迎えに行って来ると告げて家を出た山本は、以前下校時に獄寺と分かれた分岐点に立ってそろそろやってくるだろう少年を待ち伏せていた。
 家にいると一分一秒がやたらと長く、時計ばかりを見てしまって仕方ない。普段はさほど気にならないのに、待つ立場になるだけで途端に時間はもどかしいものへと変わるから不思議だ。
 夕食時になっても夜の来ない夏空の下ではまだ道の向こうが良く見える。焦がれる姿はまだ見えず、山本はブロック塀に背を預けて道の先を見据えた。
 今朝まであんなに気を揉んで悶々としていたというのに。今こんなにも心浮かれている自分が可笑しかった。なんて単純なんだろうと呆れてしまう。
 獄寺が山本の誘いを受けたのはこれが初めてのことだ。そこに綱吉が絡んでいなければ尚のこと、山本にとってその進歩は想像以上に大きい。
 これは、山本との交流を考えなければ絶対に受けるはずのない誘いなのだ。だとすれば、綱吉のためかと懸念した朝のやり取りもきっと―――
(そうじゃねえって、そう思ってもいいんだよな)
 獄寺の中で自分の存在が確立しつつある。へこたれず、積極的に接触し続けてきた日々の積み重ねが実った結果なのか。まだ少し態度に棘はあれど、自分は思うほど嫌われてはいない。
 見つめる先に獄寺の姿を捉えて心臓が跳ねた。ポケットに手を突っ込み、煙草を吸いながら歩いてくる彼を見て思わず頬が緩む。
 遠目に見ても意外に細い体格にふと、掴んだ腕の感触を思い出した。筋骨隆々な逞しい腕ならともかく、あれで高校生の不良からも恐れられる程に喧嘩の強さを誇っているのだから信じられない。
 待ち伏せる山本に気付いて一瞬、獄寺の歩く速度が落ちた。予想通りの呆れ顔に山本は笑って手を上げる。
「すげぇな、マジで獄寺が来るなんてよ」
「…どういう意味だ」
 眉を顰めた獄寺に山本は苦笑いをした。
「だって何回誘ったよ俺?どんだけ誘っても『行かねぇ』の一点張りだったじゃん」
 15回以上は確実に誘った記憶がある。誘いの言葉を掛ければ間髪いれず『行かねぇ』と、それはお決まりの合言葉のように返ってきたのだ。
「なぁ、何で急に来てくれる気になったんだ?」
 山本からすれば当然の疑問。まして気まずい出来事があったことを思えば、その謎は深まるばかりだ。
 獄寺は最後に吸い込んだ煙を空に向かって吐き出すと、短くあっさりと答えた。
「社会勉強」
 後ろポケットから取り出された携帯の吸殻ケースに山本は目を見張った。以前は平然と道に捨てていたのを知っている。学校で吸うのを見た時は大概、空き缶を吸殻捨てに使っていたからそれは初めて見る。
 自分が指摘したからなんて自惚れる気はないけれど、その小さな変化はやはり嬉しい。
「あと、いい加減てめーがしつけぇのと」
 山本は思わず笑う。前者の回答はまぁ本当かもしれないが、しつこいからなんて今更な話もいいところだ。
「変わったよな、獄寺」
 率直な感想だった。携帯の吸殻ケースも、他者と関わろうとするその姿勢にしても。嫌な顔をするかと思ったが、獄寺の表情は落ち着いたまま変わらなかった。
「知ってる」
 そう言って、先を歩き始めた獄寺に思わず目を丸くする。夕暮れの光を浴びた背中が、ゆっくりとした口調で言葉を継いだ。
「意識改革中」
「イシキ…?」
「まずはおまえからだ」
「???」
 ただ首を傾げるばかりで山本にはまるで理解が追いつかない。振り返った獄寺は、真剣な顔で考える山本にふっと小さく口の端を上げた。
 道すがら、どういうことかと山本が聞いても「うるせぇ」と一蹴して獄寺がそれに答えることはなかった。



*****



 竹寿司の暖簾を潜ると「らっしゃい!」と山本の父・剛の威勢の良い声が掛かった。
 店内には、テーブル席で寿司を食べ終わってまったりと茶を啜っている老夫婦が一組、まだ少し早い時間だから呑み客は来ていないようだ。
 待ってたぜ!と人好きのする明るい笑みを見せて、剛は木曽桧の滑らかなカウンターにおしぼりと茶を置いた。 
「今日はカウンターに座りな。仲直り祝いに好きなモン握ってやっからよ」
「仲直り祝い?」
「オヤジ?」
 疑問を発する少年二人に、剛は笑ってトントンと左の口角を指で叩いた。
「武のココの相手、獄寺君だろ?」
「……」
 獄寺はスーッと血の気が引いた。息子を殴った相手に親父からの報復か。もしかしてオレはハメられたのか?横目に睨めつけると山本は慌てて手を左右に振った。
「え、俺は何も言ってねえって!」
「ハハハ、当たりかぁ!なぁに構やしねえさ!男の子はそのくらい元気ねえとな!」
 まるで気にしてもいなければ寧ろ嬉しそうに笑う剛だったが、さすがに身構えてしまう。獄寺の警戒をよそに、剛は腕を組むと顎をさすった。
「あともう一つ、おいちゃんの勘が正しけりゃ…なかなか釣れねぇ相手ってのも獄寺君じゃねえのかい?」
「お、オヤジ!」
 何の話かはわからないがこちらは山本も心当たりがあるようだ。山本を睨むと、気まずそうに曖昧に笑ってぐうの音も出ない。
「まぁまぁ、せっかく来てくれたんだ、何でも食いたいモン言ってくれな!獄寺君」
 カウンター席へ促されて獄寺は渋々座った。ショーケースの中には寿司ネタがずらりと並んでいるものの、何から頼んでいいのやら目が散ってしまう。獄寺はおしぼりで手を拭きながら少し悩んだ。
「マグロ……と、後は適当に」
「あいよ、じゃあ任せてくんな!」
 気持ちの良い返事と共に、柳刃庖丁を持った剛がネタを切り始める。隣で山本が鮭の握りを注文した。「炙るともっと美味いんだぜ!獄寺も後で頼めよ」と山本が言うと「よっしゃ、獄寺君にも後で出してやっからな!」と親父が返事をする。
 オレの返事はいいのかよ、と少し呆れたが鮭は嫌いではないので獄寺は何も言わなかった。
「へい、お待ち!」
 テキパキとした動きで、あっという間にマグロと鮭の握りが寿司ゲタに乗せられた。輝かんばかりに見目にも美味そうなマグロの握りだ。
 山本から割り箸を受け取った獄寺は、訝しげに寿司を見つめながら割り箸を割るとおそるおそるネタをめくった。
 理由はどうあれ自分は息子を殴った犯人なのだ。もしかしたらワサビを大量に盛られてるんじゃないかと危惧したが、ちゃんと適量で大丈夫だった。
 ホッと胸を撫で下ろしたところで、食事を済ませたテーブル席の老夫婦が席を立った。ちょいとごめんな、と言い残して会計をしに剛がカウンターからいなくなる。
 獄寺は待ってましたと言わんばかりに山本の足を蹴った。
「オイ、てめぇ、家で何キモイ話してやがんだ!」
 剛には聞こえないように声を抑えて凄まれ、釣られて山本も声を小さくする。
「キモイって…一昨日のことはほんとに何も話してねえって。まぁ、なかなか友達になれねえ奴がいるって話をしたことはあっけど…結構前の話だぜ?」
「親にそんなこと言うかよ普通」
「えー、別にいいんじゃねえの?オヤジも普通に聞いてくれたし」
 有り得ねぇ、と鼻で笑う。
「へぇ、それで?それ聞いて何かコメントしてくれるわけか?」
 マフィアのボスだった父親と会話を交わすこと自体、数えるほどしかなかった獄寺にとって父親は遠い存在でしかなく、そんな他愛ない父子の会話なんて想像もつかなければ理解もできなかった。
 言われた事を思い出しているのか、それとも言うのを躊躇っているのか、山本が答えるまでに少しの間が開いた。
「…イイ友情を築くには、時間と忍耐力がいるもんだって」
 なんだそれと嘲笑してやればいいのに言葉が出ない。親ってそういうもんかよと獄寺は眉を寄せた。
 それを足んねえ脳味噌に丸ごと吸収したわけか。なるほどな、と合点する。
(どうりでしつけぇわけだ)
 気質も似ていれば笑う表情まで似ている。父親の影響を強く受けて育った山本と、父親との別離を選んだ自分と。何から何まで、山本は自分とは正反対の人間なんだと改めて感じた。
「なに」
「別に」
 山本から視線を外して寿司を口に放り込む。胸中の複雑な気持ちは理解しがたく、考えるのも億劫だった。
 気付けば、会計はとっくに終わって老夫婦も出て行ったというのに剛は戻らないままだ。あのオッサンどこ行ったんだ?と思ったところで、奥の厨房から小さな器を持って店主が戻ってきた。
「ほい、これも食ってみてくんな」
 置かれた器の中身を見て二人は首を傾げた。



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