勢いと意地とプライドが絡まった時ほど厄介なものはない。
(何でこんなことに…)
 いくら首を捻って考えても事態は何も変わらない。嫌だと思うなら来なければ良い話なのに、山本に馬鹿にされたままでいられるかという自尊心に加え、やると言い切ったがゆえに生まれた男の意地にはどうしても逆らえない。
 意地に背を押されて言われた時間通りに竹寿司を訪れ、山本のエプロンを身に着けてもう米まで洗ってしまった。
(…まぁ、これでメシの炊き方はわかった)
 それにしても、と剛をチラと見上げて獄寺は考えた。この突然の料理教室は懐の深さだけで片付けていいものか些か疑問なところがある。息子が連れてきただけで、剛は獄寺のことを殆ど知らないのに等しいのだ。それは獄寺にとっても同じことで、だから余計に獄寺はこの場にいることに違和感を覚えざるを得なかった。
「だしの取り方はそんなところだな。今の説明で何かわからねえとこはあるかい?」
 和食の基本である、だしの取り方の説明が終わった。
 自分の記憶力を信じてメモは取らないと言ったものの、獄寺は少し後悔した。よく使われる三種だけとはいえ割と覚えることが多い。家に帰って一度書き出さないとこんがらがってしまいそうだ。
 目の前には昆布の浸かった水入りの鍋が置かれている。水出しと煮出しの方法を頭の中で反芻した。今日やるのは煮出し法だ。10〜30分ほど水につけてから火にかけて灰汁を取りつつ、沸騰直前で昆布を取り出す。
(鰹節と煮干のだしは野菜の具に向いてて…昆布のだしは魚介類と肉類の具に合うんだよな)
 ん?ちょっと待て、と矛盾を発見した獄寺は眉を寄せた。
「今日入れる具が大根と玉葱なら昆布は要らねえんじゃ…」
「ああ、そうだな、さっきの説明でいくと今日なんかは鰹だしだけでもいいわな」
 はは、と笑う剛に(オイ)と心の中で突っ込む。
「だがよ、鰹節と昆布の合わせだしってのは味により深みが出て応用範囲も広いもんだ。時には使い分けも大事だが、最初はこいつを基本に覚えておきゃあ何にでも使えるからな」
 なるほど、と頷いた。両方が入っていれば確かに使い勝手もいいだろう。野菜と一緒に肉を入れたい時などにも丁度いい。
(何にでも使える…要するに初級者向けってことか?)
「ただ、さっきも説明したが貝や魚を使う時は昆布だけの方がいい。鰹だしを合わせると鰹の旨味のが勝っちまうからな」
 そういえばそう言ってたな、と頭を掻く。ここまでくるともう記憶力との勝負だ。
「…わかった」
「よし、じゃあ後でこの続きをやってもらうわな。そいじゃ次、昆布を水につけてる間に野菜の下ごしらえだ」
 味噌汁の具に使う大根と玉葱、生姜焼きに添えるキャベツが調理台に乗せられた。生の野菜など、触ったこともなければ切り方もわからない。包丁など使ったこともないまるっきりの素人に、包丁の持ち方、手の添え方を教え、剛は小ぶりの玉葱を掴んだ。ざっくりと縦に真っ二つに切って半分を獄寺が切る分として残す。そして半分を手本に切り始めた。
「まず、頭と根の部分を切り落として…こうやって皮を剥く」
 刃に引っ掛けて皮を剥いて見せたあと、剛はまな板に玉葱を置いた。
「玉葱は大体、火を通す時は歯応えを残すように繊維に沿って切るもんだ。だが、生で食べる時にこれをやるとちと食感が悪い。サラダなんかに使う時は逆に、繊維に直角に切ってやるといい。今日はこんな風に、繊維に沿って2mmくらいの幅で切ってくれな」
 トントントントン、と心地よい音を立てながら玉葱をあっという間に切って、ザッとざるに放り込む。流れるような素早い動きに獄寺は見入った。
 じゃあ次は大根だ、と掴んだ大根をまな板に寝かせて、剛が指し示すように部分ごとに刃を添えていく。
「大根ってのは葉っぱから下に向かうほど辛味が強くなる。辛味の少ない上の部分は大根おろしなんかに使う、真ん中あたりは煮物に最適だ、そいで」
 ストン、と大根の端を切り落とす。
「味噌汁には下の部分を使うといい、漬物なんかに使ってもいい場所だな。皮は皮剥き器使って縦に剥くようにな」
 言いながら、大根をくるくると回しながら包丁できれいに皮を剥いていく。
 これもまた切り分けた半分を獄寺用に残し、もう半分を手本に手早く細切りにしてみせる。
「こんな感じだな。そいじゃあ残り半分切ってみてくれるかい?ゆっくりでいいから手ぇ切らねぇようにな」
「…」
 獄寺は菜切り包丁を手に玉葱に刃を入れ始めた。教えられた通りに皮を剥きながら、すっきりとしない違和感を胸に、眉を顰めて考えてしまう。
 開店前のこの時間帯はいつも夕食の準備をしているとは言うが、こんな付きっきりで料理を教えている時間なんてあるんだろうか。仕込み等はもちろん出来ているのだろうが、あと一時間もしないうちに客が来てもおかしくないのだ。
 いやそれよりも問題なのはこの状況だろう。単に息子が連れてきただけの、よく知りもしない人間をあっさりと家の中に入れて米の研ぎ方だの、だしの取り方だのと、本当にどうかしている。
「…なんで」
 玉葱を半分ほど切ったところで、獄寺はやはり堪えられなくなって手を止めた。
「なんでこんな、素性も知れねぇ奴…」
 何と続けていいのかわからなかった。ワケ有りの家庭だと知っても何一つ素性を聞くことなく簡単に懐に入れたことも、そんな義理もないのに料理を教えてやろうと言いだした事も、獄寺にとっては何もかもが不可解だ。
「何言ってんでえ、武の友達だろぃ」
 そう言って笑う親父に心底呆れる。わかっているのは名前とそれだけだ。たったそれだけで納得しているという。素性を訊いていたなら、それがまともに答えられるようなものじゃないとわかったなら、こんな状況は生まれなかっただろう。素性を調べもせずに気を許しすぎる…その結果どうだ、まだ子供とはいえマフィアを家に入れてしまっている。
「おいちゃんにはそれで十分だがな。…お家の事は話したくねぇんだろう?」
 言われてゆるりと顔を上げる。怪訝に眉を寄せる獄寺に剛は弱ったように笑った。
「顔に書いてっからなぁ、『何も訊くな』ってよ」
「…」
「別に構やしねえさ、誰にだって話したくないことはあらぁな…まぁ、その歳で一人暮らししてるって身の上だ、気にならねぇっちゃあ嘘になるが」
 腕を組んだ剛は獄寺を真っ直ぐに見つめ、目尻を少しだけ緩めた。
「獄寺君は、どうやら心配はなさそうだからな」
「…オレの、何がわかるってんだよ」
 何も知らねぇくせに、と緑の目が無言で語って非難する。わかったようなその顔に心底腹が立つ。
「メシ食って美味いって、素直に口に出るじゃねえか。生きる術を身につけようって気持ちもある、おまけに目もきれぇなもんだ」
 口調も穏やかに、緑の双眸を覗き込んで剛は笑んだ。
「なら、心配いらねぇよ。心配しなきゃならねぇ人間なんてのは、一緒にメシ食えばすぐわかるもんだ」
 一体何の心配をしているのか、思わず乾いた笑いが漏れた。呆れるような自論を語りだした上に、信じられないほどに心配する対象を間違えている。本当にどこまでお人好しな親父なのか。
「人の心配ばっかして、自分達の心配はしねぇんだな……オレがどういう人間かも知らねぇで」
 自分はマフィアだ。まだ人を殺したことはなくても、傷つけたことは数え切れないほどある。言い換えれば、必要ならば平気で人を傷つけられるのだ。闇社会で生きていく以上、いつかは人の命をも手にかける日がくるのだろう。それが当然のことだと理解もしているし、そこに迷いもない。ボスの右腕として、必要なことなら何だってしてみせる。自分はそういう人間で、自ら進んでそんな世界に身を浸している。少なくとも、不用意に懐に入れていい人間ではない。
 面白ぇ脅し文句だな?と笑い、剛はふむ、と頷いて顎を撫でた。
「何か胸に思うことがあんだろうが、そんでもやっぱり心配にはならねぇなぁ」
「…」
 その、揺るがない余裕と自信。だから年上の野郎は嫌いだと思う。経験が多いだけ、自分にはないものを沢山持っていて…そしてそれは大抵、自分にとって、強く焦がれるような―――
「おいちゃんは倅の目と自分の目に自信を持ってるんでな」
 羨望に、値するものだから。
「獄寺君は、悪い子じゃあねえよ」
 親子揃ってとんだ節穴だな、そんな悪態を吐く気力もなくなって獄寺は深く息を吐いた。何を言っても無駄のようだ。
 シンとした空気の中、突然に電話のベルが鳴り響いた。
「おっと、電話だ。んじゃそれ、切っといてくれな」
 ぽん、と獄寺の肩を叩いて剛が厨房を出て行く。一人残された獄寺は手に持った包丁と玉葱を見つめてしばらく考えた後、ザク、ザクとゆっくりと玉葱を切り始めた。
 あれだけの事を言っても、こちらの事情を知らずとも構わないというのなら、もう何も言うことはない。これで何も訊かれることはないと思えば気も楽だ。ここで教えられた借りは、息子に勉強を教えることで返せばいい。
(…夏休みの間だけだしな)
 その間に学べることは全部吸収して、さっさと引き上げればいいだけの話だ。
(こうなったらあの親父を最大限利用して、10代目のために美味い和食を…)

 ウィーン、カシャ。

 奇妙な電子音に獄寺は眉を顰めた。何の音だ?と顔を上げると、居間で宿題をしているはずの山本が、居間と厨房とを結ぶ廊下の入り口に立って暖簾を上げている。
 その手に持っているのはカメラ付きの携帯電話だ。嫌な予感を胸に、手に包丁を持ったままズンズンと山本へ歩み寄っていく。
「…てめぇ、もしかして今」
「へへ、料理してる獄寺をツナにも見せてやろうと思ってよ、…あり?メールの画面になった…今の保存できたのか?」
 カチカチと携帯を弄る山本の鼻先に、ビュッと包丁の切っ先が突きつけられた。
「うわ、あ、危ねぇって獄寺!」
「今すぐ消去しろ!!つーか貸せ!真っ二つにぶった切ってやる!!」
「おいおい、そんなことしたら壊れんだろ?」
「いいから貸せ!味噌汁に突っ込んで返してやっからよ」
 あのなぁ、と苦笑いをした山本が一変、店へと続く厨房の入り口を見つめてスッと真顔になる。
「!」
 包丁を持つ獄寺の手を掴んで、グッと腰まで下げた。山本が小さく声を落として教える。
「悪ぃな、オヤジ、冗談でもこういうのは怒っからさ」
「おう、どうした」
 背後からの声にドキリとした。振り返ると電話を終えた剛がちょうど暖簾を潜ってきたところだった。そっと、ゆっくりと山本の手が離れていく。
「んー、今、包丁一緒に持って来ちゃダメだぜって言ってたとこ」
 眉を下げて息子が言うと、剛も困ったように笑った。
「ああ、刃物を持ったまんま歩き回っちゃいけねーやな、…ん?まだ切れてねぇのかい?」
 調理台の野菜を見て首を傾げられ、獄寺はビッと山本を指差した。
「じゃ、邪魔が入って」
「ちょっと茶が欲しくなったのな」
「そんなら後で父ちゃんが持ってってやらぁ。それより宿題は進んでるか?」
 問われて山本は頬を掻いた。
「あー…うん、ちょっと脱線しちまって、携帯の説明書を」
 言い終わる間もなく、事の経緯を察した獄寺は「てんめぇッ!」と叫んで山本の尻に膝蹴りを入れた。
 山本が尻を押さえて居間へと戻っていった後、獄寺は躊躇いがちに剛を振り返った。
「じゃあ続きを始めっかぃ」
 何も知らない剛がにこやかに笑う。まさか息子に包丁を突きつけたとは思うまい。
(冗談でも怒る、か…)
 よく考えれば馬鹿なことをしたと解る。
 用途によって何種類も使い分け、毎日丁寧に手入れをしている包丁は職人にとって命でもある。間違っても人に向けていいものではない。
 此処で料理を学ぶ以上、自分の感覚を改めなければならないだろう。
(めんどくせぇな)
 料理以外にも、学ぶことは多そうだ。



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