秋の大会は、第一回戦から見事な快進撃を続けた並盛中学の優勝に終わった。
ほのかに夕日の色に染まった閉会式では投手が代表して小さなトロフィーを掲げ、汗と土に塗れた選手達がメダルを胸に最高の笑顔を見せていた。
「青春ね…」
ぶっ倒れた弟に膝枕をしながら、美女は眩しそうに目を細めて呟いた。
大会終了後、獄寺は観戦中に突如現れた姉・ビアンキを見たことにより始まった体調不良に堪え、綱吉のために山本とメールを交わして混雑を避けた場所で落ち合う約束を取り付けて一人、姉から逃げ、皆とは離れて人気の少ない通路の陰で座り込んでいた。
(10代目は…ちゃんと山本と話せていらっしゃるだろうか)
山本がまた朝のように女子に捕まらなければいいんだが、と溜め息を吐いて胃の辺りを押さえる。
(くそ、胃が気持ちわりー…試合も後半殆ど見れなかったし散々だぜ)
携帯を開いて時間を見てみると、一人になってから30分は経過していた。そろそろ戻りたいが、姉がいると思うと戻りたくても戻れない。
(オレ、どうしたらいいっスか10代目…)
帰れない…と項垂れて、身体と一緒に壁に頭も凭れさせた。時折聞こえる足音は、座り込む少年に構うことなくそのまま通り過ぎていく。とにかく気分を落ち着けようと少し目を閉じていると、すぐ傍で足音がひとつ止まって誰かがしゃがみこむ気配がした。
「!?」
目を開けると同時に、ぴたりと、頬に冷たい物が一瞬だけ触れた。見るとペットボトルの水だ。
「途中で姉さんが来たんだってな、大丈夫か?」
聞き慣れた低い声にドキッとする。
「…山本」
「飲めよ、少しはスッキリするぜ」
「…」
サンキュ、と小さく零して水を受け取った獄寺は、言われた通りに一口だけそれを口にしてから改めて山本の顔を見た。なんで、と訊くまでもなく山本が笑んで答える。
「ツナに聞いた」
「…10代目は?」
「ああ、入り口んとこで笹川兄妹と待っててくれてるぜ。ビアンキ姉さんはハルと一緒にチビ達を連れて先に帰った。姉さん、自分も待ってるってすげぇごねてたんだけど、ツナが何とか説得してさ」
(じゅ、10代目ぇええええ…!!!)
感動のあまり溢れ出そうになる涙を堪え、獄寺はきつく唇を噛んだ。心情が目に見えるようで山本も思わず笑ってしまう。
俯く獄寺に手を伸ばし、顔をもっと良く見ようと、山本は指先で銀髪を除けて獄寺の頬に手を滑らせた。親指で頬を撫でながら、少し覗き込んで心配そうに眉を下げる。
「まだあんま顔色良くねぇな」
憂いを滲ませた静かな声。愛おしむような触れ方に獄寺の心臓が跳ねた。試合前に自分からキスをしたせいもあって、目を見ていられないほど気恥ずかしい。かといって、その温かい手を払いのけたいわけでもなくて。
頬に触れる手を感じたまま、獄寺ははぐらかすように話を切り替えた。
「そ、そういや…おまえ、こんなとこ来てる時間あんのかよ」
終わったら最後にいつもミーティングをしているはずなのだ。ん〜、と唸った山本は、頬に触れる手を下ろし、獄寺の持っている携帯で時間を確認して「あとちょっとくらいは」と笑んだ。祝いの言葉を伝える時間くらいはありそうだ。
「優勝、したってな…やったじゃねえか」
後半は気絶していて見られなかったが、綱吉の話によれば山本はその後も、ここぞという時に痛烈なヒットを放ったり、守備でもファインプレーを見せて大活躍したらしい。
「へへ、約束どおり、ホームランも3本以上打ったぜ!」
褒めて!とおどけて笑う山本に呆れたように笑い返して、獄寺は山本の頭をわしわしと撫でてやった。
「ハイハイ…んっとによくやったよオメーはよ…」
「ハハッ、なんか褒められてる気がしねぇ〜」
それでも楽しそうに笑っているあたり、これはこれで満足しているようだ。
冷たい水を少し飲んだからか、山本と話したおかげか、体調が気持ちマシになった気がして獄寺は壁伝いにゆっくりと立ち上がった。山本もそろそろ行かねばならないだろうし、何より、いつまでも綱吉を待たせるわけにはいかない。
「動いて大丈夫か?」
「もう平気だ…水、助かった。ありがとよ」
言ってから、自然と出るようになった礼の言葉に自分でも感心した。礼一つ言うのにも苦労していた頃が今や懐かしい気さえする。
(ほんとに、バカだったなオレは…)
「ああ。役に立って良かった」
そう言って、大いなる影響を与えてくれた黒髪の少年がくすぐったそうに笑んだ。二人並んで球場入り口の方へと歩いていく。
「あ、山本…今日どうすんだ、夜」
来るだろ?と問うと、山本は少し気恥ずかしそうな、でも嬉しそうな顔で「おう」と返した。
「この後ミーティングあっから、それ終わったら一旦うち帰ってシャワー浴びて、それからそっち行く。いつもよかちょっと遅くなっかも」
「あぁ、わかった」
なんて如何にもな会話だと思う。
けれど、これでも付き合っているとはいえないはずなのだ。肝心なものが抜けたままだから。山本もきっと、そう思っているだろう。
答えを求めてくるのもおそらくは時間の問題で、それに応える気持ちがあるのは確かだけれど。
(今更、何て言やぁいいんだよ…)
考えてもすぐに絡まって心の準備もできない。今はまだ少し時間が欲しかった。もう、今夜は何も訊かれることなく終わってくれることを祈るしかない。
通路を抜けたところで、同じように誰かと会っていたらしい部員が「山本!もう戻らねえとヤバイぜ!」と声を掛けて慌てて走っていった。
ああ!と大きく返事をして、山本が最後に獄寺と向かい合う。
「じゃあまた後で!来てくれてほんとありがとな!!試合前のチュー、かなり効いたぜ!」
「な…ッ」
「じゃあな!」
「て、てめ…!」
最後の最後で、悪戯な言い逃げに度肝を抜かれて顔を真っ赤にしたが、運が良かったのか悪かったのか、その一瞬のやり取りをじっくりと見ていたのは清掃員のおばさんだけだった。
*****
ミーティング後、大会優勝でテンション最高潮の部員達が『パァっと遊びにいこうぜ!』と盛り上がっていたのだが、『すいません俺、この後、大事な約束があって…』と山本は一人、先輩達に頭を下げて急いで帰路についていた。
『おまえそれ、テンション下がるわ〜』とか『え〜山本マジで来ねーの?』などと言われたりして、山本もかなり申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、如何せん、大好きな獄寺が家で待っていてくれてるのだから帰らないわけにはいかない。獄寺というプライオリティーは誰よりも何よりも、ダントツのぶっちぎりで一番なのだ。
(どこでもドアがあったらなー)
そんな無意味なことを考えながら、早く会いたい一心で山本は走った。試合前、獄寺が自分からキスをしてきたのだという事実も、山本の足を速めていた。
(気まぐれでも…好きでもないやつに、キスなんかしねぇよな)
嫌であれば遠慮なく、力いっぱい殴って嫌悪感を露にする性格なのだ。だから、そうだと信じたかった。獄寺の中に、キスをしようと思うだけの気持ちがちゃんとあるんだと。
(家じゃ思いっきり避けられてたけど…)
隙あらばじゃれるように抱きついて、その機会を伺った。簡単にあしらわれることもあれば、そこを強引に押し切って抱き締める力を強くしたりもしたけれど、その流れを察した彼に「いい加減放せ!」と声を大きくされて。
露骨に拒否されても平気な顔をして見せたけれど、本当は胸が痛くて、不安でいっぱいだった。
(本気で嫌がられてんのかと思ってた…けどあれも、もしかしたら嫌ってわけじゃ、なかったのかも)
心が舞い上がって止まらない。拍車を掛けるように信号もタイミングよく青になってくれる。キスの効果はまだまだ続いていて、どこまでも止まることなく走れそうだった。
(早く、会いてぇ)
「ただいまー!」
店の暖簾を潜って大きな声で帰宅を告げると、少しして、同じように住居部分とを仕切る奥の暖簾を潜って「おう、おかえり!」と剛が顔を出した。息子の泥のついたユニフォームを見て思わず眉を下げて笑う。
「これまたえれぇ汚れちまって!どうだ、試合にゃ勝ってきたか?」
誇らしげに金のメダルを掲げ、山本は満面の笑みで父に報告した。
「並盛、優勝したんだぜ!!俺も今日、めちゃくちゃ調子良くてさ、ガンガン打てたんだ!」
「ほぉー、そいつぁ父ちゃんも見たかったなぁ!」
外せない用事があっていけなかったのが本当に残念でならない。勝利のメダルを手に取ってじっくりと眺める父親に息子がさらに報告する。
「鬼コーチが『みんな無駄のないいい動きしてた』って珍しく褒めたんだぜ!応援もいっぱい来てくれてさ、ほんとに、すっげぇ楽しかった!」
興奮冷めやらぬ調子で嬉々として話してくれる息子を見ていると、自然と父も嬉しくなってくる。
「おーし、今日は皆呼んでうちで優勝祝いするか!」
父ちゃん張り切るぜ!と剛が腕をまくって笑ったのを見て、「あ!」と、息子は一瞬気まずい顔をした。
「俺、シャワー浴びたら獄寺んちに行くんだ」
「おぉ、そうか」
少し勢いを落として、いつものそれに剛は軽く腕を組んだ。
「じゃあ今日もメシはいらねぇか?」
「うん」
いつからか俄かに始まった息子の、夕食時の友人宅通い。今だけだろうと思って黙っていた剛だったが、当の息子は甚く彼と、彼の手料理が好きなようで毎日のように家を飛び出している状態だ。
「そのことなんだがなぁ武…お前の分まで作ってくれてんなら、獄寺君にまたうちで作ってもらうわけにはいかねえか?」
料理をする獄寺にとっても、食事を共にする息子の存在がプラスになっているのは剛にも容易に想像ができる。食べさせる相手がいるのといないのとでは遣り甲斐もだいぶ違うだろうからだ。だが。
息子が強請っているのか獄寺が招いてくれてるのか、どちらが言い出したことかはわからないが、どちらにしてもそれは随分と長く続き過ぎていたから、さすがに剛もこのまま目を瞑ってはいられなかった。
「父ちゃんとしては、息子が毎日メシ食わせてもらってんのが申し訳ねぇってのがあってなぁ。材料費もバカにならねえだろ?せめてうちで作ってくれんなら、材料も好きなように使ってくれて構わねぇし。獄寺君ちに遊びに行くのはそれからでもいいだろぃ?」
「あ…そうか、そうだよな」
材料費、という言葉が山本の胸に留まる。食事がタダで作れるわけがないので当たり前なのだが、今まで、そんなことは考えたこともなかった。
(ていうか俺…獄寺のその辺の事情とか、何にも知らねえんだな)
ともあれ、細かいところにまで頭が回らないのは自分の至らないところだ。父の言うことは尤もだと、山本は大きく頷いた。
「うん、わかった!獄寺にそう言っとく」
「あぁ頼むわな。あと近いうちにまた遊びに来てくれって言っといてくんな、武の話だけじゃなくて、ちゃんと元気な顔も見てぇからなぁ」
(オヤジも獄寺が好きだよな)
好きの種類はかなり違えど、さすが親子というべきか。
「わかった、それも伝えとく!」
嬉しそうに笑って告げた後、山本はシャワーを浴びに風呂場へと向かった。
***
身体中の汗と土をキレイに落とし、手早く身支度を整えた山本は一目散に獄寺の家へと向かってダッシュした。獄寺には少し遅くなるかもと言ったが、いつもと殆ど変わらない時間に着きそうだ。
走りながら、湿ったままの髪が少し寒くて首を竦めた。時間が惜しいのもあり、短いからすぐに乾くだろう思ってドライヤーでは乾かさずに家を出たのだが、幾分冷えた秋の風ではなかなかそうはいかないようだ。
エレベーターで5階とへ上がり、獄寺宅の前に着いた山本はその場で呼吸を整えてからチャイムを押した。
鍵が解かれ、ゆっくりと押し開けられた扉から獄寺が現れる。髪を一つに括り、黒のエプロンと眼鏡を装備したその姿に山本は(いつ見ても反則だよなぁ…)と赤くなって見惚れた。
「…いつも通りじゃねえか」
「うん、すげー走った」
背を向けた時に見えるうなじがまたいいんだよな、などと考えながら中へと足を踏み入れる。大事な話を抱えているからか、毎日来ているというのに妙に緊張した。
球場で最後に会った時もそうだったが、キスのことを意識してか、獄寺からは努めて普段通りにしようとする空気を感じる。山本もとりあえずは獄寺の調子に合わせて普段通りの顔をした。話は後でも十分に出来るのだ。
「具合、大丈夫なのか?」
「まあな」
玄関で山本がスニーカーを脱ぐのに少し身を屈めると、ふと気づいた獄寺が山本の髪をくしゃりと触った。どきりとして顔を上げると、獄寺が眉間に皺を寄せている。
「おまえ生乾きじゃねえか、髪くらい乾かして来いよ…もう夏じゃねえんだぞ」
怒るのは心配の裏返しだ。獄寺のそれはわかりやすいから、愛しくて頬が緩んでしまう。
「俺、風邪はひかねえよ?」
「知ってる、バカだもんな」
「あ、ひでぇ」
「今自分で言ったんだろ」
「そういう意味で言ったんじゃねえもん…つーか、すげぇいい匂い」
入った瞬間から感じていたそれが気になって奥へ進もうとするのを、獄寺が「ストップ」と止める。獄寺の細長い指が、傍にある洗面所を差した。
「先に手、洗って来いよ。あとついでに髪も乾かしてこい」
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