草臥れた紙飛行機のたくさん入ったダンボール箱を抱え、獄寺は肩でグッと玄関のドアを押し開けた。
鍵を閉めるのにまた箱を抱え直すのが億劫で、靴を脱いでそのままリビングへと向かう。同じ理由で、壁にある照明のスイッチにも手が伸びなかったが、カーテンが開きっぱなしのリビングの窓から月明かりがほんのりと入り込んでいたおかげで、視界は困るほど暗くはなかった。
テーブルの上にダンボール箱を置き、ソファにドッと座り込む。そしてズルズルと身体を倒してソファに転がった。
身体よりも精神的な疲れを感じて、眉間に自然と皺が寄る。
『おーいハヤト〜〜〜、ヒントやろーか?―――…ナンパだ、ナンパと一緒なんだ』
(シャマルのやつ…何が『ナンパと一緒』だ、ワケわかんねぇこと言いやがって…)
ヴァリアーとの戦いに向けての修行も5日目となり、今日もこれといったコツを掴めないまま終了してしまった。飛ばされた紙飛行機にダイナマイトを命中させる訓練は一向に上手くいかず、ただ草臥れた紙飛行機が増えていくだけで獄寺は酷くもどかしかった。
活路が見えなくて焦りと不安がどんどん募っていく。こんな調子で本当に大丈夫なのかと深い溜め息が出た。
獄寺はズボンのポケットから携帯を取り出した。裏山からの帰り間際に、山本から『今日はちらしだぜ!』とメールが届いていたがまだ返信はしていなかった。(どうすっかな)と迷い、返信はせずに代わりに番号を表示させる。見慣れた番号を目に映したと同時に、ふっと獄寺の表情が和らいだ。
(…今掛けてもメシの最中か?)
押すことを止めた親指が、そのまま通話ボタンを撫ぜた。
両思いとなって一夜を共に過ごした日からこの5日間ずっと…―――山本とは全く会っていなかった。
これは次期ボンゴレの座を賭けた大事な戦いだ。血戦が予想される中で暢気に会ってなどいれば嫌でも気が緩んでしまう。だから会いにくるなと…飯も家で食えと、今はひたすら修行に集中しろと突っぱねたのだ。
突然のおあずけ勧告にショックを隠せなかった山本も、スクアーロとの力の差を思い出してか電話の向こうで渋々ながら了解の声を零した。
会わなくなって寂しい気持ちはもちろんあったけれど、獄寺の中にはどこか少しホッとしている部分があった。修行という理由を出す裏で、それ以外の理由が胸の中にあったのだ。気が緩むのが嫌だというのなら徹底すべきなのに、一日の終わりに電話で声だけは聞いているのが良い証拠だ。
暗いリビングの中で伏し目がちに思い出す。この場所で互いの気持ちを確認して、高ぶっていく感情に乗せて本能のまま…深いキスをして、身体中に触れて、熱くなったものを慰め合った。
恥ずかしさはあっても、思いのほか抵抗は感じなかった。気持ち良かったし、とても満たされたし、嬉しいとさえ思った。でも…
(あれだけじゃ、あいつは満足しねえんだよな)
キスから一歩踏み込んだあの行為は、俗に言う『最後』までは行われなかったから。
抵抗を感じなかったのはおそらくフェアだったからだろう。どちらが女役ということもなく、どちらが主導権を握っていたわけでもなく、二人は対等だった。
けれど、完遂するとなるとそうはいかない。そしてあの夜、山本はそこまでの関係を望んでいるようなことをはっきり口にしたのだ。
『今度は、ゴムとか買ってこねえとな?』
『…』
あの時はどきりとして、相槌さえ打てなかったけれど。
(つーか、最後までやる必要ってねえんじゃねえのか)
性欲など、出すものを出せば治まるものなのだから、擦り合ったり口でするだけでも別にいいんじゃないかと思ってしまう。
いや…女とのセックスを真似て性器ではないところを無理やり性器として使う行為に疑問を持ってしまうのは、やはり自分が女役になるに違いないと踏んでいるからか。自分に山本を抱きたいと思う気持ちがなく、山本に押し倒してこようとする傾向が見られるのなら十中八九間違いないだろう。
もし自分が抱きたいと思う側だったなら、そんな疑問を持つことはなかったのかもしれない。
(けど、どう考えても山本に突っ込みたいとは思わねえしな…)
男と付き合うことになったとはいえノーマルな思考は健在だ。自分が抱くなら、そりゃあ乳がデカくて細くてきれいで可愛い子がいいに決まっている。…が、しかし。バリバリの体育会系で鍛えている山本は千歩譲っても可愛いと呼べる部類ではない。自分とて到底可愛いと呼べる部類ではないとは思うが…
(あいつはオレを『可愛い』って言いやがるんだよな)
あの黒茶色の瞳にはそう映るらしいから男でも抱きたいとも思えるわけで、この辺が山本との思考の違いなのだろうと思う。
(あー…どうすりゃいいんだろーな)
身体を開き、服従するような格好で以って、恥辱と痛みに堪えながら相手の性欲を受け止める………山本のことは本当に好きだが、どうしても躊躇いが顔を出してしまう。プライドも人一倍高いのだから尚更だ。
かきっこまでならいいけど最後までは出来ないなんて、期待外れも甚だしいに違いない。それを聞けば山本もさぞガッカリするだろう。
(でも、仕方ねえだろ…オレは男なんだ)
脳裏にふと、山本の幸せいっぱいな笑顔が過ぎって―――ぐっと胸が詰まる。
何にせよ、どちらかが譲らなければならない話なわけで、難しい問題だとも思う。
(これが原因で別れるなんてこと…ねえ、よな…?)
「…」
薄暗い中、携帯から発せられる仄かな光を浴びながら山本の番号をジッと見つめた。山本のことでも修行のことでも、ものすごくデカイ壁にぶつかっている気がして妙に心が疲れてしまう。
一人で悶々と考えていても仕方ないかと溜め息を吐いて、獄寺は携帯の通話ボタンを押した。
ツ、ツ、と短い間の後、一回のコール音で繋がった電話に小さく「早」とツッこむ。受話口の向こうから『もしもし!』と元気の良い声が聞こえてきて頬が少し緩んだ。
「よぉ」
『俺も今掛けようと思ってたんだぜ!』
「ほんとかよ」
『ほんとだって!』
疑ったように少し笑いを含めて返すと、同じように山本も笑った。
『お疲れ、獄寺』
「ああ」
『あれ、声がマジで疲れてねえ?大丈夫か?』
「別に…疲れてねえよこんくらい」
寝転んでて声が出しにくいせいだろうと、獄寺はゆっくりと身体を起こした。
『修行は順調なのか?』
「ま、まあな」
『はは、獄寺は嘘がつけねえよなー?』
すぐに返したのに一瞬ギクリとしたのを気取られてしまったらしい。軽い笑い声にムッとする。
「おまえに心配されるほどじゃねえよ!」
『知ってる、心配なんてしてねえし』
「―――…」
冷たい言葉のようだがそうではない。すぐに解って嬉しさで鼓動が高鳴っていく。信頼の意の籠もった言葉が胸を打って、照れ隠しのように薄い唇を少し尖らせた。
「…そうかよ」
胸が、気持ちが妙に落ち着かない。(なんだこれ…)と掌で押さえてみたが治まるはずがなくて、獄寺は首を傾げた。
「おまえは、順調なのかよ」
『ああ、オヤジがもう教えることは何もねえってさ!あとは俺次第だな』
「…、へえ」
余裕の返答に一瞬言葉が詰まる。山本と比べて、己の不甲斐ない状況に獄寺は唇を噛んだ。小さな沈黙が流れた後、山本が唐突に切り出した。
『なぁ獄寺…今からそっち行っていい?』
どっくん、と胸が強く反応して緑の瞳が大きく見開く。
『会いたい』
獄寺は、嬉しさに触れて落ち着かなくなった理由を俄かに理解した。お互い、思うことは同じなのだ。
『声だけじゃなくて、ちゃんと会いてえ。修行に集中しろっていうのもわかっけどさ、一応、ひと段落ついたし…やっぱり会って話がしたい』
「…」
『5分だけでもいいから…獄寺、ダメ?』
「…」
『お、お願いしますッ!』
「…」
たぶん実際に頭も下がってんだろうな…と考えながら、獄寺は参ったとばかりに熱の上がった顔を片手で覆った。
極めて真面目にお願いしてくるあたり、山本も相当参っているんだろう。修行に集中するため会うことを止めたが、こうなるとかえって逆効果な気がしてくる。
会わぬことで二人の間にある問題から逃げていても仕方がないし、双方会いたいと思っているのに無理に我慢することもない。
『獄寺?』
「…」
頬が熱くなるような顔色を自覚しながら、獄寺は目を閉じて深く息を吐いた。
(オレも…会い、てえから)
来いよ、なんて。
言えばきっと、山本は喜ぶに違いないのだろうが。
(……どう考えても、ガラじゃねえな)
『??…獄寺、聞こえてる?』
「…ああ」
会いたい。顔が見たい。触りたい。…こういった気持ちをきっと、恋しいと言うんだろう。まさか自分が誰かをそんな風に思う日がくるとは思わなかった。
恋愛の入り口に立って驚くべきは己の感情だ。ガラじゃないと口に出せずとも確かに持っている、こんな気恥ずかしい感情がどこに隠れていたのかと自分でも不思議でならない。
(恥ず…)
恋愛ってのは例外なく恥ずかしいもんさ、と言った男の声が脳裏に甦った。
あぁ本当だな、と思う。何だかんだ言ってやはりシャマルの言うことは正しいのだ。
そして理解した。二人の世界にどっぷり浸かって愛を囁き合うなんて、正気の沙汰じゃないと。
(オレにはぜってぇ、無理だ)
だからおまえはガキなんだよ、と鼻で笑う余計な声まで聞こえた気がしたけれど。
「おまえの…、調子の良さにあやかんのも、悪くねえよな」
『え?』
可愛げのない、そんな言いわけのような前置きを零して、獄寺は一拍置いた。
「玄関…鍵、開いてっから」
勝手に入って来いよ、と言葉を継ぐと、久々の逢瀬の許しに山本は声を明るくした。
『あ、ああ!!すぐに行く!!!』
*****
山本がもうすぐここへ来る。顔を見るのも、触れるのも5日ぶりだ。そっと胸に手を当てるとやけに強い鼓動を感じた。
(…キスぐらい、するよな)
付き合ってんだもんな、と考えて落ち着こうと深呼吸をする。キスの程度によってはそれだけで治まらなくなるのは解っているわけで、自ずと緊張が増していく。
玄関のドアの開く音がしたのは、携帯を切って数分後のことだった。相変わらず早えなと獄寺は苦笑いをする。
「お邪魔しまーす!」
靴を脱いで上がってきた山本が「あれ?」と声を発した。リビングも真っ暗なら、部屋のどこにも明かりが見当たらないから不思議に思ったのだろう。
「獄寺?いねえの?」
そう言いながら、山本がパチっと照明のスイッチを入れる。明るくなった視界に、何をしているでもなくソファに深々と座っている獄寺を見つけて山本は首を傾げた。
「なんで電気つけてねえの?」
「箱持ってて手が塞がってたんだよ…」
突然目に光が入り込んで獄寺が眩そうに目を細めた。歩み寄り、テーブルの上のダンボールを目に留めて「ああ、これ?」と相槌を打った山本が、獄寺の隣に座って5日ぶりに見る顔を覗き込む。対して獄寺は、久々に二人きりで会う気恥ずかしさに自然と目を逸らした。
「久しぶりだな」
「…そうだな」
仄かに纏う緊張を覚られまいとした結果、思いのほか素っ気無い声が出てしまって獄寺はチラと様子を窺った。山本は嬉しそうに笑顔を浮かべていて特に気にした風もない。安堵と引き換えに、黒茶色の瞳にがっちり視線を捕らえられてしまって鼓動が大きく跳ねた。
「メシはもう食ったのか?」
「い、いや、まだ…これから買いに行くか作るかしねえと」
「なんだ、じゃあ家にちらし食いに来ね?うまかったぜ」
思ってもなかった展開に獄寺は少し気が抜けた。山本の家に行くのなら、剛がいる以上は考えていたような心配もしなくていいだろう。晩御飯を買いに行くのも作るのも面倒だと思っていただけに、かなり有り難いお誘いでもある。
「…いいのか?」
「ああ、オヤジのやつ作りすぎていっぱいあるし、食ってくれると喜ぶからさ」
とんとんと話が進む。なんだ、と獄寺は頬を掻いた。久しぶりでも山本にはそういったことをする気はないようだ。ホッとしたようなそうでないような、複雑な気持ちが胸に渦巻いていく。
(あれ、何だオレ)
心なしか、微妙にテンションが下がったが気のせいだと思うことにした。気持ちの整理もついてない今、キス以下で治まってくれるならそれに越したことはないのだ。さっさと気持ちを切り替えようと、凭れたソファからゆっくりと身体を起こす。
「じゃあ今から食いに…」
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