最低最悪な一日となったあの日は、14回目の誕生日だったのだ。
 病院の窓際に貼られたカレンダーを眺めて、獄寺はそんな今更なことに気づいた。
 消毒の後、胸の傷に新しいガーゼが当てられテキパキとテープで留められていく。担当のナースは少年の両腕をそっと持ち上げると、「このまま腕を上げてて下さいねー」と続けて、ガーゼを覆うように胸に包帯を巻きつけ始めた。

 喉には浅い切傷、胸にはやや深い刺傷。その他、背中を中心とする打撲が多数。
(情けねぇ…) 
 黒曜の一件から早5日。骸に憑依された後は何があったのか全く覚えていない。気がつけば病院のベッドの上だったなんて、これで右腕を名乗ろうなど何ておこがましいんだろう。

(10代目は全身筋肉痛で、姉貴は腹部刺傷、山本は腕の咬傷と胸部打撲による肋骨損傷…)
 綱吉は自宅療養。ビアンキの傷も運良く浅かったため、すでに綱吉の家で同じく療養しているとリボーンが知らせてくれた。問題は山本だった。
 もうすぐ秋の大会があるという今、山本も入院を余儀なくされたと聞いた。ランチアの暴蛇烈覇をモロに食らって負傷後、ボンゴレの医療班の処置を受けた山本はこの並盛中央病院ではなく、自宅近くの掛かり付けの病院へと送られたらしい。
(あいつ、肋骨折っちまったんじゃ当分、野球出来ねえんじゃねえのか…)
 若さが持つ力にも限界がある。さすがに一ヶ月以内に折れた骨を治すのは難しいだろう。普通に考えれば出場はもう無理ということだ。
 今更自分が心配したところで仕方がないのはわかっているけれど、幾度もそのことが頭に過ぎっては気を揉んでしまう。

「ハイ終わりましたよ、お疲れさま」
「…どうも」

 パジャマのボタンを留めながら傍にある銀色のトレイに目を遣ると、先程まで胸に当てていた使用済みの包帯やガーゼ、消毒に使った脱脂綿にはまだ少し血が滲んでいた。ズクズクと疼くような痛みを持つ胸を押さえて溜め息を零すと、獄寺は道具を片しているナースに訊ねた。
「オレ、まだ退院できねえのか?」
 入ってまだ間もないのにもう痺れを切らしている少年に、ベテランのナースはクスリと笑った。
「そうね。傷口もまだ塞がってないし、しばらくはここで経過を診ないと…あと煙草は没収させて頂きますよ」
「あ」
 ナースが煙草を手にしているのを見て、いつの間に、と獄寺は軽く舌打ちをした。これで2度目の没収だ。
 処置が終わり、シャッと目隠しのカーテンを開けたナースが「あら、こんにちは」と会釈をする。目を遣ると、ナースに「どうも」と返しながら入れ替わって姿を現したのは山本だった。
「よ、獄寺!見舞いに来たぜ」
「山本…!?」
 なんで、と思わず口から零れる。まさかの見舞い人に獄寺は目を見開いた。
「おまえ、もういいのか…?」
「ああ、もうバッチリ、この通り!」
 目の前で身体を捻ったり腕のストレッチをして、山本は屈託の無い笑顔を見せた。しかし獄寺は俄かには信じられなかった。リボーンから聞いた怪我の程度を考えても有り得ない回復力だ。
「…肋骨、何本かイったって聞いたぜ」
 一瞬きょとんとして、山本は訝しげに首を傾げた。
「いや…?誰に聞いたんだそれ」
(リ、リボーンさん…)
 確かな情報を下さいよ、と獄寺はがくりと項垂れた。
「その可能性もあるってレントゲン撮ったけど大丈夫だったぜ、やっぱ毎日牛乳飲んでるおかげな!内臓とかも異常なしで普通の打撲だってさ。頭打ったとこもコブができただけだったし」
「…その程度で済んで良かったじゃねえか」
 思いのほかピンピンしているのを見ると、憎らしいのに嬉しいような不思議な気分になってくる。
「ああ、問題ねえから明日から学校も部活も出ていいってよ」
「そうか」
 要らぬ心配をしてバカみたいだと思ったが、山本の元気な顔を見てホッとしたことに違いはなかった。荷物を置いて、丸椅子を引っ張ってきた山本が傍へと座る。
「それより、獄寺は大丈夫なのか?小僧は『重傷だけど大丈夫だ』としか言ってくんねえし病院じゃ携帯も使えねえし…すげぇ心配だったんだぜ」
 憂う表情に思わず言葉が詰まる。人から気に掛けられるのが元々苦手なせいか、素直に心配を口にされると妙にむず痒い。気恥ずかしさを紛らすように目を逸らし、獄寺は肩を竦めた。
「さ、さあな…おまえの目にはどう見えんだよ」
 大丈夫かなんて見りゃわかるだろと、すげなく言い放つ。ん〜、とベッドに座る獄寺をしばらく眺めて、山本は率直にどう見えるかを答えた。
「今は大丈夫そうな気もすっけど……あ、そのパジャマ似合ってて可愛いよな」
 背中に寒いものがひた走って肌が粟立つ。にへっと笑う山本に獄寺の顔が引き攣った。
 (こいつほんとに心配してんのか…?)と背凭れにしていた枕を掴み、山本へぶん投げようと力いっぱい振り上げる。
「テメェ何が可愛―――!」
 瞬間、胸に刺すような痛みが走って獄寺は上体を折った。
「っ…!」
「ご、獄寺!大丈夫か!!?」
 腰を上げた山本が細い肩を掴んだ。獄寺の苦痛の表情を目にナースを呼ぼうと振り返った山本だったが、同時に袖を引っ張った獄寺に止められてしまう。
「い、いい…このくらいで呼ぶな」
「けどよ」
「……もう、何ともねえよ」
 傷口周辺の筋肉が少し動いただけでこんなにも響く。そういえば今は横になったり起き上がる動きでさえ辛いんだったと、獄寺は唇を噛んだ。
「あの、ごめんな、そんな酷い状態とは思わなくてさ……なぁ、無理しねえで横になってたほうがいいんじゃねーか?」
 投げ損じた枕を元の位置へと置き直して、山本が横になるように促す。しかし山本の配慮にも首を横に振って、獄寺は胸を軽く擦った。
「この辺の筋肉使う動作がしんどいんだよ…横になんのも時間掛かるし、今は別にいい」
 それを聞いて山本はポン、と手を打った。
「じゃあ、寝やすいように俺が支えりゃいいんじゃね?」
「…」
 そうか、と獄寺も頭の中で手を打った。山本が帰った後、どのみち一人で苦労することになるのだ。辛い動作は一回でも少ないほうが助かる。今、山本の手を借りておくのは良いかもしれないと考えた。
「よし、じゃあ手伝え」
「了解!」
 頭が枕の位置にくるようにと少し前へと座り直す。向かい合い、山本が片膝をついて身体半分をベッドへと乗せた。
(ん?)
 横から支えるのだとばかり思っていたのに、向かい合わせにこられて獄寺は訝しげに眉を寄せる。
(こいつ、どうやって支えるつもりだ?)
 いまいち想像が出来ずに戸惑っていると、ズイと近づいた山本が脇の下から背中へと手を回して、正面から抱くような形で身体を引き寄せた。
「!?ち、ちょ…と、待て、おまえ」
 かぁ、と頬が熱くなる。他に別の意図があるんじゃないかと文句を言おうとしたが、さらにその手を頭を支えるために髪の中へと差し込まれて、ようやく獄寺は理解した。
 横からではこうして頭を一緒に支えるのは難しいのだ。
 腕で肩を、手で頭を固定し、もう片方の手をベッドについて体重を支えれば、そのまま安定してゆっくりと寝かせることができるだろう。山本の肩を持てば自分でもバランスが取りやすい。考えれば要領を得た悪くない寝かせ方だ。
(…さすがに、怪我人相手に変なこと考えるヤツじゃねえか)
 なんだ、と安心して肩を持って待つ。
「………」
 ぎゅう…っと黙って抱き締められてたっぷり10秒経ち、深い溜め息を吐いた獄寺は(…そういやこいつバカだったな)と思い出した。
「オイ何やってんだテメェ、早く寝かせろよ!」
 ドスッと脇腹に軽いパンチを入れると、夢心地に獄寺を抱き締めていた山本がようやく動きだした。
「あはは、ごめん、なんか久しぶりでつい…いいぜ、そのまま倒れて」
「…ったく」
 腕に体重を預けると緩やかに倒されていく。それに合わせて、抱き支える山本も同じく身体を傾けた。ギシ、とベッドの軋む音がやけに大きく響く。
 背で感じる、身体を支える温かい腕。やけに近い身体から、ふわ、と久しい匂いが鼻腔に届いて自然と鼓動が高鳴った。
 共に呼吸を潜めるせいか、奇妙な緊張が伴う。その意識通り、体勢もますます気まずいものになっていく。他意はないと、獄寺は何度も心に唱えて気持ちを紛らした。身体を下ろし終える際に体重を支えていた手が背中へと持ち直され、最後の一瞬まで慎重に、そっと横たえられる。

 無事に役目を終え、ホッとした山本がベッドに手をつく。ふと互いに近すぎる顔に気づいて、至近距離でパチッと目が合った。

 まさにそれを髣髴とさせる体勢で、相応えるように手も肩に添えられたまま。瞬時に顔が赤くなったのは山本も同じで、あらぬ事を連想してしまったのは獄寺だけではないようだった。
「―――…」
「……」

 ベッドに寝て、上から見下ろされている。これは問題の体現だ、と備に感じた。
 山本と付き合うということは…山本が望むのは、即ちこういうことなのだろう。
 今だかつて、こんなにも人の目を見つめたことがあっただろうか。どくんどくんと心臓が煩く、黒茶色の瞳にじっと見入って瞬きも出来ない。
(まずい、オレ…)
 まただ、と息を呑む。一人で悶々と考えていた時は…頭の中ではあれほどはっきりと拒絶していたくせに、実際こうしてみるとさして抵抗を感じていない自分がいる。いっそ流されそうな予感までして―――

「…っ、」
 ベッドについた山本の手がグッと拳を作る。衝動に堪え、振り切って先に目を逸らしたのは山本の方だった。

 身体を離す山本の肩から、添えていた手がスルリと滑り落ちた。ベッドから降りた山本が獄寺にブランケットを掛けてぎこちなく笑う。
「か、身体…大丈夫っぽく見えっけど、全然大丈夫じゃないのな」
 ふっと漏れた息は安堵からきたものではないと、自分自身でもよくわかってしまった。気取られまいと、山本のほうを見ずに淡々と返す。
「……まだ、傷口が塞がってねえんだよ」
「そっか、じゃあ、安静にしてねえと」
「…」
 何気ない応酬を重ねるほどに、心に引っ掛かっていた問題が一つ一つ解かれていく。決して無理やりにではない、ちょっとした事で気づけば自分で解いているから文句を言うこともできない。
 そしてまた、山本を受け入れまいとしていた確たる理由の一つが今の出来事で崩れてしまった気がして、何だか呆然としてしまう。
(あと、残ってんのは何だ…)
 絡まれては絆され、それに順応している。順応できるのは山本に対してそれだけの好意があるからだ。全ては心の問題で、根底に淡い想いが潜んでいる以上、理性で以ってどんな理屈を並べ上げようと結局は意味が無いのだと気づく。
 そもそも迷う時点で答えは傾いていて、それがどちら寄りなのかなんて当の山本も判っているのだろう。

『それって一応考えるだけの余地があるってことだろ?…俺はそれに賭けて頑張るからさ、とりあえず今は保留な?』

 だから、そんなことを言ったのだ。強引に押して来ずに保留としたのも、そうした方が効果があると思ったからではないのか。
 まるで『あれ』みたいだ、と幼い頃に耳にした童話が頭を過ぎった。
(北風と太陽、だっけ)
 さしずめ自分はコートを着た旅人だ。確かに、山本が強引に押して来たならかえってコートを脱ごうとはしないだろう、それが人間の心理だという。
 こうしたやり取りの中でじわりじわりと働きかけながら、ちゃんと自分の意思でボタンを外し、コートを脱いで飛び込んでくるのを山本は待っているのかもしれない。
(だとしたら相当な策士だぜ…)
 根気の良さは百も承知。
 そして自分もまた、山本が照りつける陽に長く当たり過ぎていた。

「そうだ、獄寺これ」
 山本は椅子の傍に置いていた大きな紙袋を膝の上に乗せた。やけに大きなその荷物は見た時から少し気になっていたものだ。
「ほんとはちゃんと当日に渡したかったんだけどさ、黒曜のことでそれどころじゃなくなっちまったから」
「?」
「遅くなっちまったけど…誕生日おめでとう!」
 照れくさそうな笑顔が放った言葉に、一瞬耳を疑ってしまう。
「…え?」
「9日、誕生日だっただろ」
「覚えて、たのかよ…」
「当たり前じゃね?」
「…」
 やべぇ…、と心中で零しながら、緩みそうになる口元を覆った。素直に嬉しくて胸がうずうずとする。誕生日プレゼントを用意されたのなんて、一体何年ぶりだろうか。
 人の驚いた顔を見て至極満足そうな表情をしている山本を見れば、こいつも相当サプライズが好きだな、と半ば呆れてしまいそうになるけれど。
(しかしデカいな…何だこれ)
 紙袋の中にはラッピングされた大きな箱が入っているようだ。推測しようにも、意外な大きさなだけに中身が全くもって想像もつかない。
「…開けていいのか?」
「え、今開けんの!?」
 すぐに開けられるとは思ってなかったのか、山本がぎくりとした顔をする。物に関係しているのだろうか、目の前で開けられるのが少し気恥ずかしそうにも見える。
「気になるだろ、ここに置いてくれ」
 ぽんぽんとブランケットの上から腹の辺りを叩くと、傷に障るといけねーからと山本は苦笑いをした。
「それなら、俺が開けっから」
 ちょい待って、と言って山本は椅子を回して背を向けた。紙袋から出して、ばりばりと包装を外しながら山本が得意気に言う。
「これな、獄寺の『今欲しいもんリスト』に入ってる自信ある」
「へえ?」
 随分と興味深い一言だ。自分でもこれと言って今欲しいものなど思い浮かばないのに、どうして山本にそれがわかるというのだろう。ますます気になってくる。
 再びくるっと回って山本が向き合い、ついにその正体が明らかとなった。

「前に獄寺が欲しそうにTV見てたの、俺は見逃さなかったぜ!」



next