10月になって半袖で過ごすには少し肌寒くなり、並盛にはすっかり秋の空気が漂っていた。
空を見上げれば雲一つない快晴。頬を撫でる澄んだ風も涼しくて本当に気持ちが良い。身体を動かすには最高の、まさに絶好のスポーツ日和だ。
球場のスタンドは観客でいっぱいだった。おそらく身内による観戦だろう、孫を連れた老人や母子などの子連れが目立つ。他にも選手の友人達だけでなく、意中の選手への応援に来た女子達があちこちできゃあきゃあと騒いでいる。気候の良さも、スタンドに人が溢れている大きな要因となっていた。
夏の全国大会が終わり、新チームが結成されて最初の ――― 秋の大会。
開始予定時刻30分前となって、グラウンドのベンチ近くではコーチと選手達が輪になってミーティングをしている。その中に一際目を惹くスレンダーな長身…山本の姿があった。
この広いスタンド内、コーチの話を聞く山本の真剣な顔を見つめる視線は相当多い。こうして山本に目を留めるのは自分だけはないことくらい、獄寺は解っていた。
なぜなら正面入り口で、山本を囲む自校の女子達を目にしたから。
それを目の当たりにしている傍で、差し入れを持った手を僅かに震わせて、山本の方を遠慮がちに見遣りながら話かけることも出来ずにいる女子を見つけたから。
そしてさっきも、グラウンドでストレッチの合間に山本がこちらに軽く手を振ったのを見て、すぐ後ろで勘違いをした女子3人が黄色い声を上げたのを聞いたから。
(…県大会の時より増えてんじゃねえのか)
山本の応援にくる女子が他校生にまで及んでいるのは、県大会の時に見て知っていた。しかしこんなにもいただろうかと眉を顰めてしまう。いや、以前は今ほど気に留めなかっただけなのかもしれないが。
(ったく、イラつくオンナ共だぜ…)
獄寺の口角から、舌打ちの代わりに歯噛みをする鈍い音が零れた。
綱吉の手前、表には出さないように勤めてはいるが気分はグンと下降線を描いていた。山本の前で上目遣いに可愛こぶる女子を見て、心の中で何度(帰れ!)と思ったかわからない。
(ヘラヘラしやがって、隙だらけなんだよあのアホが!)
持ち前の性格なのかフェミニストなのか、山本は好意を無下に返すことは絶対しない…というかできないようだ。だから女子は甘い希望を胸に片恋を楽しむ。はっきりとした返事を望まない、恋情を匂わせるだけの態度で来られれば断りようもないから、決して山本が悪いわけではないのだがそれでも文句を言いたくなってしまう。
山本とは今日、まだ少しも話せないでいた。それは獄寺だけでなく綱吉達も同じ事で、唯一正面入り口で話せる機会があったものの、ある問題が起こったせいで話すことが出来なかったのだ。
(オレはいいんだ、オレは…昨日も会っといて今更言うことなんて特にねぇし。けど10代目は…)
そう、これは嫉妬なんて見苦しいものじゃない。この苛立ちに自分は関係ないんだと、見え見えの感情から目を覆って獄寺は思う。
何度思い返しても許しがたい。一番に尊重されるべき人が、あんな下らないことで蔑ろにされたなど。
『山本、応援してるからねー!頑張ってッ!』
部員達によって女子の集団から救出され、そのままグラウンドへと押し出されていく山本に一言、健気にも大きな声でそう言うことしか出来なかったなんて。
京子とハルなど、あまりの光景に呆然としていたくらいだ。
今回のようなハプニングは稀だろう。山本当人でさえ酷く驚いていたぐらいなのだから。
問題となったのはとある噂。
山本に想いを寄せる女子達は、どこからかその噂を聞いて気が気でなくなって彼に詰め寄ったのだ。
――― 山本君、彼女がいるってホント!?
あの時、チラとこちらを見遣った山本が瞬時に青ざめたのを思い出す。
女に囲まれた山本を目にした自分は、さぞ冷ややかな、機嫌の悪い顔をしていたのだろう。
問題となっている相手の正体を聞いて、綱吉は素っ頓狂な声を上げた。
「はぁ!?ビアンキぃ!?」
言ってからハッとして辺りを見回す。まだ京子やハル達の姿はない。じっと大人しくしていられないチビっ子達のフラストレーションの解消も兼ねて、今は皆で飲み物を買いに行っているのだ。残った綱吉と獄寺は荷物番だ。
事が洩れると不味いと、二人の不在を確認して綱吉は少し声を潜めた。
「なんで山本とビアンキが噂になってんの?」
何も知らぬ綱吉からすれば不思議で仕方ないだろう。かくゆう獄寺も山本からそれを聞いたときはかなり度肝を抜かれた。実に有りがちな真相は今思い出してもげっそりとしてしまう。
獄寺が溜め息混じりに答える。
「10代目が最後に補習を受けられた日なんスけど、姉貴がオレを探して学校に来てたんスよ…オレは姉貴を避けてずっと隠れてたんですが、そん時に姉貴がグラウンドにいた山本と少し話をしまして…それを見た野球部の奴らが勝手に勘違いしたらしいっス」
「は〜、それはまたすごい勘違いを…」
「違うっつっても何故か誤解が解けないとかで、そのままダラダラと噂が流れたというわけっス」
ちゃんと誤解の解けた者もいるけれど、一部は照れ隠しだろと言って信じてくれなかったらしい。相手が獄寺の姉だと聞いたことで、『あぁだからあの帰国子女の不良と仲がいいのか』と、より一層おかしな誤解が生まれてしまったようだ。
「それっていつ聞いたの?」
綱吉の問いかけに思わずギクリとする。獄寺は常に綱吉の傍にいるから、学校内で聞いたのであれば自分も聞いていてもおかしくないのにと思ったのかもしれない。邪気のない茶色い瞳をみればただ何となく訊いただけのようだが…綱吉は友人達のここ最近の好ましい変化を純粋に嬉しく思っているから、山本との事を訊かれるのは少し気まずかった。
「あ、はい、少し前にうちで……まぁ、オレは一応弟なんで…嫌な誤解を生む前に知らせておきたかったみたいっスよ」
「ふーん」
野球部内だけに止まっていた勘違いが、新学期が始まっていつの間にか噂となって流れ出ていることを知り、焦った山本が(獄寺には噂より先に真実を告げておかねば)と先手を打ったのが数日前のこと。もちろん、弟だからなんて理由で知らされたわけではないし、それを理由にわざわざ家を訪れたというわけでもない。
(10代目に…隠し事なんてしたくねぇけど)
しかし、やっと二人が仲良くなってくれたと喜んでいる綱吉にどうして本当のことなど言えようか。半分嘘を吐いたことに若干の後ろめたさは感じたが、知るだけで否応なく受けてしまうだろう厄介な影響から綱吉が免れるのであればその方がいいのだと、獄寺は余計なことは何も言わなかった。
(メシ食いに毎日うちに来てるなんて…普通じゃ、ねえし)
今や習慣となりつつあるそれは、もう十日以上も続いている。
ある意味、ほぼ半分、山本と付き合っているようなものなのかもしれなかった。片や知らずではあるが、互いに気持ちを伴った時間を共有しているのだから。ただそこに、想いを孕ませた言葉と一歩踏み込んだ関係が無いだけで。
あの日、山本を呼び出した夜の帰り間際のこと。
名残惜しい余韻を部屋に残して玄関で靴を履く山本の背中を見て、獄寺は徐に零したのだ。
『山本…………、明日も、来るか?』
まさかの言葉だったんだろう、山本が息を呑んだのが良くわかった。振り返った顔は驚きに満ちていて、少し赤かった。
『あの…、それって』
『お、おまえがいるとラクなんだよ!…食った後も片さなくていいし』
2度目の役得に、ぱぁあっと山本の表情が一段と明るくなっていく。
『じゃあ、味噌汁!!来るから、味噌汁作って獄寺!』
大きくガッツポーズをして、山本はとびきりの笑顔を見せた。
無邪気に喜ぶその顔を見て嬉しいと思う、その意味は?
そんなこと、もう考えるまでも無かった。
それから山本は、毎日のように獄寺の家を訪れるようになった。
部活が終われば獄寺の家に直行。もちろん獄寺はすぐに払いのけるけれど、家の中では抱きつく程度のスキンシップはもはやご愛嬌。
夕食の準備を手伝って、一緒に食べて、後片付けをし、TVを見たり一緒にゲームをしたりしてリビングで寛いでから、自分の家へと帰っていく。父親には飯はいらないと言っているらしい。しかしこうも毎日だと、もしかしなくとも剛もあまりいい顔はしてないんじゃないかと少し心配になったが、今が心地よいあまりに自分ではもう止めることができなかった。
むしろ帰ろうとするのを引きとめようとしたこともあった。あれは土曜の夜で、翌朝は部活がないからと山本がいつもより長居をした時だ。プレステの対戦ゲームに夢中になっていて、気がつけばもう11時で、でもまだ遊び足りない気持ちがして、つい口から零れてしまったのだ。
『今日は泊まってけよ、勝ち逃げなんかさせねえぜ!』
その言葉が、口調が、本当に"わかっていない"ものだと解ったから、山本も遠回しに言わざるを得なかったのだろう。
『いいけど…泊まったら俺たぶん、すごいことになる』
『…』
何が?とは聞けなかった。茶化すような軽い笑いと、弱った笑顔。直球を避けても獄寺には十分に理解できた。
抱きつかれてもすぐにあしらって、それ以上には…キスには持ち込ませないようにと注意を払っていた。だから丸っきり、失念していたわけではなかったのに。
そうさせたのは内心、今の関係を大きく変えてしまうことがまだ怖かったからだ。
『よ…、よし、帰れ!』
『はは、やっぱりー?』
友達以上恋人未満。今はそんな言葉がまさにぴったりくる状態だった。
綱吉は、グラウンドにいる山本を不安気に見つめながら小さく問うた。
「それって、ビアンキには言ったのかな?」
「まさか、言ったらあいつ殺されますよ」
不可抗力など関係ない、事情も聞かずに問答無用でポイズンクッキングを食らわせそうだ。あの姉ならやりかねないと、獄寺は考えただけでも僅かに唸りだした腹を押さえた。
「だよなー…大丈夫かな、そんな噂がビアンキの耳に入ったりしたら」
「相手の女の名前は出回ってないみたいなんで、たぶん姉貴が聞いても大丈夫でしょう」
噂は幸いにも『美人の彼女がいる』や『相手は友達の姉さんらしい』などの微妙な所で止まっている。意図的な働きでもない限り、耳に入る確率自体も低いだろう。
「だといいんだけど…あぁー、これは京子ちゃん達にも知られないようにしないとマズイよなぁ」
山本に死んでほしくないもんなぁ〜、っと縁起でもないことを言って綱吉は頭を抱えた。
「けど、知らないって怖いよな…絶対有り得ないことなのにさ。ビアンキ、リボーンにベタボレだし」
「そっスよね」
「前なんて山本とはむしろ火花散ってたくらいだし」
「火花?」
一体なんのことか、事情がわからなくて「何スかそれ?」と首を傾げる。
「あぁ、ビアンキが一方的になんだけどさ…ホラ、黒曜の事件の時やけに山本に突っかかってなかった?」
「?そうでしたっけ」
「あーそっか…あれとかって獄寺君が見てない時か。妙に突っかかってたんだよなぁ…呼ぶ時も何でかフルネームだし、山本何もしてないのに『何がおかしい?』とか『ケンカ売ってんの?』とか」
随分と穏やかではない話だ。姉の不可解な態度に少しぎょっとして、獄寺は訝しげに眉を寄せた。
「…なんかしたんスかねあいつ?」
リボーンとの仲を邪魔したならまだしも、ビアンキが理由も無く人に突っかかるとは考え難い。自分が見る限り、姉が山本を毛嫌いしているような部分は見受けられなかったし、誰に対しても友好的な山本が姉に何かしたとも思えなかった。第一、彼らは接触自体が少ないのだ。
「うーん、そのグラウンドで二人で話した時になんかあったとか?まぁでも、あの後ビアンキも山本の怪我のこと心配してたりもしてたし、問題ないと思うけどさ」
「なら、いいんスけど…」
願いが苦笑いとなって零れた。あの姉と折り合いが悪いなんて厄介以外の何者でもない。
「ランボさんのおかえりだもんねー!!」
「ツナ兄、隼人兄、ただいまー!」
「※迫◎!」
わらわらとチビっ子達が走ってくる後ろから、ハルと京子もジュースを両手に戻ってきた。ここで噂話も終了だと互いに目線で頷く。
「お待たせです〜!」
「ごめんね、遅くなって」
おかえりーと返す綱吉に、ハルが真っ先に冷たい缶を差し出した。
「はい、ツナさん!ハルおススメのつぶつぶ入りオレンジジュースですv」
「あ、ありがとう」
「獄寺君、コーヒーこれで良かったかな?」
種類いっぱいあって迷っちゃった、と京子が差し出した缶を受け取って獄寺は礼を言った。
「ああ、サンキュ」
つぶつぶ入りと聞いて、綱吉の持つ缶に羨望の熱視線が注がれる。物欲しげにジッと見つめていたランボが、自分の持っていた缶を綱吉へと差し出した。
「ツナ、このランボさんのぶどうジュースとそれ、交換してあげてもいいよ?」
「いらないよ!なんだよ『交換してあげてもいい』って…つーかそれもう飲んでるだろ」
「ランボさんもオレンジのつぶつぶが飲みたい!」
チビっ子のわがまま勃発にハルが驚きの声を上げる。
「はひー!ランボちゃんそうだったんですか!?どうしましょう、もう一本買ってきましょうか?」
「あ、いいよハル!紙コップもあるし…ランボ、それ飲み終わったら半分やるから、とりあえずそれは全部飲めよ」
その光景を見て、有り得ない、と獄寺は感心する。
(オレならとっくに一発殴って黙らせてるぜ……さすがは10代目、何て寛大なお方なんだ)
感じることは皆一緒なのか、京子とハルも面倒見の良いそれに頬を緩ませた。
「ツナ君、ほんとのお兄ちゃんみたいだね」
「ハイv とってもお優しいです〜!」
「え、な、なに言ってんの二人とも、全然、そんなことないよ!!」
照れて、真っ赤な顔で綱吉がぶんぶんと手を振った。しかし何を言っても逆効果のようで、謙遜すら微笑ましいとニコニコされている。
そんな3人の応酬の中、獄寺のポケットの中の携帯が震えた。開いて見るとメールだ。操作を進めてメールを開いた獄寺はどきりとした。
「…」
届いたメールには『会いたい』という言葉と共に場所が綴られている。グラウンドを見ると彼の姿はない。時計を見ると、もう開始10分前だ。
(あのバカ…)
けれど、これだけで一気に気分が浮上してしまった自分も相当バカだと思って。
「すいません10代目、すぐ戻りますんで」
「あ、うん」
席を立って足早に、獄寺が人の間を縫って出口へと走っていくのを綱吉は不思議そうに見つめた。もうちょっとで始まるのに、とハルも首を傾げる。
「獄寺さんどこに行っちゃったんですか?」
「トイレ、かな?」
「でも反対方向ですよ、売店もあっちにはないですし…」
「あ、そうなの?えー、…じゃあ電話しに行ったとかかな?」
言ってみたものの、本当のところは綱吉にもわかるはずがなかった。
next