりゃあ、こないだの試合は悔しかったの解るけどさ、気持ち切り替えていこうぜ?」
言われて山本はなるほどと思う。知らなければそれが原因と考えるのは当たり前のことで。今やすっかり忘却の彼方となった一件を思い出して苦笑いをした。
「いや、そのことじゃないんだよな」
それだけならきっと一晩で立ち直れていた。今悶々とさせているのは、それを引き金にして現れた新たな問題のほうだ。厄介で、手に負えなくて、現実的に考えれば諦めて当然の想い。相手を考えれば良い返事がもらえるはずもなく、気持ちの行き先は一つしかないとわかっているのに、心にきつく絡みついたそれは全く解けてくれない。
「なぁ、失恋ってしたことあるか?」
ストレートに明かせない悩みは形を変えて、心中をそのまんま表したネガティブな質問となって零れ出た。問われた少年は驚きのあまり、一瞬息を呑んだ。
「え…っ、山本…おまえ、マジなのか?そうなのか?それでなのか!?」
「あー、いや」
少し話が聞ければ良かっただけなのに、何かスイッチが入ってしまったらしい少年に山本はたじろいだ。これまで一度として、おそらく誰も耳にしたことがないだろう山本の恋話。そそくさと隣に腰を下ろした少年の目には、心配の色に混じって正直な好奇心が見え隠れしている。
「つーか、フラれたのかよ?おまえが?」
自分で蒔いてしまった種だが、どう回避すればよいものか山本は弱った。
「ん、まぁ…フラれたっつーか、殴られて…」
「殴られた!?…ってコレか?」
少し鬱血した口角を指差して、信じられないと言った表情でさらなる続きを待つ少年に困り果てて、山本はいつになく頭を絞った。
「なんつーか、その……ちょっと俺は恋愛対象にはならねぇっていうかさ。だから、どうすりゃいいんだろうって…」
「山本…」
正直に話せるギリギリのラインを探りながら、耳が痛い現状を自分で吐いて自ずと零れる溜息。
チラと様子を窺ってみると、少年はやけに真剣な面持ちで山本を見つめていた。その表情に、もしかしたら今の情報で何か勘付かれたのだろうかと思わず冷やりとする。
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