その日は本当に気持ちよく晴れた日だった。壁に凭れて吐き出した紫煙が、そのままゆっくりと立ち昇って消えていく。
 外気温は低く、少し寒いけれど風は無い。そのぶん陽光が温かく感じられる絶好の日向ぼっこ日和だ。そうでなくても今日は暖かい教室にいるより屋上にいる方が断然良かった。
 バレンタインは怖ろしい日だと獄寺は思う。よもや日本に来てまでそう思うとは…と、げんなりとした溜息が無意識に零れた。
 幼い頃は姉のポイズンクッキングで、そして今は自分のクラスだけでなく他クラスの女子にまで追われてチョコレートの受け取りをせがまれ、断ると今にも泣きそうな顔をされるのだ。チャンスを狙って虎視眈々としている女子達にも怖ろしいものを感じる。
 しかし女は逞しい。朝から頑として受け取りを拒否し続けた結果、手渡しでは受け取ってもらえないことが解ると今度は靴箱や机の中にまでチョコを押し込み、また移動教室の後などは机の上がチョコの箱で山積みにされているのだ。机の両サイドのフックにも限界まで小さな紙袋がかけられているのを見たときは『いらねぇっつってんだろーがアッ!!』と机ごと窓から放り出してやりたい衝動に駆られた。
 この日に限っては、イタリアで一人荒れた生活をしていた時の方がある意味平和だったように思う。
 日本人は極端だ。見事にチョコレート一本槍で、多少形を変えてクッキーやブラウニーになっても、やはり義務のようにチョコレートが使用されている。なぜそこまでチョコレートに拘るのかわからない。
 バレンタインの発祥はイタリアだ。イタリアでは、そもそもこの日は『愛し合う者達の日』で夫婦や恋人達のイベントであり、シングルには関係の無い日だ。
 それが日本では愛の告白の日となっているために張り切るシングルが多い。百歩譲ってそれは良しとしても、好きでもない男にも義理だといってチョコを配る心理がわからない。しかも翌月にはきっちりお返しの日まで設定されているという。他国の文化をここまで自国流に変えて取り入れる柔軟さはさすがだが、しかし本当に奇妙なイベントと化している。

 サン・ヴァレンティーノは恋人達の日。イタリアではチョコレートに限らず、本やCD、花やネクタイなどの軽い贈り物をし合う日なのだ。
 だから好きでもない相手からの贈り物を受け取るのは、獄寺からすれば少し気持ちが悪いものがあった。
 まして同じクラスでも顔と名前が一致しない、話したこともない、そんな女子からのチョコレートを何故受け取れようか。他クラスの女子など以ての外だ。
 今年は山本もかなり苦労していた。朝練の時から数名に待ち伏せされ、正面玄関、廊下、教室にたどり着くまでに他クラスの女子からの受け取りも断り続け、教室に入ってすぐ、朝の挨拶と共にチョコレートを持って集まってきた女子に『ごめん、気持ちだけ貰っとくな』と言って頑なに断った瞬間、5人の女子が「どうして?」「受け取ってもくれないの?」「去年は貰ってくれたのに」などと言って涙ぐんだ。

(オレは『貰うな』なんて一言も言ってねえのによ)

 出来たばかりの恋人へ、体面を崩してまで愛を示そうとするあたり山本の性格が見える。
 去年までわんさかとチョコを貰っていた山本が突然受け取らなくなった波紋は相当大きいようで、至る所で憶測が飛び交っている。『彼女が出来たんじゃないか』というのがやはり大半だったが、中には『…糖尿病なんじゃないか』という、とんだ的外れな憶測も出ているようで山本を軽く凹ませていた。
 そんな憶測が飛んでいるせいか山本の方は一度断ったらもうそれっきりで、靴箱や机にチョコレートが押し込まれたりすることはないようだ。
 嫌な憶測を流されるか、執拗な受け取りに追われるか。少し考えて、獄寺は(どっちもどっちだな…)と苦い顔をした。
 机に山積みにされたチョコレートは教室の後ろにある背の低い共用ロッカーの上に移して放置してきた。さらに机の上に『物を置いたらコロス』と紙に書いて貼ってきたからもう大丈夫だろう。

 今は昼休みも終わって5時限目の真っ最中、科目は美術で移動教室だ。美術の授業は苦手だ。粘土なんて触りたくもない。
 校内一番の安息の地で、ふー、と最後の紫煙を長く吐き出す。
 短くなった煙草を携帯灰皿に仕舞った時、ガコン、と屋上のドアが開いた。

(来たか)
 足音だけですぐにわかる。フケれば必ず追って来ると思っていた。山本の目に入らないよう、用意していたモノを身体の影に隠して迎え待つ。
 姿を現した山本が嬉しそうな顔で笑った。
「テキトーに茶碗みたいなの作って、アタマ痛えって抜け出してきた」
「いいんじゃねーの、美術だし」
 かったるそうに言う獄寺に目を細めて、山本が隣に腰を下ろす。
「ちょっと待ってたんじゃね?」
「まぁ、暇だったからな」
「最近の獄寺は素直じゃないけど素直だよな」
「…言ってる意味がわかんねぇよ」
「んとな、簡単に言うとすげぇ可愛いっていう…」
「…」
 可愛いと発した瞬間、じとっと睨んでやる。可愛いという言葉は決して嬉しいものではないのだと、以前からそう教えているのに山本は一向に学ばない。もちろん愛念をもってのことだとは解ってはいるけれど、それでも、男が可愛いと言われて面白いはずがないのだ。
 怪訝な顔をしてしまった獄寺を見て(機嫌損ねちまったかな?)とばかりに苦笑いをした山本は、制服のポケットに手を突っ込んで「ジャーン」と自分で効果音をつけると、取り出したものを高々と掲げた。
 場の空気を一変させるサプライズ・アイテムだ。
「ハッピーバレンタイン、獄寺!」
 獄寺は緑の目を丸くした。
「マジか?おまえがこのイベントにのっかるとは思わなかったけどな」
 細長く赤いパッケージには『リッチストロベリーチョコレート』と書かれ、箱の端っこにコンビニのシールが貼られている。
「せっかくのバレンタインだしさ、一緒に食おうと思って朝買ってきたんだよな!」
 サプライズが成功して、山本がニコニコと外側のビニールを解いていく。用意してくれたものに文句を言う気なんてもちろんさらさらなかったけれど。
「…チョコレートか」
 獄寺は思わずぼやいた。
「ん?嫌いだっけ?」
「いや」
 この国で育った以上そこに拘るのは仕方ないんだろうなと、おかしくなって苦笑いをする。
「ホイ、どーぞ」
 個包装された一枚が差し出される。サンキュ、と受け取って獄寺は赤い包み紙を捲った。
「…」
 山本は首を傾げた。手渡す際に一瞬触れた、氷のように冷えた指先。眉を寄せた山本が自分の手を見つめ、それから紙を剥がしている獄寺の手を突然包み込むように握り込んだ。
 驚いた獄寺としばし見つめ合って、山本は不思議そうに訊ねた。
「何でこんな冷てぇの?」
 確かに、山本の手は指先まで驚くほど温かい。だが獄寺からすればこれにこそ首を傾げてしまう。「何でこんなに温かいんだ?」と聞き返したいくらいだ。
 何故冷たいかと問われても困る。寒ければ末端が冷える、自分にとってこれは当たり前の現象なのだから。
「この気温で手の温度保ってる方がおかしいんじゃねーの」
「でもよー、獄寺」
 山本に片手をぎゅっと握られながら、獄寺はチョコレートを軽く歯に咥えて包み紙を引き剥がした。
「人間って、恒温動物らしいぜ?」
「…」
 なるほど、恒温動物とは外気の温度に関係なく常にほぼ一定の体温を維持するものだとはいうが。
(ほんっとにコイツは)
 思わず半眼になる。神妙な顔で何を言うかと思えば。
「…てめぇはオレが人間じゃねえとでも言いてえのか?」
 チョコレートを口に入れながら「ああン!?」と凄まれて、山本は「んー」と唸って獄寺を見た。


 冷たく澄んだ冬の空気は、全てをクリアに映し出してくれる。
 透きとおる白い肌。綺麗なエメラルドの双眸、銀色に輝く髪。
 気持ちよく晴れた青い空の下、午後の柔らかな陽の光を受けた銀髪の少年を見れば、それはもう目を細めるくらいに眩しい。

「俺の目にはさー」
「あ?」

 ――― そう、山本の目には、さながら天使にしか見えなくて。

「獄寺はすげぇキラキラしてて、そうじゃねえように見えんだよなー」
「…」
 へへ、と山本が照れたように笑う。口の中で、チョコレートの甘酸っぱい味が弾けた。
(意味、わかんねえし)
 山本の言うことは時々、感覚的でよくわからない。けれど屈託のない笑顔を添えられると嫌な気持ちはしないのも確かだ。こういう時は大抵、こそばゆい感情のやり場に困ってしまう。
 そしてもう少し付き合いを重ねたならもっとうまく返せるようになるんだろうかと、いつも思うのだ。
「…おまえ、いっぺん眼科行ったほうがいいんじゃねえの」
「ハハハ」
 少し眉を下げて笑いながら、山本も包み紙を捲ってチョコレートを一つ口に放り込んだ。
「ん〜、うまいなコレ」


 サン・ヴァレンティーノは、恋人達が愛を確かめ合う日。
 この日にサプライズを用意していたのはもちろん、山本だけじゃない。


 獄寺は用意していたモノを山本へと突き出した。
「やる、オレからだ」
「え!?」
 ウッソ!と零して山本が開眼する。
「てめぇ、何だその嘘ってのは!」
 カチン、と眉を吊り上げた獄寺に「ごめん、びっくりしてさ!」と山本が笑う。受け取った箱には『名湯専科』と書かれていて、どう見てもチョコレートではないようだ。
「あれ?チョコじゃねえのな?なに…入浴剤?」
「薬局で思い出した時にたまたま目に留まったからよ…チョコの方が良かったか?」
「いーや、すっげぇ嬉しい!俺、バレンタインにチョコ以外のモンって初めてもらった!」
「イタリアじゃチョコに拘るモンじゃねえしな」
「そうなのか?」
 入浴剤の種類等が書かれている箱の裏面を見て、山本が「へぇー」と感心したような声を漏らす。その顔は満足そうに頬も緩んで至極嬉しそうだ。
 しかし、獄寺の意図するものはその先にあった。甘さは少し控えめなれど、これでも恋人同士の二人。入浴剤をあげて「ハイ終わり」ではあまりに味気ない。
 仮にも今日は『愛を確かめ合う日』なのだ。

「今日、部活終わったら真っ直ぐオレん家に来いよ…風呂沸かして待っといてやる」

 箱の裏面に注がれていた山本の視線が、ゆっくりと獄寺を見た。瞬きもせずにじっと獄寺を見つめる。
 言った方にも言われた方にも仄かな緊張が走った。頬の赤さは、双方負けていない。
「あの…それって、俺…期待していいの」
「…何が」
「だから、その……………一緒に、入ってくれるとか」
 らしくもなくおずおずと訊くのは、今までにそれを幾度も断わられたからだろう。別に恥ずかしいというワケではなく、その理由は2つあった。ひとつは家の浴室は男二人が入るには少し窮屈なこと。そして…
「じゃねえよな、やっぱ?」
 はは、と濁して山本が苦笑いをする。
「イヤなら無理にとは言わねえよ」

 もう一つの決定的な理由は―――自分が酷くのぼせやすい体質だからだ。

「マジで獄寺!!?一緒に入ってくれんの!?あんなに拒否ってたのに!!!」
 山本と一緒に入ればおそらく、長湯コースは避けて通れない。しかもこんな寒い日ともなれば、湯もぬるくはできないだろう。
 本当なら3分も浸かっていたくないくらいだが、今日くらいは、と思う。なんとか限界まで耐えて愛を示すのもいいんじゃないかと。

「すげぇ、6袋もあるから6回も獄寺と風呂に入れる!!!!!」
「な…ッ、んなワケねえだろバカかテメーは!つか声がでけえっつんだよ!!」
「バレンタインってこんないい日だったんだな!」

(聞けよ!…つーか)

 一緒に入るというだけでこのテンションの上がり様。嬉しいと無邪気にはしゃがれて、無性に気恥ずかしくなってくる。

「獄寺」
 呼ばれて向くと突然、頬に手が添えられて唇が温かいもので塞がれた。
「…―――」
 この寒空の中、その温かさにまた驚く。心地よい唇の熱を、慣れたその行為を、目を閉じて受けた。
 合わさった唇の温度差を感じれば、どうやら冷えていたのは手だけではなかったのだとわかる。熱が移って、冷えた唇が少し温度を取り戻す。
 名残惜しそうに、温かい唇がそっと離れた。
 同時に目を開ければ、山本の苦笑いがそこにあった。ス、と親指の腹で唇を撫でられる。
「口も冷やっこいのな」
「…」
「ほんとにありがとな、大好きだぜ獄寺!あ〜、早く夜になんねえかな!」
 ギュッと抱き締めて肩口に顔を埋め、山本がゴロゴロと甘える仕草をした。大好きの一言も、とびきりの笑顔も、他では決して見せない甘えた顔も、向けられる度にいつもこの胸を擽って止まない。
 そして、(ああ、そうか)と思い当たる。
 獄寺は『可愛い』と言う山本の気持ちが少しだけわかった気がした。実際のところはどうかは知らないが、きっと好きな相手が見せる甘えや素直さというのは時にそう見えるのだろう。
(女子供に言うそれとはまた違う、か?)
 同じものだと思っていたから言われる度にムッとしていたが。
 自分の考えすぎだったのかと思って、いやそれこそ考えすぎかと思い直す。それはあまりに際どい線引きだ。相手を見ればそんな微妙な違いを以って言っているとはどうも思い難い。
 感じ方は人それぞれだから、要はそれを口に出すか出さないかの問題に違いなかったのだけれど。
 だから、言ってみた。言ってやれば、可愛いと言われた男の複雑な気持ちが少しはわかるんじゃないかと思ったからだ。

「おまえ、可愛いよな」

 普段言われぬ一言に、一瞬きょとっとした山本だったがすぐに「へへ」と破顔した。頬を緩めたその顔を見れば、特に堪えた様子も無いようだ。
「ちったぁ嫌がれっつーの、笑ってんじゃねえよ」
 むにーっと頬を抓ってやると、山本が「いひひ」と嬉しそうに笑った。
 山本の笑顔が胸を擽って自分の本意を思い知る。不思議なものだと思う。共感してもらえなかったのに、笑顔を前にして嬉しいと思っている自分がいる。

(こいつに改めさせるより、オレの受け取り方を改める方が早いってか?)
 意図通りに行かなかった悔しさ半分、けれど嬉しさも半分の複雑な気持ちを胸に抱えて、獄寺は少し弱った顔で笑い返した。



end...or next?



(2008/02/11 up
 2008/06/18 再up …加筆修正+1P)


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